KD

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8/18/2023, 10:35:29 AM

鏡で自分の姿を、1日にどれぐらいチェックするだろうか。

もはや、1回も見ないことすらあるだろうか。

私が鏡を見るのは、
朝のヘアセットと、夜の風呂上がりの化粧水塗りたくる時ぐらいだろう。
それ以上に見ることは、私にとっては必要以上だと感じる。

なぜか----。

鏡とは、そのまま自分自身を写してくれるものだ。

自分自身を写してくれる。
それは便利でもあるが、時に見たくもないものも写してしまうこともある。

今この世の中は、
自分の見たい情報を「選択」して見ることが可能だ。
見たくないものには蓋をすることが、ある程度はできるのだ。

ただ、鏡はどうか。

髪の毛のチェックをしているのに、
肌荒れが無性に気になってしまったことはないだろうか。

コンタクトレンズを入れたいだったのに、
髭がボーボーで醜いことに気づいたことはないだろうか。

そう、鏡は便利なもので、だが時に残酷な現実を突きつけてくる。

鏡は、現実をありのままの状態で示す。

その示された現実を、

見る「選択」をするかどうか。

見る「勇気」はあるかどうか。

鏡を見る回数は、
自分の理想と現実のギャップの多さに反比例するのかもしれない。

私に、「鏡を見たい」と思える日はくるのだろうか。

8/17/2023, 2:21:26 PM

いつまでも捨てられないもの。

私はこのテーマに対して、
物理的なものと心理的なものに分けられると考える。

物理的なものは、シンプルだ。
捨てられないものは、その人にとって大事なもの。
かけがえのないもの。大事な人からもらったもの。
思い出の日に買ったもの。大事な人から譲り受けたもの。
断捨離がどうこうの話ではなく、
「捨てる捨てないの基準にそもそもないほど大事なもの」という解釈だ。

心理的なものは、少し複雑だ。
なぜなら、大事にしていたものでも、
時間が経てば「捨てるべきもの」に変わる可能性があるからだ。
それは、一種の価値観、もっというと「固定観念」や「偏見」に近いものだろう。

もちろん、捨てられない信念や信条があることは素晴らしいことだ。
しかしその信念をもつということは、自分自身の進化(アップデート)を妨げている。ともいえるわけだ。

だから私は思う。

本当に捨てられないものは、

「自分は未完成であることを自認すること」ではないだろうか。

日々自分自身をアップデートしていく。
生活の変化に対して自分自身をアジャストしていく。

固まってはいけない。
こんな世の中だからこそ、

自分自身の色を変え、
形を変え、
考え方を変えていける人こそが、

本当の意味で「強く生きる」ということなのかもしれない。

8/17/2023, 8:44:27 AM

「誇れるものなどなにもない」と、感じ始めたのはいつだろうか。
私にとってそのタイミングは、新卒の就職活動まで遡る。
自己PRを考え、貴社のために、と頭を捻って自分自身の「誇れるところ」を探していた。

今になって思う。

その時に考え導き出した自分の「誇らしさ」は、正しかったのだろうか。
自分で出した答えです。と、当時はそう感じてただろうと思う。

改めて、「誇らしさ」の言葉を肌で感じてみる。

どうだろう、

いつかのワールドカップで興奮した実況者が言っていた、
「〇〇選手は、日本の誇りです!」と。

また最近では、「これが日本の誇る大谷翔平だ」と。

これを聞いて、私は感じた。
「誇らしさ」は、その人物の「能力・才能」とリンクするのではないか、と。

だから、大学3年生の当時の私にとって自己PRは、
数学よりも難問だったことは無理もない話だろう。
まだなにも成功体験をしていない、何者でもない人間だったからだ。

では、今の私はどうだろうか。

なにか、人より長けている能力や才能はあるのだろうか。

答えは、わからない。

なぜなら、「あなたはここが誇らしい」と、言ってくれる人がいるか否かが、大きく影響するからだろう。

「誇らしさ」は、自分自身で名乗るものではないのかもしれない。

誰かに言われて初めて気付くものなのかもしれない。

だから私は、

いつか誰かに、

「誇らしいね」と言われるために努力をしようと思う。