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9/27/2024, 1:00:39 AM

窓から見える景色

「あら」
 母がカーテンを開けると、灰色の四角が見えた。
「あ、すみません。そこはいつも閉めてまして…」
「景色を観に来たんじゃないんだから、いいんですよ」
 母は何か言いたげだったが、私は話を打ち切った。どのみちそんなことをしている暇はない。それは、母もよく分かっている。
「せっかくだから開けといて」
「圧迫感ない? 向こうの壁に手が届きそう」
「それがいいんだよ。ヤモリとか来たら見えるでしょ」
 何とも言えない顔をされた。母はヤモリが苦手だ。生家の雨戸を開けると時々ボタッと落ちて来る、という恐怖が染みついているらしい。だが、実は私は爬虫類が好きである。
「あ、窓は開けられないようになっているので、入ってはこないですよ」
 ここで働いている人が言うなら本当だろう。
「向かいに窓があるわけじゃないし、開けといて」あったらお互い丸見えである。

 母がてきぱきと荷解きをしてくれると、やることがなくなった。持って来た本をサイドテーブルに積んでもらい、その横にノートとペンを置いてもらう。
「大丈夫? 他にほしいものない?」
「大丈夫。死ぬまでに『百年の孤独』の矛盾を全部洗い出すのが夢だったし、これで当分過ごせる」
 母は、何とも言えない顔をした。

 それきり、本はまったく読んでいない。

 ある晩、窓に目をやった。
 外にはマグリットの絵のように真っ青な空が広がり、白い雲が浮かんでいた。
 これが「明晰夢」とかいう奴かと思い、そのまま寝た。

 またある晩、窓に目をやった。
 外は柔らかな青に包まれ、無数のクラゲらしきものが漂っていた。
 どうせなら鯉か金魚にしてほしい。そう思って、そのまま寝た。

 やはり、本はまったく読んでいない。
 というより、ベッドから起き上がることすらできない。
 母には「無理に毎日来なくていいから、私が帰った時用に断捨離でもしててよ」と頼んだ。何とも言えない顔をされたが、来るのを一日おきにしてもらった。母の時間は、私と同じく有限なのだ。

 そしてその晩、窓の向こうには窓があった。暖かそうな光と、どこかで見たような内装。子供の頃の居間と同じ家具が並んでいる。こちらに背を向けてソファに座っていたのは、父だった。
 やるべきことは三つ。
 何とかしてこちら側の窓を開ける。
 向こうに気づいてもらう。
 向こうの窓を開けてもらう。
 これが見えているうちに終わらせなければ。
 私が窓を気にしているのは看護師さんたちにばれている。私が予想より持ちこたえているので、おそらく飛び降りを心配しているのだ。本来この部屋に入る人は、そこまで体力がない。

 なるべく静かに窓を破壊する方法を考えていると、微かに軋むような音がした。
 向かいの窓が内側に開かれ、父がこちらを見ている。真似をして引っ張ると何とも簡単に開き、危うく尻もちをつくところだった。
「そっちに行ってもいい?」
 父はもうずっと前、生きていた頃と同じようにうなずいてくれた。

9/16/2024, 1:58:39 PM

君からのLINE


<おはようございます
 起きていたら反応してください

              xxx>
<バスルームに行きましょう
 まずは歯磨きです
                👍🏻>
<次は顔を洗って
                👍🏻>
<髪もとかしましょう
                👍🏻>
<終わったらキッチンへ
 トースターの横に
 ブレッドケースがあります
                👍🏻>
<パンを一枚出してトースターに
 右下の目盛を3にしてください
                👍🏻>
<冷蔵庫の真ん中の段の右端
 ジャムとバターを出します

<見当たりませんか?
                🍳>
<今日は無理です
                🍳>
                🍳>
                🍳>
<明日一緒に作りましょう
 今日は苺かカシスのジャムで我慢
 匙とバターナイフはお皿の上です
             🍓🍓🍓>
<召し上がれ

<書き忘れました
 右にコップがあるでしょう
 ミルクは冷蔵庫のドアの内側です
                👍🏻>
<食べ終わったら
 食器を全部シンクに置きます
                👍🏻>
<また寝室に戻ります
 クローゼットの左端に
 シャツが二枚あるはずです
                👍🏻>
                ?>
                ?>
<片方はスナップ
 もう片方はファスナー式です
 試してみてください
<ボタンを留めるのが
 大変そうだったので
 仕立ててもらいました
<着られそうですか
             👍🏻👍🏻👍🏻>
<タイはシャツの横です
 結んであるので
 首からかけて締めれば大丈夫
             !xxx>
<襟をちゃんと折り返して
                👍🏻>

