汀月透子

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〈寒さが身に染みて〉

 自動ドアが開くたび、冷たい風が吹き込んでくる。
 思わず身をすくめる。ふた月ぶりの外の空気は、思っていたよりずっと冷たい。

「外は寒いですよ」

 嫁の佐和子さんが、手にしていたダウンコートを私の肩に掛けてくれた。家から持ってきてくれたのだ。
 骨折してこの病院に入院するときには、まだ秋の終わりだった。退院する今は、もう冬本番だ。

「ありがとう」

 袖に腕を通す。ふわりと包み込まれる感触が、どこかほっとさせる。

「ふた月ずっと部屋の中だったから、一層寒いでしょうね」

 佐和子さんの言葉に、私は頷いた。

 息子の一雄は車を取りに駐車場へ行った。
 病院のロビーで待つ間、ガラス越しに外を眺める。木枯らしが吹き、枯れ葉がくるくると舞っている。そのうち風に乗って、どこか遠くへ飛んでいく。

「病院の中は暖かいんだけどね」

 ふと、口をついて出た。

「夜は寒さが身に染みるのよ」

 佐和子さんが、少し驚いたような顔でこちらを見た。

──

 夜の病室は、昼間とは違った。

 消灯時間が過ぎると、廊下の明かりだけが頼りになる。薄暗い部屋の中で、天井を見つめる。
 空調は効いているから、温度は十分なはずなのに、どうしてだろう。身体の芯から冷えてくるような気がした。

 日中は看護師さんが声をかけてくれる。隣のベッドの患者さんと、たわいもない話をして笑い合う。リハビリの先生と一緒に廊下を歩く。忙しくしていれば、気は紛れた。

 でも夜は、そうもいかない。

 夫が亡くなってから、もう五年になる。一人には慣れたつもりだった。けれど、病院という見知らぬ場所で、見知らぬベッドで、ひとり目を覚ますと──

 ああ、私は本当にひとりなんだと、あらためて思い知らされた。

 寂しいから、余計寒さが身に染みる。

 そう気づいたとき、ひとすじの涙が頬を伝った。誰にも見られていない暗闇で、私は静かに泣いた。

──

「ふみさん」

 佐和子さんの声で、我に返った。

「コーヒーでも買ってきましょうか?」

 心配そうに、私の顔を覗き込んでいる。

「大丈夫よ」

 私は笑顔を作った。

「家に帰ってお茶飲むのが楽しみなの」
「そう言うと思って」

 佐和子さんが、嬉しそうに笑った。

「ここの横のカフェで焼き菓子買ったんですよ。
 帰ったら紅茶淹れましょうね」
「まあ、ありがとう」

 この人は、いつもそうだ。さりげなく、私が嬉しくなることをしてくれる。

 ロータリーに、見慣れたフォルムの車が現れた。一雄が車を降りる。

「さあ、行きましょう」

 佐和子さんが、私の腕をそっと支えてくれた。

 自動ドアをくぐる。風が、ざあっと吹きつけてきた。
 その冷たさに、思わず身震いする。枯れ葉が足元をかすめて、遠くへ飛んでいく。
 でも、もう寒くはない。

 佐和子さんの温かい手が、私の腕を支えている。一雄が車から降りて、こちらへ駆けてくる。

──ああ、私はひとりじゃない。

 そう思ったら、胸の奥から、じんわりと温かいものが広がってきた。

 冬の風は、確かに冷たい。でも、帰る家がある。待っていてくれる人がいる。一緒にお茶を飲んで、焼き菓子を食べて、他愛もない話をする。

 そんな当たり前の幸せが、私を待っている。

 寒さが身に染みる季節だからこそ、温もりの尊さが心にしみるのかもしれない。

──────

嫁姑漫才()ふみさん佐和子さんシリーズです。
コーヒーより紅茶の方が温まるような気がするのは、気のせいですかね?

1/12/2026, 2:31:25 AM