〈夢を見てたい〉
母校の大学講堂の入口に立ち、私は深呼吸をした。冬の冷たい空気が肺に染みる。
「なっちゃん、久しぶり」
振り向くと、チャコ先輩が笑っていた。大学時代から変わらない呼び方に、胸の奥が少し温かくなる。倍率の高いチケットに外れて落ち込んでいた私に、先輩が声をかけてくれたのだった。
講堂の壁に貼られたポスターには、『すだこだか 復活ライブ』の文字。写真の中で並んで笑う二人を見て、先輩がぽつりと言う。
「まさか、こんな日が来るなんてね」
私は静かに頷いた。
――
十五年前、高校二年生だった私は、駅前の路上で初めて「すだこだか」の歌を聴いた。
部活の人間関係で悩み、勉強にも身が入らず、どこか投げやりな気持ちで歩いていた帰り道。ふと、温かくて力強い歌声に足を止めた。
小柄な青年と長身の青年が、ギター一本でハーモニーを響かせていた。
切なくて、希望に満ちた曲だった。
─明日が来るのが怖いし 足もすくむけど
─でも君とずっと 同じ夢を見てたい
サビの歌詞が、まっすぐに胸に届いた。気がつくと涙が頬を伝っていた。自分の気持ちを、この歌は知っていた。
路上ライブの帰り際、手書き文字のチラシをもらった。『すだこだか』という名前と、次回のライブ日程。そして「M大学軽音部所属」の文字。
それから私は、時間を見つけては路上ライブに通った。そこで声をかけてくれたのが、M大学四年生のチャコ先輩だった。
「この二人、絶対に売れるよ」
その言葉と一緒に、私の中に小さな夢が芽生えた。この大学に入りたい。「すだこだか」がいる場所で、学生になりたい。
自分でも不純な動機だったけど、投げやりだった学生生活に気合いが入ったのは事実だ。
厳しい受験勉強の支えは、彼らの歌だった。
そして春、合格発表で番号を見つけた瞬間、真っ先に浮かんだのも二人の顔だった。
大学に入ってからも、私は彼らの歌を追い続けた。
ファンは増え続け、ライブハウスでの公演も始まった。自主制作CDは完売が続き、レコード会社の人が名刺を置いていくようにもなった。
「そろそろメジャーデビューかもね」
先輩の言葉に、私は胸を躍らせた。このまま二人で、ずっと歌い続けてくれると信じていた。
でも、秋に聞こえてきた噂は「解散」だった。
理由はわからないまま、クリスマスのラストライブが行われた。
ラストの曲。「夢を見てたい」。
サビが始まると、ファンが一斉に歌い出した。私も歌った。チャコ先輩も歌った。涙を流しながら歌う人もいた。
でも、私は泣けなかった。
涙を流したら、本当に終わってしまう気がしたから。
──
それから十二年。
小高さんはソロアーティストとして成功し、私は今も彼の音楽を聴いていた。でも時々思う。ここに須田さんの声があったら、と。
先月、小高さんの新曲が配信された。
いつものようにヘッドホンで聴いていた私は、サビのコーラスに聞き覚えがあることに気づいた。
「……須田さん?」
動画の最後に流れたクレジットで「Yasuo Suda」の文字を見つけた瞬間、心臓が止まりそうになった。
その夜の配信で、画面に二人が並んだ。
あの頃よりちょっと老けたけど、笑顔は昔のままだ。
「初めまして。……そうじゃない人には、ただいま」
須田さんの声を聞いた瞬間、涙が溢れた。
あの日、流せなかった涙が、今になって止まらなくなった。
──
そして今日。
講堂の照明が落ち、スクリーンに十二年前の駅前、ラストライブの映像が映し出される。
誰が撮っていたのだろう。「夢を見てたい」を歌う、若い二人。
ファンの歌声が流れる映像が終わると、ステージに光が当たった。
そこに、小高洋人と須田泰夫がいた。
湧き上がる拍手の中、ギターの音色が響き、あのハーモニーが広がる。
─きみとずっと 同じ夢を見てたい─
隣でチャコ先輩が泣いていた。私も泣いていた。
十二年分の時間を重ねた声は、あの日よりも深く、温かかった。でも、重なり合う息遣いは変わっていない。
