この道の先に
国境を越えた道の先に人だかりができていて、いきなり兵士に捕まった。
何でもこの国には入ったら出られない迷宮があり、そこに棲む怪物が王を悩ませているのだという。
七日に一度、この道を正午に通った者を退治に向かわせる。倒した者には、王の姪に当たる麗しい姫を与える。最初に通りかかったのが自分だった。
顔も分からない娘を貰っても困る。
「是非、貴方に行っていただきたいのです」
凛とした若い女の声。長衣に頭巾を深く被って、腰から美しい帯飾りを提げている。姫の侍女だという。
「怪物」を殺さずに戻って来てくれたら、必ず貴方の望みを叶えると姫は云っています。
「僕には無理そうですが…」
侍女は兵士に合図をして下がらせた。
これを持って行ってください。糸を掛けながら最初はまっすぐ、二つ目の角を右に曲がって。迷ったら、これと同じ糸玉がある道へ進むんです。
「無理そうなのに、なぜ親切にしてくれるんですか?」
貴方が丸腰だからです、と侍女は言った。どうか私を信じて、必ず殺さずに帰って来てください。
誰かを本気で案じる人の声だった。
とりあえず姫は見ず知らずの誰かに命を賭けろと言う人ではないらしい。それに、何であれ誰であれ、殺すのは嫌だ。
最初はまっすぐ、二つ目の角を右へ。侍女の言う通り、いずれかの道の先に次の糸玉が置いてあった。
大きな扉を開けると(苦もなく開いた)、そこには日の差し込む部屋があり、金色の髪をした大きな人間と出くわした。
よく見ると、ただの大きな男だった。腰から、さっきの侍女と似た帯飾りを提げている。
「…驚かないの?」
「怪物じゃなかったからものすごく安心してる」
部屋はきちんとしていて、隠者の隠れ家みたいだ。
「本当に怖くないの?」
「何が?」ただの人じゃないか。
「…目は見えてる?」
「うん」
彼は失礼、と言って自分の手をとり、彼の左頬に当てた。何だか大きな凹凸があり、ざらついている。
「こんな顔だから、ずいぶん前から此処にいるんだ」
日も当たるし、水も食べ物もちゃんとある。此処を作った人が、なるべく居心地がいいようにしてくれた。
「ところで何で、どうやって此処に来たの?」
これまでの経緯を話した。
「丸腰で危ないよ。それに早く帰った方がいい」
「…じゃあ、一緒に入口の近くまで来てほしい。その女の人はすごく君を心配してるみたいだったから」
彼は何らかの責任を感じたらしく、頭巾を深く被ってついて来た。だが話してみると穏やかで物知りで、一緒にいてとても気が楽だった。
外はもう夜で、あの帯飾りの侍女がいた。
「あの人は?」
一緒に来たけど、見えないように隠れてる。顔を見られたくないからと。
「彼が怖くはありませんでしたか?」
「僕は人の顔がまったく分からないんです」だから何とも思いません。
お姫様がどれほど美しくても、自分にはそれが分からない。
「では、どうかお願いがあります」侍女の声は震えていた。
「あの人に、帯飾りを渡してほしいと伝えてください。そうすれば、貴方を閉じ込めた者たちに、貴方は死んだと伝えられるからと」
彼が承諾の合図に咳払いをしたので、その通りにした。
侍女はびっくりするような礼金と馬車を用意していた。
「もしできれば」彼女はよく通る、凛とした声で言った。
「この道の先、王の手の届かないところへ逃げてください。そしてどうか幸せになってください。貴方の苦しみを知らなかった私がそれを恥じている、とどうかお伝えください」
彼女は頭巾を取った。彼と同じ、金色の髪をしていた。
「貴方のお母様は、最期までただ貴方を愛していた。彼女の娘である私が証人です」
彼女は頭巾を被り直し、小さな声で
「兄を助けてくれて、そして私を望まぬ結婚から救ってくれてありがとう」
そう言った。その時だけ、とても幼く聞こえた。望みは、と訊かれたので、彼が嫌でなければ一緒に行こうと思う、と言った。
しばらく経って、彼の頭巾がそっと出て来たので、
「行こう」と言った。
「家出してきた僕の故郷へ。あなたのことは必ず守るから、僕の話し相手になってくれないかな」
喜んで、と彼が言った。
そこで僕たちは出発した。
この道の先、安心できる場所へ向かって。
日差し
一つ 提案があります
暑い季節だけでいいので
「火刺し」という表記はいかがでしょうか
それと とりあえず今は梅雨なのか夏なのか はっきりさせていただきたい
ところで 私は今バーでお酒を呑んでいるんですが
ここまで書いたところで 隣に座った二人の男性の片方が
「She loves you」「She admire〜」とかフランス訛りの英語で喋り始めて
「Japanese way」(何について⁈)とか
「French people always〜」とか
熱弁しているので 気になりすぎて
何を書こうとしたのか 分からなくなりました
今までの人生では
「興味のないもの:他人の恋バナ」
と言ってきたんですが
「断片的にしか聞き取れない恋バナ」は ちょっと面白かったです
そして これは本当に勝手な想像なのですが
人が恋に落ちるきっかけの何割かは
太陽が輝いているから じゃないかと思います
窓越しに見えるのは
その家は通りに面して出窓があり、よく猫が寝そべっていた。
ここしばらく、猫がいない。今日もだ。
