手酷い失恋をした。誰もが経験する話だ。
心臓が丸ごと、傷をむき出しにしているような痛みで、街を歩くだけで、呼吸をするだけで刺激になりズキズキと痛む。時間薬という言葉が信じられない、こんなに痛い思いをしてまで自分が今後他の人を好きになる姿が想像できない。
だが、失恋したてのの頃なんてまぁそんなものだ。気づけばもりもりご飯を食べ、サーティーワンの季節限定フレーバーを食べに嬉々として並び、漫画を読んでげらげら笑いTVドラマを観て美形俳優にうっとりとする。
失恋なんてそんなものだ。人生、誰かを大切に思う機会など無限にある。そのうちの一人、しかも恋愛というそもそも熱病のような関係を失った程度の傷なんて、本当に時間薬で消えるものだ。
すっかり元気を取り戻した私に、知人が声をかけてきた。私の親しい友人の元恋人で、最近友人に振られたばかりで酷く傷ついていた。私経由でもう一度友人と復縁したい様子だった。
知人とはそれから何度も食事に行った。育ちの良さを感じさせる、食べ方の美しい人だった。昔の話や趣味の話で楽しく盛り上がりながらも、デザートのタイミングでいつも友人の最近の様子や、復縁できる可能性の有無の話になる。知人もまた、あの頃の私と同じように激しく傷つき、心臓を痛めていた。
私は知人に、復縁をいつまでも願うのではなく、今は美味しいものを食べ、自然を歩き、人と会話し、心を癒すことを説き続けた。大丈夫、恋人と復縁しなくても傷はいつか癒えるから。今はどんなに辛くても、時間が全てを解決してくれるからと。
そう説きながら、私は不思議な感覚を覚えてもいた。知人を励まし、相手が少しずつ笑顔が増えてくるようになると、私はあの頃の傷ついていた自分が救われる気がした。そうか、あのとき私が負った傷は、今この人を癒すためのものだったのかと。
いつの世も知識は廻る。千年前の文学に心癒やされることがあるように、私自身の経験した傷や痛み、たくさんの別れと裏切り、もちろん自分自身の糧にするのも正解だが、もしかしたら身近な誰かを助けるための知識に変えられるのかもしれない。誰かのために役立つのかもしれない。
そう考えると、どんな傷でも受けて立とうじゃないかと思えはしないだろうか。
7/27/2024, 4:47:58 AM