曲が終わり、会場が大きな拍手に包まれる。
「ずっと、夢を見てたかったんです」
小高さんの言葉に、須田さんが続けた。
「皆さんと一緒に、また夢を見させてください」
私とチャコ先輩は、涙でぐしゃぐしゃの顔で笑い合った。
夢は終わっていなかった。
ただ、続きを始める時を待っていただけだった。
そして今その続きを、私は確かに見ている。
ずっと、同じ夢を。
──────
「失われた響き」「君と紡ぐ物語」の続編、「すだこだか」のお話です。前のお話も読んでいただけると幸いです。
もっともっと長いお話でしたが、ここに載せる用に短縮版です。
「えびだかカニだか、すだこだか!」ってフレーズを使いたいんですけどねぇ、使いどころがなくなってしまいました(´・ω・`)
〈ずっとこのまま〉
俺は背が高い。一八六センチ。
それ自体は悪いことじゃない。けれど、服を買うときはいつもサイズが微妙に合わないし、教室では自然と目立つから、授業でもすぐ当てられる。
なるべく目立たないようにしているつもりでも、そうはいかない。
小川さんは小さい。
一五〇センチ弱だろうか。ゼミで隣に座ると、頭一つ分以上違う。
この間の帰りの電車で、人混みに流されそうになった彼女を助けた。
とっさにつかんだ、小さな手の感触。
そのあと並んで座って話をした。彼女が自分の手にコンプレックスを持っていること。
あれから一週間。
小川さんのことを考えない日はない。
ゼミの教室に入ると、彼女はいつもの席に座っていた。資料を広げ、ペンを走らせている。その横顔を見ただけで、心拍数が上がる。
隣に座ろうとして、足が止まった。
今日も隣でいいのか。
毎回同じだと意識されないか。でも離れるのも不自然で——。
「大田、何してんの」
背中から声をかけられて、びくっとした。杉谷が呆れた顔で立っている。
「入口で固まってたぞ」 「……別に」
肩を叩かれて、我に返る。結局、俺はいつもの席に座った。
「おはよう」 「おはよう、大田くん」
彼女が笑う。それだけで、少し肩の力が抜けた。
ゼミが始まる。
先生の話を聞きながら、つい横目で彼女を見てしまう。ノートをとる小さな手。整った文字。
「大田くん、どう思う?」
名前を呼ばれて、我に返った。
「え、あ……」
頭が真っ白になる。
こういうとき、背が高いことまで目立っている気がして、余計に落ち着かない。
「じゃあ、小川さん」 「はい」
彼女は落ち着いて答えた。ちゃんと集中している。
俺は何をやってるんだ。
ゼミが終わると、逃げるように教室を出た。
廊下のベンチで頭を抱えていると、杉谷が缶コーヒーを差し出してくる。
「小川さんのこと、好きなんだろ」
否定できなかった。
「どうすればいいかわかんない」 「まずは普通に仲良くなれよ。変に構えすぎ」
その言葉が、すっと胸に落ちた。
「この前の打ち上げでさ。『大田くんって親切だよね』って言ってたぞ」
胸が熱くなる。
「次のゼミ、頑張れよ」
杉谷はそう言って去っていった。
三日後のゼミ。
俺は深呼吸して教室に入った。
「おはよう」 「おはよう。今日も寒いね」 「自販機のホット、全部売り切れてた」 「え、じゃあ帰りにコンビニ寄らなきゃ」
気づけば、会話が続いていた。
今日は小川さんの発表だった。
丁寧で、わかりやすい説明。質疑応答で、俺も手を挙げた。
「この部分、もう少し詳しく聞きたい」
彼女は嬉しそうに答えてくれた。
ゼミが終わって、並んで廊下を歩く。
「今日の発表、すごくよかった」 「ありがとう。大田くんの質問、助かった」
照れくさくて、頭をかく。
「あのさ」
小川さんが立ち止まった。
「次のゼミの準備、一緒にやらない?」
はね上がる心拍数を抑えて、言葉にする。でも、慌てなかった。
「うん、いいよ」 「じゃあ、明後日の放課後、図書館で」
夕日が廊下に差し込んで、彼女の横顔を照らしている。
