「このように手を合わせて、ただただ真摯に祈るのです。どうか安らかに。どうか平穏に」
紫色の頭巾を被ったニョインサマは、柔らかな手つきで手を合わせる。それを見た名無しの少女は、口をへの字以上にひん曲がらせた。
「なんだいそれ。そんなんで腹はふくれねえし、そもそもあんたの家族とか仲間は全員壇ノ浦の海の下だろ。あたしのおっとうとおっかあも飢え死んだ。届くわけがねえ」
すぐ側に控えていたお付きの尼が少女に「女院様です!!!」と噛み付いたのを制して、建礼門院徳子は深く微笑んだ。
「そうですね。私の祈りや願いを聞き受け取る者はもういない。それでも皆を思はずにはいられず、手を合わせてしまう私は、未だ現世に未練を残しておるのやもしれません。出家したというのにね」
ふと、茶目っ気たっぷりだった彼女の表情が儚く揺れる。
「けれどもそれは私のやるべきことであり、どうしてもやっておきたいことなのです」
くたくたになりながら帰り支度をする。更衣室でやっと一息つけた。
今日の居酒屋バイトでは、シフトに入っている人が少なかった。仕方ない、平日だし店長もそんなにお客様は入らないって思ったんだろうな。でも今日一応月末なんだよな。たぶんそれで宴会とか多かったんじゃないの?
それと、今日初めてお皿を割ってしまった。最悪。どんなに苦手な仕事でもこれだけはって気をつけてたのに。
でも割りたくて割ったわけじゃないし、というか絶対に割りたくなかったし。
なんて浅はかで人間として生ぬるい言い訳や愚痴を体の中で大量生産して、彼に報告しようとLINEを開く。
そこでふと指が止まった。
ああそうだ。彼とは別れたんだ。なのにまだ私はクセで彼に愚痴を言おうとしてたんだ。
急遽愚痴の大量生産ラインが停止した。あとは出荷を待つのみだった言葉の数々が虚しく残る。
もう嫌だ。別れた次の日にちゃんと「このクセはもう今日で最後。終わりにできるよね」って思ったのに。
別に彼に未練があるわけじゃないのに、どうしてなおってくれないの。もう2週間も経ってるのに。
これでほんとに最後にするよ。絶対だよ。
こちらは現在港発・未来港行きのフェリーとなります。今からおよそ10分後に出発いたします。皆様、未来港行きへの切符はお持ちでしょうか。どうか肌見放さずお持ち下さい。手放されてしまうと時の海に流れてしまい、その時点でお客様の進みも止まってしまいますのでご注意下さい。
未来港への運航時間は、お客様それぞれの体感となります。短く思うのか、長く思うのか、お客様次第です。そして港の景色もお客様それぞれとなります。その景色に歓喜するのか、悲観するのか、怒りを覚えるのか、絶望するのか。そしてそこからどうするのか。
それも、お客様次第です。どうかご自身の納得のいく選択をなさって下さい。
あなたと私は違うんだなと感じることもある。
このままうまく続いてくれるだろうかと思うこともある。
私が割り切ればいいのだろうかと考えてしまうこともある。
でもあなたの声を聞いて、あなたの成長を目にして、やっぱり私はあなたがいいと思う。
好きです。だから永遠なんてあり得ないけど、とりあえずはもうしばらく一緒にいたいんです。
これが正しいのかは分からないのです。
直感を信じて進んでも良いのか分からないのです。
自分の力を「すごい」「努力の賜物」とは全く思えないのです。どうしてやろうとしたかも分からないのです。
でも、進まないと私が私ではなくなってしまう。
だから進む度に心の中で涙が流れるのです。