一年前
子供の頃は、一年がとても長くて、
前の年の出来事やイベントは、
遥か昔の事のように感じていたのに。
大人になった今では、
一年前の事は、然程遠い過去では無く、
まるで先月の事の様に感じてしまいます。
子供の頃も、大人になった今も、
一年は365日で、一日は24時間であることは、
変わらない筈なのに。
時の流れの速さが違って感じるのは、
何故なのでしょうか。
長いようで短い、一年間。
仕事に、暮らしに忙殺されて、
変わり映えの無い日々の繰り返し。
そんな私には、一年前の私が、
何をしていたのかも、
碌に思い出せはしません。
ただ一つ。
一年前、私が願っていた願い事だけは、
覚えています。
…何故なら。
今日も未だ、同じ事を願っているのですから。
好きな本
幼い頃、家が貧しかった俺は、
殆ど本を持っていなかった。
それでも、俺には、
お気に入りの本があった。
少年が不思議な世界に迷い込み、
様々な冒険をする話だった。
時が流れ、俺は大人になっていた。
忙しい日々に忙殺され、
本を読む余裕なんて無くなっていた。
だから。
『好きな本、何かな?』
お前にそう聞かれた時、
俺は、答えに困ってしまった。
子供向けの本の名を、
大人の俺が答えるのは、
恥ずかしかったが、
子供の頃に好きだった、
あの冒険物語の名を答えた。
するとお前は、満面の笑顔で、
『俺もあの本、好きだよ』
と言ってくれた。
その日から。
俺はあの本がもっと好きになった。
幼い俺と、少し前の俺の、
大切な思い出が詰まった、
俺の『好きな本』。
あいまいな空
今日は朝から、曇り空だった。
空を見上げただけでは、
雨が降るのか、降らないのか、
解らない様な、曖昧な空。
俺は傘を持たずに、家を出た。
街を歩いていると、
ポツリポツリと、
空から雨粒が落ちてきた。
だが。
俺は、傘を買う気にも、
雨宿りする気にもなれず、
少しだけ足早に歩き続けた。
見上げると、空は相変らず曖昧な色で、
落ちてくる雨粒は涙の様で。
まるで、今の俺の心の様だと、
一人苦笑いする。
急に。
青空が恋しくなった。
こんな俺のような曖昧な空の色じゃない、
アイツの笑顔の様な、青空が見たい。
家に帰ったら。
アイツに手紙を書こう。
『今度の休みに、一緒に出掛けないか?』
と。
あじさい
湿度が高くて、蒸し暑い日が続く、
憂鬱な梅雨の時期の、数少ない楽しみ。
それは、
…街に咲く、紫陽花の花。
どんよりとした重い灰色の空と、
飽きもせずに、滴り落ちる雨の雫に、
ぼんやりと霞んで見える街の景色の中で、
紫陽花だけは、
その花の青色と葉の濃緑色を、
はっきりと纏っている。
雨の中、一人、
道端に咲く紫陽花を眺める。
傘を叩く雨粒の音も、
今だけは、心地良く感じる。
不意に。
紫陽花には毒があるから、
気を付けて、と。
嘗ての恋人の言葉が、脳裏に蘇り、
ズキリと胸が痛んだ。
そうだ。
私の想いを、花言葉に託し、
彼に青い紫陽花を贈ろうか?
有毒植物である紫陽花を。
青い紫陽花の花言葉は…。
『美しいが、冷酷』
雨粒が、ポツリと一粒、
私の頬を濡らした。
好き嫌い
野菜が苦手とか。魚が苦手とか。
甘いものが苦手とか。
嫌いな食べ物の事を、
『好き嫌い』と言います。
『好き嫌い』という言葉の中には、
『好き』という単語と、
『嫌い』という単語の、
両方が入っているのに。
『好き嫌いはある?』と問われると、
何故か、皆さん、
嫌いな食べ物の話だけをして、
好きな食べ物の事は、言いません。
『嫌い』と言う時より、
『好き』と言う時の方が、
幸せだと思うのですが。
人間とは不思議な生き物です。
でも。
『好き嫌い』が出来ることは、
幸せな事だとも、思います。
何故なら、
食べ物に困っていないから、
食べ物を選り好み出来るのですよね。
ほら。
嘗ての私のように、酷く貧しければ、
好き嫌いも言えず、
ゴミの中の残飯を漁り、
毒の無い野の草や草の根を齧って、
飢えを凌ぐしか、無いのですから…。