「もしもタイムマシンがあったなら、未来と過去どちらに行く?」
そんな話題が出たのは、新宿のオフィス街の定食屋で同僚と昼食を取っていた時だった。
がやがやと騒がしく、所謂サラリーマンのオジサン達で溢れる店内にいたせいか、あぁ私も大人になっちまったな、と、妙な寂しさと時の流れへの自嘲を感じていた。
そんな中での話題だったせいか、私は「高校時代に戻りたい」と即答していた。先輩は「過去はもう体験したのだから戻る意味がない、未来にしか興味ない」と答え、そんな発想もあるのかと驚いた。確かにその先輩は、定食屋でも毎回違うメニューを食べていた気がする。
私が高校時代に戻りたい理由はたったひとつ、あの頃の輝きが人生のピークだと確信しているからだ。決して悲観ではない。私の人生には、あんなにも輝かしい時代があったのだ、なんと素晴らしい人生じゃないか、と心の底から思っている。
一度、卒業後に母校へ帰ったことがある。夏休みだったのか、学生は誰もおらず、がらんとした校舎を誰の許可も得ずぶらぶらと歩いた(今考えれば、警備的に問題だろう)。
校舎に入れば、自ずと高校時代の気持ちに戻れるのだと信じていた。懐かしい風景、皆が名前を雑多に貼った下駄箱、緑が生い茂る中庭、校舎裏に何故か生えていた葱。
だがその校舎で感じたのは、帰郷したよろこびではなく、それらすべてが過ぎ去ってしまったことを実感させられた喪失感だった。教室も、下駄箱も、グラウンドも、あの頃あの仲間たちがいたからこそ私の高校時代は成り立っていた。私が戻りたい場所は校舎「そのもの」ではなく、学友たちの輪の中だったのだ。
その場所には、タイムマシンがないと帰れない。
7/22/2024, 10:30:09 AM