「おじいちゃんの五周忌、2ヶ月後だからね」
事務的な口調で一方的に姉からの電話が切れた。声を聞いたのは、3年ぶりだ。
正反対の姉妹だった。友達が多くて明るい姉と、根暗で独りぼっちの妹。器用で大体何でもできる姉と、不器用でできるものしかできない妹。愛嬌があって周りから愛される姉と、無愛想で周りから怖がられる妹。
幼い頃は、きらきらしている姉が自慢で、「お姉ちゃんすごいね」と言われる度に姉を誇りに思っていた。でも、大きくなってきたら何故だか姉が憎くて憎くて仕方なかった。
羨ましかったのだ。人の求めていることを読める能力も、それを実行できるほどの優しさも。けれど自分には絶対にできないことだと分かっていたから、どこかで姉を追いかけるのは諦めていた。
なのに、どうして?
そうやって、私の前で弱音を吐かないでよ。「無理しないでね」って、労ってもらわないでよ。できることが本当に羨ましいのに、「辛い辛い」って、言わないでよ。あなたが側にいると、私が空っぽで小さく思えてしまうんだよ。
分かってる。これは、ただの妬みだとは分かってる。だけどそれを抑えることができなくて、私は高校の卒業式の前日に、姉と、家族史に残るレベルの大喧嘩をした。
次の日、「これでもう二人はバラバラになっちゃうから」って両親に言われて、お互い貼り付けたような作り笑顔で、雨が降りそうで降らなさそうな、曖昧な空の下、しぶしぶツーショットを撮った。それから全く、話したり会ったりしたことはない。
当たり前だけど、姉は私に冷たくなった。それがまた辛かった。両親も、私の前で姉の話をする時は腫れ物を扱うような態度になった。
家族をこんな風にしてしまったのは、私のせいだ。姉と最後に写真を撮った時、本当は泣いてしまいそうだった。でも今更子供みたいに泣くなんて恥ずかしかったから、必死で悲しみを押し殺していた。今でも曖昧な空模様を見ると泣きそうになって、どうしてだか「…お姉ちゃん」と、呟いてしまう。
好き、嫌い、好き、嫌い、好き、嫌い。
どうしよう、嫌いで終わってしまった。
まだ小さい頃は、そうやって同じクラスの男の子で花占いをして、よく一喜一憂したものだ。嫌いで終わってしまったら、私は慌てて花の真ん中の黄色い部分をむしり取って、「好き!」と無理やり肯定していた。
そうやって、"嫌い"を誤魔化していたら、嫌なことがあっても「大丈夫大丈夫何とかなる!」って、ムリにやり過ごすようになってしまった。実際はそれで何とかなったりするけど。
でもそうする度に、心のどこかでは傷がつく。転んで膝を擦りむいたような傷と痛み。
だから私は、時々はっきり拒否をして、何をしたいかを考える。
自分が可愛い?そうだとしても、傷だらけになるよりはずっとマシだ。
あちこちで鳴り響くクラクション。
デザインがおしゃれな街灯。
道行く人達が皆洗練されたファッション。
何台ものタクシー。
田舎では考えられない景色。
ここは、同じ日本なのだろうか。どこか、自分の知らない世界ではないのだろうか。
田舎が嫌で飛び出してきたのに、閉じられた世界にうんざりして家出したのに、ここにいるのが場違いな気がして、すぐに帰りたくなった。
ばたばたと廊下がうるさくなる。ばんっとドアが開いて、親友の般若みたいな顔が出てきた。
「…ここにいやがった」
いた、ではなくいやがった、という台詞に、うわあ…と日和る。
「ちょっと天音!あんた何逃げてんのよ!」
「…逃げてないよ!あたしクラスのシフト入ってるから準備しないと…」
「入ってません!はいこれ証拠!」
クラスの人から貰ってきたのか、親友は天音のクラスのシフト表の用紙を広げた。彼女の表情のせいで、なぜかシフト表がドラマなどで見る家宅捜索の令状に見える。
「やだよ!あたしやっぱり無理だって!だってあたし軽音部に入ってまだ3ヶ月ちょっとだよ?先生だって、天音さんは今年の文化祭は無理しないでねって言ってたじゃない!何でエントリーしちゃうの!」
「だってあんた歌いたいんでしょ?そのために部活入ったのに、何で逃げる必要があるの!」
「あたしは、そんな才能ないんだって!もし歌ったら、聞いてる人の耳汚しになるよ!」
「じゃあ何のために部活入ったの!」
「楽しく歌うため!」
「ふん、へーへーぼんぼんな理由!」
「う、うるさい」
親友は大きくため息をついた。そして今度は、落ち着いた声で言う。
「あんた、ほんとのほんとにそれでいいの?」
「…いいよ、大勢の人の前で歌うなんて無茶だもん」
「あっそ。じゃああたしが歌う」
「え?!」
驚いて目を見開いた。親友は大真面目な顔をしている。本気でやりそうだった。
「ど、どうしてよ」
「だってあんたはやらないんでしょ。だったら、あたしがやるの。言っとくけど、あたし自分より音楽が大好きだって人と一度も会ったことないから。だからあたしは、本気だよ。才能なんかなくても、やれる時にやりたいことできるんだったら、やらせてもらう」
何も言えなくなって、天音は俯いた。親友は眉をきつくしかめて、聞いてきた。
「どうするの、やるの、やらないの」
3ヶ月前の、天音を軽音部に引っ張ってきてくれた親友を思い出す。
『歌好きなの?あたしギターなんだ!ね、一緒にバンドやろうよ!あたしあんたの歌すごくいいと思うよ!』
ゆっくりと呼吸をして、顔を上げた。
「…やる。歌う」
「…じゃあ、あたしよりも音楽が好きだって分かる歌にしなさいよ」
天音は覚悟を決めて踏み出した。
幼い頃、早朝に起きてしまったことがある。
ひどい悪夢を見て、しばらく寝られそうになかった。横になっていると悪夢を思い出しそうだったので、起き上がってぼーっと時計を眺める。でもやっぱり何だか心細かった。
ふと外が気になって、カーテンをそっとめくる。
あ、と思った。
太陽が赤く輝いて、暗く冷たい夜空を温めていく。雲は柔らかな紫色に染まり、細く浮かんでいた。
何だっけ、先週国語の授業で教えてもらった気がする。
春は、あけぼの。ゆっくりゆっくり白くなっていって、山際の空が明るくなっていく。紫がかった雲が、細くたなびいて―春で一番美しいのは朝焼けだ。
不思議と心がほっこりして、穏やかな気持ちで二度寝したことを覚えている。