祭りの日、それは私が唯一お客さんとの間の壁を取り払う日だ。
お客さんと喋るタイプの接客業をしていると、あくまで「客」と「店主」という違う立場であることを意識しなければならない。こちらがお客さんに感情移入しすぎたり、逆にお客さんがこちらに特別対応を求めすぎたりを防ぐためだ。
他にも、お客さんの持ち込む負の感情、家庭や仕事の不和や悩みに、私自身が飲み込まれないよう我が身を守るためでもある。カウンターを境界として、私は常にお客さんとの間に一線を引き、帰られるとともに頭をリセットしている。
だが、祭りの日は別だ。
模擬店といういつもと違う店構えの中で、私はいつもの常連客に大きく手を振り、ハイタッチをしたり一緒に呑んだり、敬語を外して話したり。「何だか今日はいつもと違うね」と言われるのは、ラフな服装のせいだけではないはずだ。
敢えて粗雑に、適度に適当に。祭りの日は街全体に「楽しさ」を纏っている。浴衣を着て出かけてくる街の人々だけでなく、店もまた、楽しさを享受する側の人間になる日。
いつもよりたくさん笑って、汗だくになりながらもそれがまた楽しい。
日が落ちて、祭囃子が聞こえてきたらそろそろ店じまいだ。さっさと片付けて、段ボールや空き缶だらけの店内でひとり涼みながら休憩する。太鼓も神輿も盆踊りも、遠くから音だけで楽しみながら残った酒を飲む。
「何やってんの」突然、いつもの常連客が店に入ってきた。「お神輿見ないの?」
「疲れたからもういい」と笑う。「残ってるお酒、飲む?余りもんだからサービス」
「いいの?」
「いいよいいよ」
普段座ることはない客席に、お客さんと並んで座り、人多いねと外を見ながらのんびり語る。たまにはこんな日があってもいい。
祭りの日。私とお客さんの垣根を外す日。
手酷い失恋をした。誰もが経験する話だ。
心臓が丸ごと、傷をむき出しにしているような痛みで、街を歩くだけで、呼吸をするだけで刺激になりズキズキと痛む。時間薬という言葉が信じられない、こんなに痛い思いをしてまで自分が今後他の人を好きになる姿が想像できない。
だが、失恋したてのの頃なんてまぁそんなものだ。気づけばもりもりご飯を食べ、サーティーワンの季節限定フレーバーを食べに嬉々として並び、漫画を読んでげらげら笑いTVドラマを観て美形俳優にうっとりとする。
失恋なんてそんなものだ。人生、誰かを大切に思う機会など無限にある。そのうちの一人、しかも恋愛というそもそも熱病のような関係を失った程度の傷なんて、本当に時間薬で消えるものだ。
すっかり元気を取り戻した私に、知人が声をかけてきた。私の親しい友人の元恋人で、最近友人に振られたばかりで酷く傷ついていた。私経由でもう一度友人と復縁したい様子だった。
知人とはそれから何度も食事に行った。育ちの良さを感じさせる、食べ方の美しい人だった。昔の話や趣味の話で楽しく盛り上がりながらも、デザートのタイミングでいつも友人の最近の様子や、復縁できる可能性の有無の話になる。知人もまた、あの頃の私と同じように激しく傷つき、心臓を痛めていた。
私は知人に、復縁をいつまでも願うのではなく、今は美味しいものを食べ、自然を歩き、人と会話し、心を癒すことを説き続けた。大丈夫、恋人と復縁しなくても傷はいつか癒えるから。今はどんなに辛くても、時間が全てを解決してくれるからと。
そう説きながら、私は不思議な感覚を覚えてもいた。知人を励まし、相手が少しずつ笑顔が増えてくるようになると、私はあの頃の傷ついていた自分が救われる気がした。そうか、あのとき私が負った傷は、今この人を癒すためのものだったのかと。
いつの世も知識は廻る。千年前の文学に心癒やされることがあるように、私自身の経験した傷や痛み、たくさんの別れと裏切り、もちろん自分自身の糧にするのも正解だが、もしかしたら身近な誰かを助けるための知識に変えられるのかもしれない。誰かのために役立つのかもしれない。
そう考えると、どんな傷でも受けて立とうじゃないかと思えはしないだろうか。
「もしもタイムマシンがあったなら、未来と過去どちらに行く?」
そんな話題が出たのは、新宿のオフィス街の定食屋で同僚と昼食を取っていた時だった。
