汀月透子

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1/14/2026, 6:20:17 AM


〈夢を見てたい〉

 母校の大学講堂の入口に立ち、私は深呼吸をした。冬の冷たい空気が肺に染みる。

「なっちゃん、久しぶり」

 振り向くと、チャコ先輩が笑っていた。大学時代から変わらない呼び方に、胸の奥が少し温かくなる。倍率の高いチケットに外れて落ち込んでいた私に、先輩が声をかけてくれたのだった。

 講堂の壁に貼られたポスターには、『すだこだか 復活ライブ』の文字。写真の中で並んで笑う二人を見て、先輩がぽつりと言う。

「まさか、こんな日が来るなんてね」

 私は静かに頷いた。

――

 十五年前、高校二年生だった私は、駅前の路上で初めて「すだこだか」の歌を聴いた。

 部活の人間関係で悩み、勉強にも身が入らず、どこか投げやりな気持ちで歩いていた帰り道。ふと、温かくて力強い歌声に足を止めた。

 小柄な青年と長身の青年が、ギター一本でハーモニーを響かせていた。
 切なくて、希望に満ちた曲だった。

─明日が来るのが怖いし 足もすくむけど
─でも君とずっと 同じ夢を見てたい

 サビの歌詞が、まっすぐに胸に届いた。気がつくと涙が頬を伝っていた。自分の気持ちを、この歌は知っていた。

 路上ライブの帰り際、手書き文字のチラシをもらった。『すだこだか』という名前と、次回のライブ日程。そして「M大学軽音部所属」の文字。

 それから私は、時間を見つけては路上ライブに通った。そこで声をかけてくれたのが、M大学四年生のチャコ先輩だった。

「この二人、絶対に売れるよ」

 その言葉と一緒に、私の中に小さな夢が芽生えた。この大学に入りたい。「すだこだか」がいる場所で、学生になりたい。
 自分でも不純な動機だったけど、投げやりだった学生生活に気合いが入ったのは事実だ。

 厳しい受験勉強の支えは、彼らの歌だった。
 そして春、合格発表で番号を見つけた瞬間、真っ先に浮かんだのも二人の顔だった。

 大学に入ってからも、私は彼らの歌を追い続けた。
 ファンは増え続け、ライブハウスでの公演も始まった。自主制作CDは完売が続き、レコード会社の人が名刺を置いていくようにもなった。

「そろそろメジャーデビューかもね」

 先輩の言葉に、私は胸を躍らせた。このまま二人で、ずっと歌い続けてくれると信じていた。

 でも、秋に聞こえてきた噂は「解散」だった。

 理由はわからないまま、クリスマスのラストライブが行われた。

 ラストの曲。「夢を見てたい」。
 サビが始まると、ファンが一斉に歌い出した。私も歌った。チャコ先輩も歌った。涙を流しながら歌う人もいた。

 でも、私は泣けなかった。
 涙を流したら、本当に終わってしまう気がしたから。

──

 それから十二年。

 小高さんはソロアーティストとして成功し、私は今も彼の音楽を聴いていた。でも時々思う。ここに須田さんの声があったら、と。

 先月、小高さんの新曲が配信された。
 いつものようにヘッドホンで聴いていた私は、サビのコーラスに聞き覚えがあることに気づいた。

「……須田さん?」

動画の最後に流れたクレジットで「Yasuo Suda」の文字を見つけた瞬間、心臓が止まりそうになった。

 その夜の配信で、画面に二人が並んだ。
 あの頃よりちょっと老けたけど、笑顔は昔のままだ。
「初めまして。……そうじゃない人には、ただいま」
 須田さんの声を聞いた瞬間、涙が溢れた。
 あの日、流せなかった涙が、今になって止まらなくなった。

