「試験前ってやたらと掃除するだろ?」
「あるあるだな」
「で、これだ」
そう言って竹中は目の前のプラモデルを示した。掌に乗せられる大きさのロボットはよく見ると、プラスティックの質感は見られず、紙で出来ているようだ。紙に写った文字まで、ロボットの柄に見える凝りようで作成の苦労がうかがえた。
「勉強しろよ」
ただえさえ明日の試験は、難しすぎて事前に参考例題が配られたぐらいなのだ。ロボット作ってる場合ではない。ごく当たり前の忠告を入れると、竹中は深く頷いた。
「俺そう思う。でもな、困ったことがあって」
「なんだよ」
竹中はなぜか声をすぼめて言った。
「これ、例題のプリントでできてるんだ」
馬鹿野郎。心からの叫びで俺は竹中を怒鳴りつけた。
二人で一緒に俺のプリントをコピーしに行ったのはその後のことだ。
みんなみんな聞こえてたの。
「おはよう。まだ寝てんの?」
「とうとう今日になっちゃったよ」
「なぁ……ホントにこれで良かったのかな? 俺、ずっと不安でさ。お前はコレを望んでたのかな?」
「……いまさらか。お前が今すぐ起きでもしなけりゃ、予定通りカプセルにいれることになる」
「……病気、治んないんだって。今の技術じゃ」
「だからってコールドスリープさせて先送りなんて……。いや、なんでもない」
「未来で幸せになれよな。たぶんきっと今より技術も進んでて、生活も便利になって、もしかしたら働かずに暮らせるようになってるかもな」
「だから、きっと幸せになれるよな」
「……ごめん。泣いたりして。……お前は幸せになりにいくのに」
「ただ、どうしても寂しくてさ。ごめんな」
「先生が呼んでる。……最終検査だって」
「お前に触れんのも、これが最後か」
「元気でな。そんで幸せにな。それから、あんまり無理とかしないで、できるだけ居心地の良いとこで暮らせよな」
「じゃあ、さよなら」
君の家から帰る直前。
玄関で僕が靴に片足つっこんだ瞬間に君が「あ 」て言ったんだ。
そんで「ちょっと待ってて」って部屋の中に引っ込んでった君が、片手にビニール袋を下げて戻ってきて、
「はい」って中身も言わずにその袋を僕に押し付けた。
「いいよ」って押し返したかったけど、
幾度となく押し負けた記憶が頭をよぎって、
僕は「ありがと」と口にした。
そうすると君はにこにこ笑って、
「またね」って玄関で僕を見送った。
君んちのアパートは共用廊下が吹きさらしで、
僕は寒空に放り出されたも同然だったんだけど、
でもなんだか妙にそわそわして、
手にしたビニール袋から中身の温度が伝わるような気がして、
落ち着かないまま自分ちに帰った。
今日は風が強そうだ。
隣のビルの屋上で日除け用の暗幕がたなびいている。
長く続いていた雨も近頃は休みがちで、窓から見上げた空は薄曇りのくせに白々と明るい。たぶん外の気温は三十度近いだろう。
クーラーの効いたホテルの客室でベッドに転がりながら、そんなことを考えた。
雨季と乾季。ここに来る前は概念でしか理解できなかったことが、ようやく季節として理解できるようになってきた。梅雨が永遠にあけないような3ヶ月。慣れないがゆえの新鮮さで、毎日続く雨が妙に楽しかった。
小さい頃から雨は好きだ。雨が降ると両親が仕事をやめて帰ってくるから。人間って案外幼い頃の好き嫌いを引きずるものだな。
ここでは一年中二十度を下回らない気温も、存外私の体には合っていたようで、冬の寒さにさらされるよりはずっと調子がいい。
あぁ、なんだかお腹が空いてきた。お昼を食べに出かけなくては。ご飯だけは日本が恋しい。
私たちは幸せな家族です。
父は母以外の女性と関係を持っています。姉が生まれる前からずっと。
でも、私たちは幸せな家族です。
母は父のことを見て見ぬふりをしました。自分が我慢すれば、子どもたちは養っていける。だから、子どもたちに言い聞かせます。
私たちは幸せな家族です。
姉は父のことを憎んでいます。どうして家族を裏切るの?、と。でも、ずっと専業主婦の母が父の支援なしに生きていけるでしょうか?
やっぱり私たちは幸せな家族です。
私は大学に行きました。一人暮らしをしました。
母は言います。お父さんがお金を出してくれたのよ、と。
そうね。もちろん。ありがとう、お父さん。
一度、大きな病気をしました。手術をして、でも障害が残りました。一年近く入院した病室で母は言います。お父さんが……。お金を……。
父は結局一度もお見舞いに来てくれることはありませんでした。
ねぇ、本当に私たちは幸せな家族なのでしょうか?