言葉にできない
幼い頃から、家畜同然だった私は、
教養もなく、人の心さえ無く、
貴方に救われる迄、私は、
冷たい機械仕掛けの人形と、
何ら変わりませんでした。
萌える若草色を隠すように咲く、
菜種色の菜の花も。
何処までも広がる青い空に浮かぶ、
綿菓子の様な積乱雲の白さも。
地獄の炎を思わせる様な、
曼珠沙華の毒々しい緋色も。
雪化粧を纏い、その色を失って、
灰白色に沈む街の家々も。
その美しさは、私の心を揺さぶるのに。
こんな素晴らしい景色を見たとて、
人として、色々なものが欠けた私には、
その美しさを、言葉にすることはできません。
そして。何より。
私の心に溢れる、貴方への想いを…。
言葉にできない自分が、歯痒くて。牴牾しくて。
だから。
言葉にできない想いを抱えて、
只、貴方の前で微笑むしか出来ない私を、
どうか…赦して下さい。
春爛漫
花が咲き乱れる、春の麗らかな昼下がり。
外から聞こえる、とても愉しげな声。
なのに、ボクは独り。
病気に冒され、ベッドに横たわる。
春らしさの欠片もない、殺風景な部屋の中では、
窓から見える爽やかな青空さえ、恨めしい。
皆、みんな。友達もあいつも。
今頃、満開の桜の樹の下で、
花見とかに、興じているのかな?
そう思うと。熱に浮かされた身体よりも、
心の痛みの方がずっと辛くて。
思わず、泣きそうになる。
だから、ボクは、何も聞こえない振りをして、
無理矢理、目を瞑った。
目が覚めると。
ボクの枕元に、花束が置かれていた。
早く元気になって下さいーー。
嫌と言う程見慣れた、あいつの字で書かれた、
メッセージカードと一緒に。
決して、立派な花束じゃない。
だけど…。
ボクにとっては。
どんな立派な満開の桜より、
野に咲き乱れる春の花々より、
ずっとずっと…綺麗に見えた。
ボクはそっと花束を手にして。
誰も居ない部屋で、独り微笑んだ。
今、ボクの心は。
…春爛漫。
誰よりも、ずっと
何で…こうなるんだろう?
お前と顔を合わせると、直ぐに口喧嘩になって、
お前の前では、何か素直になれなくて。
態と煽る様な事を言っちまったり、
矢鱈、腹を立てて、ムキになったり。
心の底では、
お前と飯を食いに行ったり、
何処かに遊びに行ったり、
そんな、普通の友達みたいに、
過ごしたいって、思ってるのに。
だけど。
お前には、そんな事、言えなくて。
何気ないお前の言葉の揚げ足を取って、
思ってもいない、悪態を吐いて。
お前を無駄に怒らせて…。
そして、お前は。
半分怒った様な、半分呆れた様な顔をして、
俺の前から、立ち去ってしまう。
本当は、
誰よりも、ずっと…。
側に居たいのに。
何で…こうなるんだろう?
これからも、ずっと
俺とお前が一緒に仕事して。
お互いのやり方が気に入らずに、
派手な言い合いして。口喧嘩になって。
…そして、先輩に叱られて。
俺がお前の仕事を手伝って。
慣れぬ俺の作業に、お前が注文付けて、
俺が言い返して。口喧嘩になって。
…そして、同僚に呆れられて。
俺とお前が休憩していて。
元気なお前に、疲れ果てた俺が文句をいうと、
お前が言い返して。口喧嘩になって。
…そして、友達に止められて。
顔を合わせれば喧嘩ばかりしている俺とお前だが。
お前と居るのは、決して嫌じゃない。
寧ろ、着飾らなくて良くて…気が楽だ。
喧嘩するのさえ、なんだか居心地が良くて。
お前にとってもそうだと、嬉しい。
絶対言わないが、お前には感謝している。
お前が居るから、俺は…俺で居られる。
だから。出来れば…。
俺と喧嘩してくれ。
これからも、ずっと。
沈む夕日
空が夕焼けに染まると、子供たちは家路を急ぐ。
きっと家では、母親が温かい夕食を作って、
待ってくれているのだろう。
でも。俺の家は。
父は外に女を作り、家に寄り付かず、
母はそれに絶望し、家庭を護る事を捨て、
俺と幼い妹の育児を放棄した…。
そんな家庭だったから、家に帰ったとて針の筵。
俺は妹と二人、息を潜め気配を殺し、
朝が来るのを待つしか無かった。
だから。
家に帰らねばならない時刻を告げる、
空を朱く染めながら沈む夕日は、
苦痛の始まりを意味するもので、
俺には、その緋色は地獄の業火の様にも見えた。
そして。時は流れ。
俺は大人になり、両親の呪縛から解き放たれた。
決して恵まれた生活ではないが、
沈む夕日に怯える事がなくなった。
そして…知った。
一日の終わりを告げる、西の空に沈む夕日は、
こんなにも切なく、美しかったのか、と。
何時か、沈む夕日を眺めながら。
お前にも、この事を話したい。
決して聞いていて楽しい話ではないが、
お前には、俺の全てを知って欲しい。
俺の弱い所も、醜い所も、足りない所も。
そして、その時は。
俺が見てきた、どんな沈む夕日よりも美しい、
その穏やかなサンセットオレンジの瞳で、
俺だけを見詰めていて欲しい。