立ち止まって見ていると、玄関から若い男の人が出てきた。
少し乱れた髪によれた服装の、でもとてもきれいな人だった。目尻がくっと切れ上がっていて、何だかちょっと猫っぽい。
「あの」
猫は元気ですか。
「猫? ああ、あの子は飼い主さんと一緒に引っ越したよ」
入れ替わりに越して来たのだと言う。
学校への行き帰り、猫がいるとちょっとだけ嬉しくなるし、いいことがある気がする。でも飼い主の人には会ったことがなかった。
「猫は飼えないけど私は警官だから、何か困ったことがあったらいつでも言って」
その人は声がすごく低くて、ラジオのアナウンサーみたいに綺麗な話し方だった。
翌日、出窓には首に空色のリボンを巻いたクマのぬいぐるみが置いてあった。
改装の進捗を見に来たら、近所の子供に話しかけられた。
窓越しに寝ている猫を楽しみに見ていたらしい。確かに、窓の向こうはしばしば幸せに溢れているように見えるものだ。
『小公女』では大事なお人形や幸せそうな家族。『レ・ミゼラブル』では飢えを満たすパンや、買ってもらえないはずのお人形。
たまたまその子が金髪で青い目だったので、つい猫くらいの大きさのぬいぐるみを買ってしまった。自分の大事な人が子供時代に持っていたら、と思ってしまったのだ。彼には子供時代の記憶がない。せめて幸せな子供時代があったと想像することだけは許してほしい。
とりあえず出窓に置いている。生きてはいないが、いないよりましだろう。
「子供のころ、自分の半分くらいの大きさのクマのぬいぐるみを持っていた」。その話を聞いて間もない頃に、彼と一緒に暮らすことになった。
ある日の午後、帰りにいつもの道を歩いていると、玩具屋のショーウィンドウ越しにクマのぬいぐるみと目が合った。
あの人の半分くらいの大きさ。迷わず買って、そのままサヴィル・ロウに行った。ショーウィンドウのトルソーは美しく着飾り、ボウタイをきっちり締めている。
「深緑のボウタイが欲しいんです。この子にぴったり合うものが」
その純朴そうな青年はぬいぐるみを抱え、真面目な顔で仁王立ちしていた。
来店したことはないが、間違いなくうちで仕立てたものを着ている。着こなしもなかなかだ。
話を聞くと以前世話になった-そして今彼が着ている背広一式を頼んだ「あの人」の部下だったので、ぬいぐるみのためのボウタイを選ぶという、一種馬鹿げた話に付き合ってしまった。
彼は幸せそうに支払いを済ませ、ぬいぐるみを大事そうに抱えて店を後にした。
出窓にクマが現れてから、しばらく経った頃のこと。
その家にものすごく大きい男の人が出入りするようになった。
ある日その人はびっくりするくらい大きなクマのぬいぐるみを抱えて現れた。ぬいぐるみは出窓のクマと異なり、深緑のリボンを着けていた。
その優しそうな男の人は目が合うとにっこり笑い、玄関の鍵を開けて入っていった。
小さいクマは今でも出窓にいる。
季節や天気によって毛布にくるまっていることもある。身に着けるものはすべて空色だ。
大きいクマはその後、一度も見ていない。きっと窓越しには見えない、本当に大事なものを置くところにいるのだろう。
すごく大きい男の人と、ちょっと猫みたいな男の人は、自分が会う時はいつも一緒に家を出て行く。二人はとても幸せそうで、空色のリボンを結んだクマがそれを見守っている。
入道雲
出くわした瞬間に
「竜の巣だ…!」
と叫ぶのがルール
そんな小学生時代でした
実は今でも
心の中では言っています
夏
夏と冬は長きにわたり、この国の支配権をかけて争っている。
春と秋はもう随分前から戦線を離脱している-少なくとも表向きは。
従ってかつて「四季がある」と称されていたこの国は、
春:五パーセント
夏:四十五パーセント
秋:五パーセント
冬:四十五パーセント
くらいの割合で支配権が分散されている。
だがここに至って、二つの新勢力が台頭してきた。
この二つは「季節」そのものではない。だが夏と冬のそれぞれに食い込み、今はともに春を取り込もうとしている。
一つは梅雨であり、もう一つは花粉症である。
梅雨は雨の頻度ではなく、振り方のムラによって勢力を拡大している。まだ春のはずの季節に大雨が降ると、人々は梅雨が始まったと錯覚する。夏が完全な支配力を振るう時まで散発的に交通機関の乱れを引き起こし、人々のQOLを下げる、極めて危険な勢力である。
しかしわたしがより心配しているのはもう一つ、花粉症の方である。
スギとヒノキの力により、彼等はすでに春に浸透し、あたかも大昔から存在していたかのように振る舞っている。
だが私が確かな筋から得た情報によると、かの金太郎の故郷である神奈川県の足柄山あたりでは、たかだか半世紀近く前、スギ花粉症は「足柄病」と呼称されていたらしい(※アレルギーであることが分かっていなかった時代に、杉が大量に生えている彼の地へ行くと原因不明の鼻炎になる、として地元のごく一部の医師が使っていた表現。実際の病因と地名が無関係なのは言うまでもない)。
春はすでに彼奴等に乗っ取られている。唯一の救いは、私がまだこれらのアレルギーではないということだ。
私が今、一番憂慮しているのは、最近花粉症が秋にも魔手を伸ばしており、その尖兵が、私に有害なある植物なのではないかという情報である。
その恐るべき植物の名はブタクサである。
許すまじ。