窓の多い家に暮らしていた。
夕方には雨戸を閉めるが、昼間は道路に面した窓はレースカーテン、そうでない窓はカーテンを開けて光を取り込んでいた。開放的で明るく、嫌いではなかったと思う。
ある時から遮光カーテンを閉め、家中の窓のロックを確認して周るようになった。
家の周りを見知らぬ男が自転車でぐるぐると周っていたのだ。廊下にいた私を見て、にやにやと笑い、リビングのレースカーテンの奥を見ようと顔を近づけてくる。
警察に通報したが、当たり前のようにパトカーを見た男は逃げ、警察は「いませんでした」と言う。
いつも見る夢は、男が鍵を開けて家に入ってくるのだ。
もう20年以上も同じ夢を見ては叫んで起きる。
こんな場所でないと、こんな話はできない。病んでいると、かわいそうぶっていると、面白可笑しく消費される。
ランボーと大して状況がかわらないことに最近気がついた。銃を持って立てこもらないことを、褒められても良い頃合だと思う。
やわらかで安全な寝床で一日を終える
明日の食料の心配がない
ねえ、と声をかければ大切なひとが返事をくれる
これが日常であり続けることを願い、そうでなくなることに怯えている
怯えているうちは大丈夫なのだと、祈る
ごく一部の人を最悪な気分にする話をしましょう。特にある漫画とアニメ作品のファンの方は大層嫌な気持ちで、今後その作品と向き合うことになるかもしれません。
私は一人旅も、一人でどこかへ泊まることもしたことがありません。
親が厳しかったからでも、生活が困窮していたわけでも、興味がなかったからでもありません。
10歳前後から複数回の性犯罪被害にあっていたためです。
ここで、読むのをやめようかなと思った方には、小さな想像力でも理解出来る、誰にでも当てはまる例えをご提供いたしましょう。
強盗の被害にあい、多額の金品を失ったけれど幸いにも軽傷で済んだあなたは、警察に連絡をします。今すぐに向かうと言われ安心したのもつかの間、到着した警察官はこう言うのです。
「この家はいけませんね!これでは強盗を呼び寄せているようなものですよ!」
もちろんあなたはこう答えます。
「なにがいけないのですか?」
ごく普通の慎ましいワンルームアパート。狭いながらも、苦楽を共にした我が家です。
「まず第一に、カーテンがついています!これはいけません。しかも窓にあったサイズです。こちらを買える財力があると見せびらかしている!」
「これはそう高価なカーテンではありませんが……」
いけません、全く駄目ですよと警察官は呆れたように笑います。
「キレイにしていらっしゃるのも良くありません。お洋服も破れても汚れてもいませんね。大変危険です。それに、手に持っているのはスマートフォンですよね?そんな高価なものを隠しもせず!気をつけてくださいね」
「今の時代にスマートフォンを持っていない社会人はほとんどいませんよ」
「いないということはありません、そういうことです」
これ以上は無駄だと言うように、警察官は手で話を遮ります。
「被害届けなどはどうしたらいいのでしょう?」
「はあ、出したいのであればどうぞ。報復などもありますからオススメはできませんよ」
そうして納得のいかない気持ちで被害届を出したあなたは、報復を恐れて引越しを決意しました。努力も虚しく、あなたはその後何回も空き巣や強盗に見舞われることになりますが……。
そうそう、友人に相談したら「強盗にある金があるという自慢か?!」と言われます。上司には「これからは気を付けて暮らしていきなさい」と無駄な助言を頂くことでしょう。
話を戻します。
それらのことを納得して、命よりも優先すべきことはないと自分を言い聞かせて生きてきました。SNSなどで一人旅の投稿を見るたびに羨ましい気持ちになりますが、個人の選択です。強盗にあったものが、その後強盗を警戒せず生きることは出来ませんが、優先順位は個人によって違いますから。もしかしたら、苦しみを乗り越えて旅行を楽しんでいらっしゃるのかもしれません。
ただ、ここ何年もずっと引っかかっている作品があるのです。具体名は控えますが、女の子がキャンプをするという内容の作品です。オシャレを楽しむ可愛らしい女性が、怯えることも憂うことも、邪魔をされることもなくキャンプを楽しむ姿は眩しく、素敵だなと思います。
ですが、その作品が男性に人気だと知り、少し苦しくなりました。
ほとんどのファンは、一般的に女性のキャンプにどのような危険が付き纏うのか、それがどれ程の恐怖かを知らないばかりか考えたこともないでしょう。武器を持っても、歳を重ねても、恐怖は完全に消えることは無いと理解できないでしょう。
それは非難されるようなことではなく、作品がそのような観点で作られていないので当たり前です。
その当たり前が苦しい。現実の女性の中に少なからず存在する「キャンプを楽しみたいが、恐怖ゆえに諦めている」人たちを無視しながら、彼らはかわいらしい女性キャラクターを愛しているのです。聖地巡礼と称して一人旅を楽しむこともあるでしょう。
ニュースに、被害の訴えに、目を背けたまま。
先日知った言葉で「デミロマンチック」というものがある。
私も意味をきちんと理解していないけれど、親しい人にしか恋愛感情を抱かない、というものらしい。一目惚れをせず、全く知らない他人に恋愛感情を抱くことを理解できない、等が当てはまり、なるほどなと思った。
アイドルや俳優にハマることはあっても、恋をしたりする感覚はずっと分かっていなかった。学生時代に友人が、話したこともない男の子のことを「好き!」と言っているのを見て「顔と恋愛するの?」と思っていたし、知らない人からの告白は「どうせ体目当て」と心を閉ざしていた。後者は正直合っているかもしれないけれど、真偽はわからない。ただ、どちらも軽蔑していた。
そんな私でも、恋愛経験がないわけではない……と先日までは思っていた。誰にも言えない秘密というのは、自分から「恋人」を望んだことが一度もないと気が付いてしまったこと。
数年前に結婚した夫とは元々、よく遊びよく話す友人だった。というより、今も友人だと思っている。何年かかけて友人として仲良くなり、告白されたので付き合い、結婚したのだ。しかし、告白された当初は夫に恋はしていなかった。ただ、断ったら大切な友人が離れてしまうと恐ろしくなり、大切な友人なのだから要望は叶えたいと思い、私も好きだった付き合おうとなったのだ。これはとても不誠実だったと思う。
(一つだけ先に言うと、私は夫のことが好きだ。いまから友人に戻ろうと言われたら、そう考えると胸が痛い。)
幸運なことに、付き合う、という行為にそこまで激しい抵抗感はなく、彼ならばいいか、という気持ちで数年付き合った。その中で、どこから芽生えたのかわからない、家族とも友人とも違うような、家族であり友人でも恋人でもあるような情が育った。めでたしと言えるだろう。
しかし先日、デミロマンチックの話を聞いたとき、私のなかの「恋愛」とは友愛や親愛に付属可能なオプションであり、自分から生み出すことは出来ないのでは?と疑念が浮かんだ。
思えば恋人というものがいたとき、全て相手からのアプローチで交際が始まっていた。いつも私の心にあったのは友人を失いたくないという気持ちだけ。永遠に友人でも良かった。そもそも相手は友人としてではなく恋愛の相手として仲良くしてくれていたのでは、と考え泣いたこともあった。
疑念を持ったところで、恋愛感情などという形もなければ定義も曖昧なものに結論は出ない。漠然と、私はそういうタイプの人間だったのかもしれないなあと思うだけである。
これを夫に話すと不安がらせてしまう気がするので、私はこの考えを秘密にしておこうと思う。