──

 そして今日。

 講堂の照明が落ち、スクリーンに十二年前の駅前、ラストライブの映像が映し出される。
 誰が撮っていたのだろう。「夢を見てたい」を歌う、若い二人。

 ファンの歌声が流れる映像が終わると、ステージに光が当たった。
 そこに、小高洋人と須田泰夫がいた。

 湧き上がる拍手の中、ギターの音色が響き、あのハーモニーが広がる。

─きみとずっと 同じ夢を見てたい─

 隣でチャコ先輩が泣いていた。私も泣いていた。
 十二年分の時間を重ねた声は、あの日よりも深く、温かかった。でも、重なり合う息遣いは変わっていない。

 曲が終わり、会場が大きな拍手に包まれる。

「ずっと、夢を見てたかったんです」

 小高さんの言葉に、須田さんが続けた。

「皆さんと一緒に、また夢を見させてください」

 私とチャコ先輩は、涙でぐしゃぐしゃの顔で笑い合った。

 夢は終わっていなかった。
 ただ、続きを始める時を待っていただけだった。

 そして今その続きを、私は確かに見ている。
 ずっと、同じ夢を。

──────

「失われた響き」「君と紡ぐ物語」の続編、「すだこだか」のお話です。前のお話も読んでいただけると幸いです。

もっともっと長いお話でしたが、ここに載せる用に短縮版です。
「えびだかカニだか、すだこだか!」ってフレーズを使いたいんですけどねぇ、使いどころがなくなってしまいました(´・ω・`)

1/13/2026, 9:17:07 AM

〈ずっとこのまま〉

 俺は背が高い。一八六センチ。
 それ自体は悪いことじゃない。けれど、服を買うときはいつもサイズが微妙に合わないし、教室では自然と目立つから、授業でもすぐ当てられる。
 なるべく目立たないようにしているつもりでも、そうはいかない。

 小川さんは小さい。
 一五〇センチ弱だろうか。ゼミで隣に座ると、頭一つ分以上違う。

 この間の帰りの電車で、人混みに流されそうになった彼女を助けた。
 とっさにつかんだ、小さな手の感触。
 そのあと並んで座って話をした。彼女が自分の手にコンプレックスを持っていること。

