例え話をしようか。もしも君が鳥で、自由に空を飛べるとしたら君はこの部屋から飛び立って行くかい? え、私は人間だって? そりゃあ見たらわかる。天と地がひっくり返ろうとも君が人間である事実は変わらない。だから例え話なんだ。くだらないと一蹴してくれたって良い。さあ、答えを聞かせてくれないかい?
音階を追うと見えてくる景色があった。その景色は雄大で、穏やかで、それでいて寂しさが滲んでいる。ああ、これが君の見ている景色なのだな、と吐息をして目を開けばやっぱり淋しげに笑う彼女が居た。
「どうだった?」
不安げな声色である。私は彼女の不安を少しでも払拭してあげたくて快活に笑った。
「わたしは大好きだよ」
「そっか、それなら良かった」
釣られて笑った彼女のしなやかな指が鍵盤の上で踊る。彼女の音が、彼女のメロディーが、私の唯一の寄る辺だった。
目に痛いほどの輝かしさが好きでした。
誰もが目を惹きつけられる美しさが好きでした。
アナタは自分をひどく嫌悪し、卑屈で、後ろ向きでしたが、それを覆い隠してしまうほどの輝きを持って生まれてきてしまいましたね。
可哀想に。
同情して、哀れんで、嫌がる賛辞を与えました。
眉間に寄せた皺も、憎悪が込められた瞳も、悪辣な言葉を吐く唇も、その全てが美しくて。
私は、ただ、その美しさだけが、大好きでした。
どうでもよかった。どちらが勝とうが、どちらか負けようが、結局なんやかんや言いがかりをぶつけて同じことを繰り返す。意味などない。理由は単純で、明快だ。終わりにしたくない、というただ一点のみで、僕らはくだらない勝負をお互いに持ち掛けている。だって、そうすることでしか、僕らは呼吸すらまともにできないのだから。
沈んでいく。ふかく、ふかく、息もできないほどに、沈んでいく。苦しくて、口を開けば楽になるかも知れない、と楽観してごぽり。酸素が丸い風船となって遠のいていく。途端に堰を切ったように昨日食べた夕飯のメニューだとか、一年前に財布を落として自棄になったことだとか、五年前に初めてできた恋人に捨てられたことだとか、急に思い出されて、終いには小学生のとき読書感想文で表彰された記憶までもが思い出されるものだから、ああ、これはきっと走馬灯なのだな、と悟った。なるほど、人間はこうして死の間際に記憶の海に溺れて一度死ぬのか。一人さみしく納得して目を閉じた。