こうして隣を歩いて、他愛もない話をして、笑う。
特別なことは何もない。
──ずっとこのまま、この時間が続けばいい。
背が高いとか、小さいとか。
そういうことを気にしなくていい、この距離が心地いい。
夕焼けの中、俺たちの影が廊下に長く伸びていた。
──────
「手のひらの贈り物」続編です。大きな大田君と小さな小川さんのお話。
この先、進展はあるんですかねぇ笑
〈寒さが身に染みて〉
自動ドアが開くたび、冷たい風が吹き込んでくる。
思わず身をすくめる。ふた月ぶりの外の空気は、思っていたよりずっと冷たい。
「外は寒いですよ」
嫁の佐和子さんが、手にしていたダウンコートを私の肩に掛けてくれた。家から持ってきてくれたのだ。
骨折してこの病院に入院するときには、まだ秋の終わりだった。退院する今は、もう冬本番だ。
「ありがとう」
袖に腕を通す。ふわりと包み込まれる感触が、どこかほっとさせる。
「ふた月ずっと部屋の中だったから、一層寒いでしょうね」
佐和子さんの言葉に、私は頷いた。
息子の一雄は車を取りに駐車場へ行った。
病院のロビーで待つ間、ガラス越しに外を眺める。木枯らしが吹き、枯れ葉がくるくると舞っている。そのうち風に乗って、どこか遠くへ飛んでいく。
「病院の中は暖かいんだけどね」
ふと、口をついて出た。
「夜は寒さが身に染みるのよ」
佐和子さんが、少し驚いたような顔でこちらを見た。
──
夜の病室は、昼間とは違った。
消灯時間が過ぎると、廊下の明かりだけが頼りになる。薄暗い部屋の中で、天井を見つめる。
空調は効いているから、温度は十分なはずなのに、どうしてだろう。身体の芯から冷えてくるような気がした。
日中は看護師さんが声をかけてくれる。隣のベッドの患者さんと、たわいもない話をして笑い合う。リハビリの先生と一緒に廊下を歩く。忙しくしていれば、気は紛れた。
でも夜は、そうもいかない。
夫が亡くなってから、もう五年になる。一人には慣れたつもりだった。けれど、病院という見知らぬ場所で、見知らぬベッドで、ひとり目を覚ますと──
ああ、私は本当にひとりなんだと、あらためて思い知らされた。
寂しいから、余計寒さが身に染みる。
そう気づいたとき、ひとすじの涙が頬を伝った。誰にも見られていない暗闇で、私は静かに泣いた。
──
「ふみさん」
佐和子さんの声で、我に返った。
「コーヒーでも買ってきましょうか?」
心配そうに、私の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫よ」
私は笑顔を作った。
「家に帰ってお茶飲むのが楽しみなの」
「そう言うと思って」
佐和子さんが、嬉しそうに笑った。
「ここの横のカフェで焼き菓子買ったんですよ。
帰ったら紅茶淹れましょうね」
「まあ、ありがとう」
この人は、いつもそうだ。さりげなく、私が嬉しくなることをしてくれる。
ロータリーに、見慣れたフォルムの車が現れた。一雄が車を降りる。
「さあ、行きましょう」
佐和子さんが、私の腕をそっと支えてくれた。
自動ドアをくぐる。風が、ざあっと吹きつけてきた。
その冷たさに、思わず身震いする。枯れ葉が足元をかすめて、遠くへ飛んでいく。
でも、もう寒くはない。
佐和子さんの温かい手が、私の腕を支えている。一雄が車から降りて、こちらへ駆けてくる。
──ああ、私はひとりじゃない。
そう思ったら、胸の奥から、じんわりと温かいものが広がってきた。
冬の風は、確かに冷たい。でも、帰る家がある。待っていてくれる人がいる。一緒にお茶を飲んで、焼き菓子を食べて、他愛もない話をする。
そんな当たり前の幸せが、私を待っている。
寒さが身に染みる季節だからこそ、温もりの尊さが心にしみるのかもしれない。
──────
嫁姑漫才()ふみさん佐和子さんシリーズです。
コーヒーより紅茶の方が温まるような気がするのは、気のせいですかね?