 あれから一週間。
 小川さんのことを考えない日はない。

 ゼミの教室に入ると、彼女はいつもの席に座っていた。資料を広げ、ペンを走らせている。その横顔を見ただけで、心拍数が上がる。

 隣に座ろうとして、足が止まった。

 今日も隣でいいのか。
 毎回同じだと意識されないか。でも離れるのも不自然で——。

「大田、何してんの」

 背中から声をかけられて、びくっとした。杉谷が呆れた顔で立っている。

「入口で固まってたぞ」 「……別に」

 肩を叩かれて、我に返る。結局、俺はいつもの席に座った。

「おはよう」 「おはよう、大田くん」

 彼女が笑う。それだけで、少し肩の力が抜けた。

 ゼミが始まる。
 先生の話を聞きながら、つい横目で彼女を見てしまう。ノートをとる小さな手。整った文字。

「大田くん、どう思う?」

 名前を呼ばれて、我に返った。

「え、あ……」

 頭が真っ白になる。
 こういうとき、背が高いことまで目立っている気がして、余計に落ち着かない。

「じゃあ、小川さん」 「はい」

 彼女は落ち着いて答えた。ちゃんと集中している。

 俺は何をやってるんだ。

 ゼミが終わると、逃げるように教室を出た。
 廊下のベンチで頭を抱えていると、杉谷が缶コーヒーを差し出してくる。

「小川さんのこと、好きなんだろ」

 否定できなかった。

「どうすればいいかわかんない」 「まずは普通に仲良くなれよ。変に構えすぎ」

 その言葉が、すっと胸に落ちた。

「この前の打ち上げでさ。『大田くんって親切だよね』って言ってたぞ」

 胸が熱くなる。

「次のゼミ、頑張れよ」

 杉谷はそう言って去っていった。

 三日後のゼミ。
 俺は深呼吸して教室に入った。

「おはよう」 「おはよう。今日も寒いね」 「自販機のホット、全部売り切れてた」 「え、じゃあ帰りにコンビニ寄らなきゃ」

 気づけば、会話が続いていた。

 今日は小川さんの発表だった。
 丁寧で、わかりやすい説明。質疑応答で、俺も手を挙げた。

「この部分、もう少し詳しく聞きたい」

 彼女は嬉しそうに答えてくれた。

 ゼミが終わって、並んで廊下を歩く。

「今日の発表、すごくよかった」 「ありがとう。大田くんの質問、助かった」

 照れくさくて、頭をかく。

「あのさ」

 小川さんが立ち止まった。

「次のゼミの準備、一緒にやらない?」

 はね上がる心拍数を抑えて、言葉にする。でも、慌てなかった。

「うん、いいよ」 「じゃあ、明後日の放課後、図書館で」

 夕日が廊下に差し込んで、彼女の横顔を照らしている。

 こうして隣を歩いて、他愛もない話をして、笑う。
 特別なことは何もない。

──ずっとこのまま、この時間が続けばいい。

 背が高いとか、小さいとか。
 そういうことを気にしなくていい、この距離が心地いい。

 夕焼けの中、俺たちの影が廊下に長く伸びていた。

──────

「手のひらの贈り物」続編です。大きな大田君と小さな小川さんのお話。
この先、進展はあるんですかねぇ笑

1/12/2026, 2:31:25 AM

〈寒さが身に染みて〉

 自動ドアが開くたび、冷たい風が吹き込んでくる。
 思わず身をすくめる。ふた月ぶりの外の空気は、思っていたよりずっと冷たい。

「外は寒いですよ」

 嫁の佐和子さんが、手にしていたダウンコートを私の肩に掛けてくれた。家から持ってきてくれたのだ。
 骨折してこの病院に入院するときには、まだ秋の終わりだった。退院する今は、もう冬本番だ。

「ありがとう」

 袖に腕を通す。ふわりと包み込まれる感触が、どこかほっとさせる。

「ふた月ずっと部屋の中だったから、一層寒いでしょうね」

 佐和子さんの言葉に、私は頷いた。

 息子の一雄は車を取りに駐車場へ行った。
 病院のロビーで待つ間、ガラス越しに外を眺める。木枯らしが吹き、枯れ葉がくるくると舞っている。そのうち風に乗って、どこか遠くへ飛んでいく。

「病院の中は暖かいんだけどね」

 ふと、口をついて出た。

「夜は寒さが身に染みるのよ」

 佐和子さんが、少し驚いたような顔でこちらを見た。

──

 夜の病室は、昼間とは違った。

 消灯時間が過ぎると、廊下の明かりだけが頼りになる。薄暗い部屋の中で、天井を見つめる。
 空調は効いているから、温度は十分なはずなのに、どうしてだろう。身体の芯から冷えてくるような気がした。

 日中は看護師さんが声をかけてくれる。隣のベッドの患者さんと、たわいもない話をして笑い合う。リハビリの先生と一緒に廊下を歩く。忙しくしていれば、気は紛れた。

 でも夜は、そうもいかない。

 夫が亡くなってから、もう五年になる。一人には慣れたつもりだった。けれど、病院という見知らぬ場所で、見知らぬベッドで、ひとり目を覚ますと──

 ああ、私は本当にひとりなんだと、あらためて思い知らされた。

 寂しいから、余計寒さが身に染みる。

 そう気づいたとき、ひとすじの涙が頬を伝った。誰にも見られていない暗闇で、私は静かに泣いた。

──

「ふみさん」

 佐和子さんの声で、我に返った。

「コーヒーでも買ってきましょうか?」

 心配そうに、私の顔を覗き込んでいる。

「大丈夫よ」

 私は笑顔を作った。

「家に帰ってお茶飲むのが楽しみなの」
「そう言うと思って」

 佐和子さんが、嬉しそうに笑った。

「ここの横のカフェで焼き菓子買ったんですよ。
 帰ったら紅茶淹れましょうね」
「まあ、ありがとう」

 この人は、いつもそうだ。さりげなく、私が嬉しくなることをしてくれる。

 ロータリーに、見慣れたフォルムの車が現れた。一雄が車を降りる。

「さあ、行きましょう」

 佐和子さんが、私の腕をそっと支えてくれた。

 自動ドアをくぐる。風が、ざあっと吹きつけてきた。
 その冷たさに、思わず身震いする。枯れ葉が足元をかすめて、遠くへ飛んでいく。
 でも、もう寒くはない。

 佐和子さんの温かい手が、私の腕を支えている。一雄が車から降りて、こちらへ駆けてくる。

──ああ、私はひとりじゃない。

 そう思ったら、胸の奥から、じんわりと温かいものが広がってきた。

 冬の風は、確かに冷たい。でも、帰る家がある。待っていてくれる人がいる。一緒にお茶を飲んで、焼き菓子を食べて、他愛もない話をする。

 そんな当たり前の幸せが、私を待っている。

 寒さが身に染みる季節だからこそ、温もりの尊さが心にしみるのかもしれない。

──────

嫁姑漫才()ふみさん佐和子さんシリーズです。
コーヒーより紅茶の方が温まるような気がするのは、気のせいですかね?

