題.暗がりの中で
友人に誘われ飲みに行った帰り、ふと、何かの視線を感じました。
不思議に思い、立ち止まって見回してみる。
しかし、前方を見ても、後方を振り返り辺りを見渡してもあるのは暗い道を照らす、木製の街灯のみ。
通り魔かどこぞの殺人鬼か、彼はどこかに不審者のような者がいるのかと疑い、家に向かう足を速めた。
すると、先程から感じていた視線が一層強まった。彼は酔いのせいかずっとついてまわる視線に苛立ち喧嘩腰で後ろを振り返る。
瞳。見たものを飲み込むような深い。深い。
大きな瞳が彼を覗き込んでいました。
彼が振り返れば、彼の身長ほどある瞳の眼球がきゅ、と少し縮まる。
それは何故だか彼には、まるでこの大きな瞳が歓喜しているように感じたのです。
夜の暗闇のような、澄んだ巨大な瞳。暗がりの中での摩訶不思議なできごと。
雀の囀りで起こされた彼は、明るい辺りを見渡し首を傾げながら頭を搔く。
題.紅茶の香り
私はあまり、紅茶が好きではない。
あの独特の味に香り、初めて紅茶を見た時はどのような風味か気になり口に含んでみたが、口の中に味が広がった途端、それはそれは後悔した。
以来、紅茶の香りがすれば私はあの時の、あの味を思い出してしまい顔を歪めてしまう。
そしてつくづく思う、好き好んで紅茶なんぞを飲む輩の気が知れない、と。
用事を済ませて、帰路につく私の元にあの香りがした。紅茶だ。
ついつい、顔を顰めて“全く、紅茶なんぞを好き好んで飲む輩の気が知れない”とつぶやく。
“私はあんなに苦いお茶を飲むあなたの気がしれません”なんて、心外だ、と言わんばかりの顔で声を上げる彼女はもう居ない。
帽子を被り直し、彼女が好きだった花でも包んでもらおうと、違う道を歩く。
題.愛言葉
お世辞にも、私は素業が良いとは言えません。
妻がいるにも関わらず、愛人をつくり、仕事が行き詰まれば酒を浴びる。
おまけに、私は喫煙者でありまして妻が体に悪いから、と辞めるよう勧めることに耳を貸しませんでした。
私がろくでもない人間な話は、あげればきりがないでしょう。
こんな私に未だ寄り添ってくれる妻、常日頃から苦労をかける彼女へ、私はろくに伝えていない感謝の気持ちと結婚して以来、言っていない想いを伝えようと思いました。
しかし、いざとなるとどうにも気恥ずかしくなってしまい、声を掛けてもしどろもどろでまともに伝えられりゃあしない。
ああ、私はこんなにも度胸がない奴だっただろうか…。
行きつけのバーで会う女達には、流れるように世辞を吐き、口説き文句が言えるというのに。
本当に伝えたい女には愛の言葉一つも口にできやしない。
はぁ、きっと溜息を吐きたいのは妻だろうに、私は息を吐きだす。
女に愛を伝えるのがこんなにも難しく、むず痒いとは到底、思わなかった。
…いや、最愛の妻である彼女だからだろう。
題.友達
くだらない日常会話をして、こずきあい面白くもないことで馬鹿みたいに笑う。
代わり映えのないことだ。
昨日までは同じ枠組にいた編み込みのあの子、はて、何処え行ってしまったのか。
聞けば、いざこざがあり枠組から消されたそうだ。可哀想に。
仲良し、だなんて常日頃から口にしていたにもかかわらず、少しの火種で排除されてしまう。
けれども、こんなものだ。
表面上は笑顔で接していても、裏では毒を吐かれているのだ。
内通者がいるのも知らず、みすみすと情報を渡して密告される。結果が今回のこれだ。
ああ、可哀想に。
冷たい視線に晒されて、あんなに肩身を狭くして。
私を友達だと本当に信用してしまって。