「誇れるものなどなにもない」と、感じ始めたのはいつだろうか。
私にとってそのタイミングは、新卒の就職活動まで遡る。
自己PRを考え、貴社のために、と頭を捻って自分自身の「誇れるところ」を探していた。
今になって思う。
その時に考え導き出した自分の「誇らしさ」は、正しかったのだろうか。
自分で出した答えです。と、当時はそう感じてただろうと思う。
改めて、「誇らしさ」の言葉を肌で感じてみる。
どうだろう、
いつかのワールドカップで興奮した実況者が言っていた、
「〇〇選手は、日本の誇りです!」と。
また最近では、「これが日本の誇る大谷翔平だ」と。
これを聞いて、私は感じた。
「誇らしさ」は、その人物の「能力・才能」とリンクするのではないか、と。
だから、大学3年生の当時の私にとって自己PRは、
数学よりも難問だったことは無理もない話だろう。
まだなにも成功体験をしていない、何者でもない人間だったからだ。
では、今の私はどうだろうか。
なにか、人より長けている能力や才能はあるのだろうか。
答えは、わからない。
なぜなら、「あなたはここが誇らしい」と、言ってくれる人がいるか否かが、大きく影響するからだろう。
「誇らしさ」は、自分自身で名乗るものではないのかもしれない。
誰かに言われて初めて気付くものなのかもしれない。
だから私は、
いつか誰かに、
「誇らしいね」と言われるために努力をしようと思う。
8/17/2023, 8:44:27 AM