1/11/2026, 7:09:20 AM

やあ(´・ω・`)

「20歳」ってお題でまとめてたけど(´・ω・`)

昔のアレな記憶が蘇ったから書き直すよ(´・ω・`)

さっさと切り替えればちいのにね、やーね(´・ω・`)

じゃ(´・ω・`)

(´・ω:;.:...

1/10/2026, 4:14:04 AM

〈三日月〉

 定時のチャイムが鳴り、パソコンを閉じた。窓の外はもう薄暗く、街灯が一つずつ灯り始めている。
 退職してから三年半。母は通院と多少の介護が必要だけれど、日常生活は送れるまでになった。
 私は地元の小さな会社で週五日、事務のパート勤務をしている。

 この会社は定時で帰れるし、休みも取りやすい。その点では前の職場よりずっと働きやすい。
 けれど、昔ながらの体質が残っていて、細やかな改善を提案しても「今ので十分」と流されることが多い。書類の整理方法も、来客対応も、もう少し工夫すれば効率的になるのに、と思うことはある。
 でも、それでいいのかもしれない。ここでは私が全力で走る必要はなく、穏やかに歩く場所なのだから。

 会社を出ると、冷たい風が頬を撫でた。
 ふと空を見上げると、西の空に細い三日月が浮かんでいる。
 猫の目のように細く欠けた月。けれど、よく見ると暗い部分もうっすらと光っている。
 地球照──地球を照らす太陽の反射光が月を照らす現象だと、昔どこかで読んだ。

 駅へ向かう道を歩きながら、昨夜読んだメールのことを思い出す。
 宇佐見さん──私が退職する少し前に入社した、後輩からの便りだった。

『岡部さん、お久しぶりです。お元気ですか?
 この春の人事で、瀬尾さんが課長になりました。
 相変わらず気遣いの人です。私が体調を崩して休んだ時も、『無理しないで』ってメールをくれて、翌日には業務の振り分けまで済ませてくれていました』

 ああ、あの瀬尾さんなら。
 異動してきたばかりの頃、不安そうに資料を確認していた姿が浮かぶ。その瀬尾さんが、今は誰かを気遣う立場になっている。

『岡部さんのお茶淹れマニュアル、今も使われているんですよ。
 私も新人の頃に岡部さんに教わって、今は後輩に教える立場になりました。他のフロアにも広がっていて、岡部さんの名前を知らない新入社員も活用してます』

 壁に貼られた、マニュアルの写真。
 私が書いたメモを誰かが清書して、パウチまでされているのを見ると、少し不思議な気持ちになった。
 あれは業績にも評価にも残らなかったけれど、若い人たちの間で静かに受け継がれている。私の名前が忘れられても、誰かの役に立ち、それがまた誰かを照らしている。

 信号待ちで足を止め、もう一度空を見上げた。
 すっかり暮れた空で、三日月はさっきより光を増している。

 自分が前の会社で残したものは、もう私の手を離れて、若い人たちの中で静かに息づいている。それが巡り巡って、また誰かを照らしているのかもしれない。

 今の私も、小さな職場で細々とした光を放っている。
 評価されることもなく、大きく満ちることもないけれど、三日月のように欠けていても、見えないところで光は巡っている。

 いつか、この小さな光も誰かを照らし返すかもしれない。
 そう思いながら、青に変わった信号を渡った。

──────

「moonlight」「君を照らす月」「心の片隅で」の続編?です。
ベタベタな話は苦手なので、ほんのり匂わせつつ(笑)こんな形で話を続けるのは少し楽しいですね。

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