1つだけ
子供の頃、皆と星空を眺めた事がありました。
何時もなら、疾うに眠りについている時刻。
今日は特別だよ、と言われ、
外に出て、空を見上げました。
頭上には、満点の星。
今迄見た事の無い数の星が瞬いていました。
空に散りばめられた数多の星の美しさに、
私は少しだけ怖くなりました。
そんな闇夜に煌く星々の中で、
一際、輝く星がありました。
いつの間にか、その1つの星に、
私の心は、釘付けになりました。
…私にとっては『1つだけの星』。
部屋に戻っても。ベッドに潜り込んでも、
翌朝になっても。何日も経っても。
その『1つだけの星』は、
私の脳裏から消える事はありませんでした。
あの日から。
何れ程の月日が流れた事でしょうか。
私は、大人になり、忙しい日常に追われ、
夜空を見上げる余裕なんて、
すっかり無くなっていました。
日々に疲れ果て、久しぶりに見上げた星空。
でも、
どんなに星空の中を探しても、
キラキラと眩い星は沢山あるのに、
あの『1つだけの星』は、ありませんでした。
それでも。
私の心の中には、
あの幼い日に見付けた『1つだけの星』が、
輝いているのです。
それは、貴方との思い出であり、
貴方の面影であり、貴方の存在そのものです。
そう。
私の希望の星は…1つだけ。
見上げた星空に、『1つだけの星』が見えなくても、
私の希望の星は、心の中に輝いています。
大切なもの
失うという事は、何度経験しても、
簡単に乗り越えられるものでは無い。
失ったものが、大切であれば大切な程、
その強い喪失感に、苛まれ続ける。
そう。
大切なものを失う度に、
胸は切り裂かれる様に痛み、
心は哀しみに囚われ、失望の海に落とされる。
哀しみは、記憶の中に蓄積され、
決して癒える事はない。
こんなに苦しい想いをするのなら、
大切なものなんて、
作らなければ良かった、とさえ思うのだ。
だけど、私は。
君と出逢ってしまった。
絶望を力に変え、喪失感を知恵に変え、
哀しみを優しさに変える事の出来る。
そんな、君に。
君を見てはならない。
君に惹かれてはならない。
理性はそう警告するのだが、
それとは裏腹に、心は君を求めてしまう。
…私はもう。
大切なものは、二度と作らないと、
決めていた筈なんだが。
エイプリルフール
貴方は信じてはくれないでしょうが、
ずっと以前から、
私は貴方に惹かれているのです。
出来るなら、貴方の隣に立ちたい。
貴方をずっと護りたい。貴方に私を見て欲しい。
そう、希っているのです。
ですが。
貴方に、私のこんな気持ちを告げた所で、
貴方にとっては、迷惑でしかない事は、
良く分かっています。
ですから、普段は。
貴方への恋慕は、心の奥底に仕舞い込み、
私は素知らぬ顔で、貴方と相対するのです。
…只の友人として。
それでも、やはり。
貴方への恋慕を、心の中に押し込め続けるのは、
余りに、苦しくて。
私は年に一度だけ、本当の気持ちを、
エイプリルフールの嘘という名目で、
言葉にして、貴方に告げるのです。
そして、また今年も。
私は、貴方が決して信じない、
エイプリルフールの嘘を吐きます。
…誰よりも、貴方を愛しています、と。
幸せに
君は未だ、私を憎んでいるのかな?
それとも。
私の事は、思い出さない様にして、
生きているのかな?
あの時の君は、
他人の命と引き換えに、自らの生命を永らえ、
大切な人や大切なものを失い、
世の中全てに絶望し、死を願っていた。
だから、私は君に生きる意味を与えた。
それは。
私を憎む事。そして、憎き私に復讐する事。
私は、君に生きていて欲しかった。
君がこの世に執着する理由が、
私への憎しみや復讐だとしても。
君の魂を永遠に失わずに済むなら、
私は喜んで、君に憎まれよう。
そう思ったんだ。
私が君にあげられる最後の愛情が、
君に憎まれてあげる事だなんて。
余りに、残酷な話だけど。
私を…狂おしい程に憎んでいいから。
私が君を愛おしいと想う程に強く、
私の事を…強く強く憎んで。
そして、どうか。
二度と、生きる事を放棄しないで欲しい。
もう、逢う事は叶わないだろうけど。
それでも、願わずには居られない。
…どうか、幸せに。
何気ないふり
俺はずっと、自分の事が大嫌いで、
辛い夜や落ち込んだ夜は、
自分を自分で傷付けなければいられない。
俺は俺を罰する。
血が出る程斬り付け、痣が出来る程殴る。
そして、俺は俺に謝罪するのだ。
御免なさい。赦して下さい…と。
そうして俺は、漸く僅かな安寧が得られる。
でも、翌日になれば、
俺は身体中の傷の痛みを押し隠し、
何気ないふりして身体の傷を庇い、
日常生活を熟していかなければならない。
本当は、打撲跡は酷く腫れ上がり、
傷口からは出血が続き、全身が軋む様に痛み、
身体も心も、悲鳴を上げたい程苦しいのに。
でも。ある時。
俺が自らによって罰を受けた翌日は。
何故か、何時もより。
仕事が少なくなっている事に、気が付いた。
注意深く観察して、やっと分かった。
俺が傷だらけの日は、先輩が何気ないふりして、
俺の仕事を、肩代わりしてくれていた事に。
どんなに痛くても、辛くても、惨めでも。
何気ないふりして日常を過ごすのは、
俺の得意技だと思ってたけど。
先輩の方が、ずっとずっと上手だったなんて。
だから先輩。
…何時かきっと。
何気ないふりして、お礼をするんで。
何気ないふりして、受け取って下さい。