香草

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1/15/2026, 3:48:27 PM

「この世界は」

あくびをしているときにチャイムが鳴った。
急いで髪を撫で付けてドアを開ける。
少し微笑んだお兄さんの首には汗が滲んでいた。
荷物を受け取ると海外に住む友人からだった。
スパイスなのか香水なのか独特な香りがする。
狭い6畳間に世界が広がる。
ドアの向こうでは宅配のトラックが発車する音がする。このドアの向こうに世界が広がる。
この世界は今も動いている。

1/14/2026, 10:44:05 AM

「どうして」

コンビニの看板が光り出す時。
道路の蛍光灯がチカチカし出す時。
信号が少し眩しくなるとき。
友達と別れて一人になる時。
いつもより体温を感じない電車に乗った時。
自分の体の輪郭がはっきり見えたとき。
車のヘッドライトがまだ気まずそうな時。
なぜだか一日の中で一番心細くなるのだ。

1/9/2026, 9:38:16 AM

「色とりどり」

ネオンに彩られた店内はまるでクラブのようで酔えるもんも酔えない。映える居酒屋に行こうと誘われてついてきたはいいが1秒ごとに色が変わるネオンに疲れてしまった。
会計しとくから、と自撮りしまくっている友達を外に追い出した。
ふと財布を出す手が止まる。
それは店員の彼女の服と頭がありえないほど奇抜だったからではない。
「小学校…一緒だった…?」
おそるおそる声をかけると驚きで目が大きく開かれた。
私は鳥肌が立った。
クラスに一人はいるおしゃれな女の子だった。
ゆるくウェーブした髪にスパンコールで「SMILE」と書かれたスウェットを着て小学生ながらスキニージーンズを着こなしていた。
新しいものや可愛いものをたくさん持っていて人気者だった。そこまで仲がいいわけではなかったけれど、何人かでお揃いのものを持ってたりした。

「久しぶりじゃーん」
じゃらじゃらと指輪を鳴らして親しげに手を振る。
なんていうスタイルなんだろう?ストリート?ロリータ?ダメージ加工されたTシャツにふわふわのパニエとビビッドピンクのスカートを合わせている。
まさにちくはぐだけれど、ネオン映えを売りにしている独特な居酒屋だから浮いていない。
しかし彼女から目が離せないのはその服装のせいではなかった。
まるで万華鏡のような瞳だった。人形の目に使われるビー玉のような。
白目がほとんど見えない大きな瞳でネオンに照らされているのかくるくると色とりどりの虹彩が回る。
おそらくカラーコンタクトレンズなんだろうけど、じっと見てると催眠術をかけられそうだ。
まるで人ならざるもののような感じがして私は早々に店を後にした。
後日親に彼女のことを話した。母親はありえない、というように眉をひそめた。
「あの子亡くなってるわよ。モデル撮影のスタジオで火事があって。遺体も残らなかったって事務所から連絡があったそうよ」

1/8/2026, 8:48:37 AM

「雪」

新しく異動してきた上司は瀬戸内で生まれ東京で育ち九州支社で鍛えられたらしい。
「すごいっすね。じゃあこの東北支社で日本制覇ですか」
僕は特大の唐揚げに潤わされた唇を拭いて言った。
4月から始まったプロジェクトの1ターム目が終わったのでその祝賀会と少し早めの忘年会である。
いつもなら飲み会なんて参加せずに帰るのだが、2タイトルが掲げられている飲み会は断りにくいし、何より4月から異動してきた上司が初めて参加する飲み会なので来てしまった。
いつも無口で無愛想。仕事はできるが主役である歓迎会すらも断った男だ。プライベートを覗き見たい気持ちが勝った。
「北海道を除けばそうだね」
無口な上司は酒が入ってもにこりともしない。
「いいなー、俺なんて東北から出たことないっすよ」
同僚や先輩たちがそうだそうだ、いや俺は東京の大学で、と騒ぎ出す。
会がお開きになり、店の外に出ると雨が降りそうなしっとりとした空気と冷たい風が吹いてきた。
「今夜雪になりそうっすね」
上司はメガネをくいっと上げてこちらを見た。

「…積もるかね」
「まあいつも積もりますね。明日運転気をつけたほうがいいっすよ」
「そうか、ありがとう」
そう言って上司は一人駅の方への消えていった。
翌朝、出勤すると上司はまだ来ていなかった。
二日酔いか?いつもなら始業時間の1時間前に来ているのに。もしかして事故ったか?
予想通り起きると一面銀世界ですでに膝の高さまで積もっていた。
慎重に走る車が多く、自身も渋滞に巻き込まれた。
「すまん。遅くなった」
オフィスのドアが開いて上司が姿を現した。
「おはようございます。渋滞ヤバかったですよね」
「…ああ」
やはり無愛想に返す上司。しかし俺は見逃さなかった。
びしょびしょのコート、手袋をしていたのに真っ赤な手。雪遊びをした証拠だ。
「雪…初めてっすか?」
上司は少し顔を赤らめて頷いた。

1/7/2026, 6:25:14 AM

「殺意」

穏やかな春の月曜日。
柔らかい朝の日差しが大きな窓いっぱいに刺しこみ、オフィスを明るく照らしている。いい天気だ。
仕事は辛い。こんな素晴らしい天気の日は公園でピクニックでもしてゆっくり過ごすべきだ。
まあそれでも社会人というもの、労働の責務は果たさないといけない。
私はゆっくりコーヒーを飲みながらパソコンを開いた。メールに30通。うんざりする量だ。
昔も今も春の陽射しが素晴らしいのと同じで、日本人は昔から働いて働いて働く生き物なのだ。
それを示すように「死ぬ気で頑張る」という言葉がある。仕事に限らず勉強とか険しい芸事の道などでもよく聞かれる言葉だ。
頑張ることに価値があり、その努力によって結果は必ず変えられるという信念を表しているのかもしれない。
しかし現実は考えているよりも非情なものだ。置かれている環境や自身が生まれつき持っている特性、その他諸々の要因が努力を上回ることがある。
自分ではコントロールできない周囲の人間が道を遮ったり尊厳を踏み躙ってくるときがある。

「パーン!」
オフィスに響き渡る銃声。皆が一斉に振り返った。一瞬空気が止まりまたすぐに動き出す。
「誰?」
「あー営業部の部長ね」
「そういえばパワハラの噂があったね」
「昔はセクハラもしてたって噂よ」
「まあいずれこうなると思ってたよ」
誰かが通報したのかすぐに救急隊員が来て冷静に処置を始める。
オフィスは少しざわめきつつもいつも通りの日常に戻った。撃たれた営業部長を除いて。
発砲した社員も何もなかったかのような顔でパソコンを叩いている。
私はグッとコーヒーを飲み干した。砂糖が溜まっていたのかどろりとしたものが喉を通っていく。
メール1通1通目を通して丁寧に返信していく。
ここは「死ぬ気で頑張る」日本。「努力の価値が高い」日本。極限の死ぬ気は殺意に転じることだってあるだろう。
穏やかな春の陽射しが殺伐としたオフィスに降り注いでいた。

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