ピンを手に取って、鏡を見ながら頭飾りのティアラをとめていく。クラシックバレエを始めてから10年。やっと、憧れだったティアラの飾りを付けることができた。
自分に才能なんてものは無いのだと、小学校低学年くらいからなんとなく分かっていた。他の人よりも硬い身体。ほんの少しの体力と自給力。余裕が無いゆえの、醜い踊り。バレエは好きでも何でもなく、寧ろ嫌いだった。母が言うには、小さい頃に自分からやりたいと言い出したらしいが、そんなの記憶にない。
できないなりに、研究もした。ステップをどんなに頑張っても成長しないから、綺麗に見える手の動かし方や、ポーズなどの細部にこだわった。結果的に綺麗になった。でも、そこまでだった。
私は今回の発表会でバレエをやめる。先生もなんとなく分かっていたようだった。
コンクールでどんどん賞を取って、上手なお姉さん達に仲間入りした同い年の子。めきめき上達してあっという間に私を追い越した後輩の子。見ていて本当に苦しかった。でも、なんだかんだ言って楽しかった。たった一人きり、綺麗な衣装で照明を浴びて踊ることが気持ち良かった。でもそれが『苦しい』に勝てなかったんだ。
鏡の中の私の瞳がゆらゆら揺れている。だめだ、メイクが落ちてしまう。
くっと歯を食いしばって上を向いたら目の端から、一粒にも満たない涙が零れ落ちた。
こんな人生、本当に嫌だって思うことも。
この世界から、逃げ出してやりたいって思うことも。
他人なんか知らないと、冷たく荒んでしまうこともあるけれど。
それでもやっぱり、大好きなもの、大好きな人達といると、捨てたもんじゃないなって思っちゃうんだよねえ。
なんて単純なんだろう。
愛おしいと思う気持ち。いつまでも捨てられないし、捨てたくない気持ち。
砂浜を恐る恐る踏みしめて歩いて行く。サンダルの隙間から入り込んでくる砂が、モゾモゾして気持ち悪い。
でかでかと"ココ!"と記された地図をぎゅっと握りしめ、眉間を寄せた。
姉が亡くなって遺品の整理をしていたら、折られた地図が出てきた。表紙には、『良いものがビーチの岩場のところにあるよ!夕方探検してみよう!』と赤色のクレヨンで説明が書かれていた。そのため、観光客のいない夜に、家の目の前に広がる海へと来たのだ。
母子家庭の家だった。5歳上の姉がいつも面倒を見てくれていた。私はしょっちゅう姉に引っ付いて駄々をこねていた。多分この地図も、我儘な私を退屈させないためにつくってくれていたのだろう。
ふと足を止めた。一応目的地に着いたが、一体何があるのだろう。…待て、岩場の中心が青く光っている!
足を動かして中へ入ろうとした時、慌てて急ブレーキをかけた。
これは、…ウミホタルだ!
そうだ。幼かった私は、テレビで綺麗なホタルの光を見て、姉に「ホタルが欲しい!」とねだったのだ。優しく宥められても諦められなくて、姉をひどく困らせてしまった。寧ろ姉にとって、本当に面倒くさい妹だったと思う。
でも姉さんは、ずっとずっと、私にたくさんのものを与えてくれていたのだ。それも返しきれないものばかり。
姉さん。ねえさん。
おねえちゃん。
終点の、最後尾の車両。
ストンとホームに降り立って、ゆっくりと階段へ歩き出した。
終点の二駅前から、この車両には誰もいなくなる。それが何だか心地良い。色々な人の身体や気持ちを乗せた空間が、時間になると自分だけの世界になるようでほっとする。
何を見ても、何に夢中になっても誰も文句を言わない。
それを心地良いと思ってしまうのだから、大概私は心の狭い人間だ。
《上手に喋るにはどうしたら良いですか》
吃音だという、リスナーの少女からそういうメールが届いた。
「吃音、吃音、ねえ…」
「なんか、落ち着いてリラックスすればいいんじゃないですか?」
ラジオブースにいる他のメンバーは、上手く答えができずに困っている。ちらりと表情を見れば、皆一様に眉尻を下げていた。
目の前のマイクに拾われないよう、そっと静かにため息をついて、口を開いた。
「喋りに上手いも下手もないですよ。そりゃ人を楽しませる話術とか、そういうのが必要な場合はあるかもしれない。仕事上とかね。でもまず何よりも大切なのは、自分の思っていること、考えていることを伝えようとすることじゃあないですかね。それがなきゃ、どんなにギャグセンスとかが高くても意味がない。上手くなくてもいい。下手でいい。ただ君の真っ直ぐな言葉がきちんと伝わったら、どんな内容でも相手は笑顔になると思いますよ。現に私達は今上手く答えを喋れてませんでしたしね」
「おいー!俺頑張ったんだけどー!」
先程リラックスすれば…?と言ったメンバーがぶすくれて、他のメンバーも「調子に乗るな」と笑い出す。困った空気を上手く変えたので、それにのっていこうと考えたのだろう。呑気なものだ。
リラックスして上手に話せるなら、私だってあの時苦しんだりしてなかった。