やあ(´・ω・`)
「20歳」ってお題でまとめてたけど(´・ω・`)
昔のアレな記憶が蘇ったから書き直すよ(´・ω・`)
さっさと切り替えればちいのにね、やーね(´・ω・`)
じゃ(´・ω・`)
(´・ω:;.:...
〈三日月〉
定時のチャイムが鳴り、パソコンを閉じた。窓の外はもう薄暗く、街灯が一つずつ灯り始めている。
退職してから三年半。母は通院と多少の介護が必要だけれど、日常生活は送れるまでになった。
私は地元の小さな会社で週五日、事務のパート勤務をしている。
この会社は定時で帰れるし、休みも取りやすい。その点では前の職場よりずっと働きやすい。
けれど、昔ながらの体質が残っていて、細やかな改善を提案しても「今ので十分」と流されることが多い。書類の整理方法も、来客対応も、もう少し工夫すれば効率的になるのに、と思うことはある。
でも、それでいいのかもしれない。ここでは私が全力で走る必要はなく、穏やかに歩く場所なのだから。
会社を出ると、冷たい風が頬を撫でた。
ふと空を見上げると、西の空に細い三日月が浮かんでいる。
猫の目のように細く欠けた月。けれど、よく見ると暗い部分もうっすらと光っている。
地球照──地球を照らす太陽の反射光が月を照らす現象だと、昔どこかで読んだ。
駅へ向かう道を歩きながら、昨夜読んだメールのことを思い出す。
宇佐見さん──私が退職する少し前に入社した、後輩からの便りだった。
『岡部さん、お久しぶりです。お元気ですか?
この春の人事で、瀬尾さんが課長になりました。
相変わらず気遣いの人です。私が体調を崩して休んだ時も、『無理しないで』ってメールをくれて、翌日には業務の振り分けまで済ませてくれていました』
ああ、あの瀬尾さんなら。
異動してきたばかりの頃、不安そうに資料を確認していた姿が浮かぶ。その瀬尾さんが、今は誰かを気遣う立場になっている。
『岡部さんのお茶淹れマニュアル、今も使われているんですよ。
私も新人の頃に岡部さんに教わって、今は後輩に教える立場になりました。他のフロアにも広がっていて、岡部さんの名前を知らない新入社員も活用してます』
壁に貼られた、マニュアルの写真。
私が書いたメモを誰かが清書して、パウチまでされているのを見ると、少し不思議な気持ちになった。
あれは業績にも評価にも残らなかったけれど、若い人たちの間で静かに受け継がれている。私の名前が忘れられても、誰かの役に立ち、それがまた誰かを照らしている。
信号待ちで足を止め、もう一度空を見上げた。
すっかり暮れた空で、三日月はさっきより光を増している。
自分が前の会社で残したものは、もう私の手を離れて、若い人たちの中で静かに息づいている。それが巡り巡って、また誰かを照らしているのかもしれない。
今の私も、小さな職場で細々とした光を放っている。
評価されることもなく、大きく満ちることもないけれど、三日月のように欠けていても、見えないところで光は巡っている。
いつか、この小さな光も誰かを照らし返すかもしれない。
そう思いながら、青に変わった信号を渡った。
──────
「moonlight」「君を照らす月」「心の片隅で」の続編?です。
ベタベタな話は苦手なので、ほんのり匂わせつつ(笑)こんな形で話を続けるのは少し楽しいですね。