NoName

Open App

窓越しに見えるのは

 その家は通りに面して出窓があり、よく猫が寝そべっていた。
 ここしばらく、猫がいない。今日もだ。
 立ち止まって見ていると、玄関から若い男の人が出てきた。
 少し乱れた髪によれた服装の、でもとてもきれいな人だった。目尻がくっと切れ上がっていて、何だかちょっと猫っぽい。
「あの」
 猫は元気ですか。
「猫? ああ、あの子は飼い主さんと一緒に引っ越したよ」
 入れ替わりに越して来たのだと言う。
 学校への行き帰り、猫がいるとちょっとだけ嬉しくなるし、いいことがある気がする。でも飼い主の人には会ったことがなかった。
「猫は飼えないけど私は警官だから、何か困ったことがあったらいつでも言って」
 その人は声がすごく低くて、ラジオのアナウンサーみたいに綺麗な話し方だった。
 翌日、出窓には首に空色のリボンを巻いたクマのぬいぐるみが置いてあった。

 改装の進捗を見に来たら、近所の子供に話しかけられた。
 窓越しに寝ている猫を楽しみに見ていたらしい。確かに、窓の向こうはしばしば幸せに溢れているように見えるものだ。
 『小公女』では大事なお人形や幸せそうな家族。『レ・ミゼラブル』では飢えを満たすパンや、買ってもらえないはずのお人形。
 たまたまその子が金髪で青い目だったので、つい猫くらいの大きさのぬいぐるみを買ってしまった。自分の大事な人が子供時代に持っていたら、と思ってしまったのだ。彼には子供時代の記憶がない。せめて幸せな子供時代があったと想像することだけは許してほしい。
 とりあえず出窓に置いている。生きてはいないが、いないよりましだろう。

 「子供のころ、自分の半分くらいの大きさのクマのぬいぐるみを持っていた」。その話を聞いて間もない頃に、彼と一緒に暮らすことになった。
 ある日の午後、帰りにいつもの道を歩いていると、玩具屋のショーウィンドウ越しにクマのぬいぐるみと目が合った。
 あの人の半分くらいの大きさ。迷わず買って、そのままサヴィル・ロウに行った。ショーウィンドウのトルソーは美しく着飾り、ボウタイをきっちり締めている。
「深緑のボウタイが欲しいんです。この子にぴったり合うものが」

 その純朴そうな青年はぬいぐるみを抱え、真面目な顔で仁王立ちしていた。
 来店したことはないが、間違いなくうちで仕立てたものを着ている。着こなしもなかなかだ。
 話を聞くと以前世話になった-そして今彼が着ている背広一式を頼んだ「あの人」の部下だったので、ぬいぐるみのためのボウタイを選ぶという、一種馬鹿げた話に付き合ってしまった。
 彼は幸せそうに支払いを済ませ、ぬいぐるみを大事そうに抱えて店を後にした。

 出窓にクマが現れてから、しばらく経った頃のこと。
 その家にものすごく大きい男の人が出入りするようになった。
 ある日その人はびっくりするくらい大きなクマのぬいぐるみを抱えて現れた。ぬいぐるみは出窓のクマと異なり、深緑のリボンを着けていた。
 その優しそうな男の人は目が合うとにっこり笑い、玄関の鍵を開けて入っていった。

 小さいクマは今でも出窓にいる。
 季節や天気によって毛布にくるまっていることもある。身に着けるものはすべて空色だ。
 大きいクマはその後、一度も見ていない。きっと窓越しには見えない、本当に大事なものを置くところにいるのだろう。

 すごく大きい男の人と、ちょっと猫みたいな男の人は、自分が会う時はいつも一緒に家を出て行く。二人はとても幸せそうで、空色のリボンを結んだクマがそれを見守っている。

7/2/2024, 2:49:03 PM