がやがやと騒がしく、所謂サラリーマンのオジサン達で溢れる店内にいたせいか、あぁ私も大人になっちまったな、と、妙な寂しさと時の流れへの自嘲を感じていた。
そんな中での話題だったせいか、私は「高校時代に戻りたい」と即答していた。先輩は「過去はもう体験したのだから戻る意味がない、未来にしか興味ない」と答え、そんな発想もあるのかと驚いた。確かにその先輩は、定食屋でも毎回違うメニューを食べていた気がする。
私が高校時代に戻りたい理由はたったひとつ、あの頃の輝きが人生のピークだと確信しているからだ。決して悲観ではない。私の人生には、あんなにも輝かしい時代があったのだ、なんと素晴らしい人生じゃないか、と心の底から思っている。
一度、卒業後に母校へ帰ったことがある。夏休みだったのか、学生は誰もおらず、がらんとした校舎を誰の許可も得ずぶらぶらと歩いた(今考えれば、警備的に問題だろう)。
校舎に入れば、自ずと高校時代の気持ちに戻れるのだと信じていた。懐かしい風景、皆が名前を雑多に貼った下駄箱、緑が生い茂る中庭、校舎裏に何故か生えていた葱。
だがその校舎で感じたのは、帰郷したよろこびではなく、それらすべてが過ぎ去ってしまったことを実感させられた喪失感だった。教室も、下駄箱も、グラウンドも、あの頃あの仲間たちがいたからこそ私の高校時代は成り立っていた。私が戻りたい場所は校舎「そのもの」ではなく、学友たちの輪の中だったのだ。
その場所には、タイムマシンがないと帰れない。
私は私に名前をつけるのが好きだ。
SNSやブログ、オンラインゲーム、時には行きつけのバーでも本名とは異なる名前を自分につけて名乗る。一体いくつの名前を持っているのか自分でも把握していないくらい、多くの名前を名乗っている。自分への名付けはもはや趣味の域だ。
名前をつけるとき、ひとつ必ず守る法則がある。中性的な名前、男性でも女性でもいる名前をつけることだ。あおい、つばさ、ゆうき、まこと、ひかる、れい…「男女どちらでも通じる名前」は意外とたくさんある。
中性的で、名前だけではどちらの性別なのか分からないというだけで、人はどこかミステリアスな雰囲気を纏うことができる。話す内容は普通でも。これはなかなかお得な効力だと思う。
そもそも、「男性的な名前」「女性的な名前」というくくり自体が何物なのだろうか。愛情豊かな子に育ってほしいと願っても、男児に「愛」と名付けるのはなぜためらわれるのか。多様性の時代が進むとともに、名前も男女の垣根が消えていくのだろうか。
そうなってくれると、私にとっては名乗る名前の選択肢が広がるのでありがたい。
ちなみにこのアプリでは、私は男女どちらだと思われているのだろうか。出来る限り性別不明のミステリアスでありたいのだが。
中央・総武線はよくダイヤが乱れる。これはもうこの路線が抱える宿命のようなものなのだろう。
私の通勤路は東西線だが、中野で総武線へ乗り入れてそのまま吉祥寺へ向かう。総武線直通・三鷹行き。それが私の通勤路だ。
だがこのルーティンが、総武線のダイヤ乱れによってしょっちゅう崩れる。直通運転が中止され、中野で総武線へ乗り換えなければいけない。ホームを移動するので地味に疲れるし、読んでいた本を一度閉じて移動しなければならないのが億劫だ。
今日もまた、ダイヤ乱れで直通運転がなくなった。中野で階段を降り、別のホームへの階段をよっこらせと上る。
ホームが1列にずらりと並ぶ中野駅の中央コンコースが苦手だ。人々が自分の目的のホームへ向かって一直線に進んでいく。人の流れに決まった法則がなく、まさに予測不能。
あぁ嫌だ嫌だ。今日も人の行き交う中をすり抜けながらホームを移動する。
ふと、視線の先に改札の外の景色が見えた。鮮やかなみどりの木々がきらきらと太陽の光を反射している。駅の外は光の世界だ。
悪くないな、と思う。雑踏の先に見える世界。私は外へ出ることはないが、嫌だ嫌だと人並みで揉まれて辟易しながら見る外の世界が、きらきらと美しいだなんて、何だか得した気分になれるじゃないか。
ダイヤが乱れた日には中野駅改札外の景色をご褒美に。さあ、総武線のホームへの階段を上ろうではないか。