<全部着替えたら居間へ
 次は電話台の上です
<お財布 鍵 身分証
 その横の箱からハンカチを一枚
                👍🏻>
<ほかに必要なものがあればそれを
 なければ玄関へ
                👍🏻>
<コートを着て 帽子を被って
 帽子は絶対ですよ
                ?>
<今日の捜査会議はいつもより
 偉い人が来るそうです
                👎🏻>
<そういうことをしない
<媚びなくていいので
 素敵でいてください
                !>
<鏡で全身をチェックして
 大丈夫なら出発しましょう
              👍🏻xx>
<鍵をかけて
                👍🏻>
<大通りでタクシーを拾ってください
 乗ったら連絡してほしいです


<タクシーには乗れましたか?
 今どこですか?
                🚓>
<それは出勤に使う車じゃありません
 何をしてるんですか
           👍🏻👍🏻👍🏻👍🏻👍🏻>
<ちゃんと言葉で説明してください
 文字列の入力をお願いします
              xxx>


 結婚して初めての当直がなんとか終わった。たぶん今日で、不安と安心という感情を理解した気がする。ちなみに彼がパトロールカーに乗っていたのは家を出てすぐに引ったくりを捕まえたからだった。良かった。
 ただ、まだ分からないことがある。
「あのバツ印は何ですか?」
 彼はハムステーキから顔を上げた。こういう時はいつもより幼く見える。でも、いつも綺麗だ。
「…バツじゃないよ」
 じゃあ何ですか、と訊くと彼はばつの悪そうな顔をしてこう言った。
「アルファベットのエックスは、手紙や何かでキスマークの代わりに使うの」
 その後は二人とも黙って食べ、黙って食器を洗い、その後にキスをした。
 明日の朝は彼の希望通り、卵二つで目玉焼きを焼こうと思う。

9/10/2024, 3:07:32 PM

世界に一つだけ

 人が作ったものでも 機械が作ったものでも
 世界に一つでないものは
 実際どれくらい あるのでしょうか



  昔、誰かのことを「変わってるよねぇ」と半笑いで噂する人を見るたびに、「この人は誰かと同じなのかな」と思っていたことを、久しぶりに思い出しました

9/9/2024, 3:49:47 PM

胸の鼓動

 誰かを好きだと 速くなる
 怖くても 速くなる
 死ぬと 止まる
 安らぐと ゆっくりになる

  できれば いつでもゆっくり
  ときめいた時だけ 速く
  
 誰の鼓動もいつかは止まるのだから
 せめて少しでも 幸せでありますように

9/6/2024, 3:05:39 PM

貝殻

「ひろったかたへ さがしにいきます」

 久しぶりに家に帰る前日に、その貝殻を拾った。大きな二枚貝の片方で、掌くらいの大きさ。外側は緑がかった黒で、磨き上げたようにつるりとしている。
 残念なことにこの文言は、内側の美しい真珠色の部分に書かれて(?)いた。引っ掻いたものではない。試しに擦ってみたが落ちなかった。
 どうやって探すんだろうか。そもそも、普通は「拾った人はここへ連絡を」とか書くんじゃないだろうか。
 二枚貝は自分の片割れとだけぴったり合う、と本で読んだ。そこらを歩き回ったが、貝殻は見当たらない。

 この辺りには幾度となく来ている。だが今までは缶詰めになっているばかりで、海辺に出たのは初めてだった。実は海を見るのも初めてだ。
 真っ白な砂ばかりで、他に貝殻らしいものはない。落ちているのは観光客の捨てた空瓶ばかりだ。宿もレストランもない処だから、景色を見るだけ見て捨てて行くらしい。「絶対にゴミは拾わないでください」と厳しく申し渡されていたので、諦めて帰った。
 貝殻を拾ったことはすぐにバレて叱られたが、「思い出に」と、ものすごく丹念に洗って返してくれた。それでも「ひろったかたへ」の文字は消えていない。「しばらく戻ってこないでくださいね」そう言われながら、家に帰った。

 うちにいる間に、文字は何度か変化した。
「さがしています」
「ずっと さがしています」
「まだ さがしています」

 ある雨の日に、また海辺へ戻ってきた。その前に自分の部屋を念入りに片付けて、いくつかメモを置いてきた。外出は許されず、天気もずっと悪いまま。ただ横になっていた。
 ある晴れた日に外へ出たいと言ったところ、若い医師は困ったような顔で俯いた。
「先生、慣れないといけませんよ」
 彼は頷いて、それでも顔を上げなかった。
 どうか、慣れてほしい。あなたは死を待つ患者たちに対して、いつも誠実に接してくれる人だから。

 海辺、空瓶、空瓶、時々色のついた石。ふと見返すと、貝殻の文字は消えていた。
 突然、「緑なす黒」をした何かが見えた。
 両膝をついて手を伸ばすと、ふいに誰かが自分の身体を支えてくれた。片手に黒い貝殻を握っている。
 振り向くと、彼がいた。
 彼の目は綺麗な空色で、声はとても優しかった。
「貴方を探していたんです」
 たぶん、僕もそうだと思います。

 二つの貝殻は、ぴったりと合った。

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