香草

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11/26/2024, 12:04:45 PM

暖房のせいなのか、ふわふわする。頭がぼうっとして身体中の液体がふつふつし始める。
部長がシャツの袖を捲る。やっぱり暑いよね?
しかし驚くことに暖房は入っていない。
会議室の空調は建物全体で管理されていて、温度はいじれない。会議の時は暑がりの部長のために暖房は入れない暗黙のルールなのだ。
いつもは震えながら会議に参加して部長を呪っているのだが、今日はやたらと体温が高い。
理由はなんとなく分かっている。目の前の男だ。
爽やかな笑顔で話す営業部のエース、の隣に座っている冴えない眼鏡の男。去年一緒に入社した同期だ。
目が合った。何もなかったかのように手元の資料に目を落とす。
『新規ターゲット獲得のための商品開発・・・』
『若い顧客層を見据えた・・・和菓子のイメージを一新する・・・甘さにこだわった・・・』
甘い。甘い。甘い。のどが渇くほど甘かった。夜空がぐるぐる回って星が降ってくるんじゃないかと思ったあの夜。

「普段お酒飲まないならそう言ってくれればよかったのに。」
自販機にお金を入れながら言った。研修終わりの飲み会で彼はハイボールを7杯飲んだ。
「いやみんな飲むの早すぎ…」
キャップを開けて水を差し出す。なんで私があんたの面倒見ないといけないの、と思いながらこのまま見捨てるのも嫌なので隣に座った。
あーあ、本当なら家に帰って推しのライブを見てたのにな。
そんなことを思いながらスマホを取り出す。21:17。終電まであと3時間もある。あーあ本当ならあの気になってたバーに寄って帰ったのになあ。
「ねえ、」焦点の定まらない目でこちらを見た。
「饅頭食べない?」
「は?」
酔っ払いすぎだろ。何言ってるの。こんな時間にやってる和菓子屋なんてないでしょ。
早く帰らせよう。
立ちあがろうとした私の腕を掴む。
「行こう!」
足早にかけ出す。こっちヒールなんですけど。

彼が連れて来たのは和菓子バー。メニュー表には饅頭や練り切りなど、お酒とは不釣り合いな名前が載っている。
「ねえ、大丈夫なの?日本酒だよ?やめといた方がいいんじゃないの」
店内は日本歌謡が流れていてなんだか居心地が悪い。酔っ払いを連れていたら尚更だ。
「覚めた覚めた。大丈夫。」そう言うと慣れたように日本酒の名前を注文する。
まあいっか、潰れたら今度こそ置いて帰ろう。ちょうど飲みたかったし。
日本酒と食べる和菓子は意外な相性で美味しかった。餡子のむせかえるような甘味と冷たい日本酒の切れ味で舌が風邪を引きそうだ。下戸だと思っていた彼は、浴びるように注文している。それに負けじと和菓子を頬張る。甘い甘い。指が絡む。回る回る。薄暗闇で彼の顔が浮かんで消える。

「おい、大丈夫か?」
部長が顔を覗き込む。
「顔が赤いぞ。熱があるんじゃないのか。医務室に行って来なさい。」
部長命令なら仕方ない。すみません、と呟いて逃げるように会議室から出た。
甘いのは餡子だったのか、彼だったのか。

11/25/2024, 11:21:26 AM

光が差し込む。窓辺に一通の手紙。

初めまして。いきなりですが、今夜貴方を奪いに行きます。

突然のお話でびっくりさせてしまったことでしょう。
私は怪盗M。闇夜にまぎれるただのしがない怪盗です。
貴方を初めて見た時、明るく眩しい笑顔に目が吸い込まれました。風に吹かれてゆらゆらと金色に輝く貴方の髪。恥ずかしそうなえくぼ。ピンとはった背中からはどんな逆境にも負けないほどのエネルギーを感じました。貴方に一目惚れをしたのです。

ただ次に会った時の貴方は、まるでこの世の全てに絶望しているかのようでした。金色の髪はくすみ、まるで幽霊のようにうなだれていた。
私は心配で心配でたまらなかった。何があったのかと優しく包んであげたい衝動に駆られました。
風の噂によると婚約者のせいだそうですね。
貴方に熱烈な愛を語っていながら、異国の女性にも愛を囁いていた。それを知ってしまったのですね。でも貴方は健気にも婚約者が自分のもとへ帰って来た時は素晴らしい笑顔を見せる。さぞ苦しいでしょう。

最近の貴方はずっと下を向いています。私にはあの笑顔を向けてくれない。私ならそんな顔をさせません。
悲しい思いはさせない。
今夜貴方を奪いに行きます。

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台本から顔を上げる。眩しいスポットライトが彼女らを照らす。舞台袖と舞台の上は明確な線が引かれている。明かりの下を歩けない僕らはただ成り行きを眺めることしかできない。
クライマックスだ。主役が彼女を抱きしめる。彼女は幸せそうな表情で腕を回す。全て僕の書いた台本通り。美しいヒロインに一目惚れした怪盗から彼女を救い出すお話。主役俳優に恋する彼女のために書いたお話。
観客が割れるような拍手を送る。僕も暗闇から拍手を送る。影に生きるしがない脚本作家と華やかで煌びやからな光に照らされる彼女。住む世界が違う。
彼女は気付いただろうか。僕からのラブレターに。

11/24/2024, 2:38:28 PM

木枯らしが吹き始めたので、タンスの底からセーターを引っ張り出す。去年買った白いセーター。広げてみると毛玉だらけだった。
そりゃそうだよね。あなたが可愛いって言ってくれたからずっと着ていたんだもの。

去年の冬は、数年に一度の積雪で過去最低気温も記録していたらしいけど、あの人の体温しか覚えていない。寝る前のココアのように、頭がとろけるほど温かさに包まれて、目に見えるものはキラキラした景色ばかり。クリスマスのイルミネーション、年末カウントダウンのネオン、初詣でお揃いで買ったお守り。なんて素晴らしい季節なんだろう。過去一番の寒さなんて感じないほど幸せだった。

日が沈んで暗くなった。だんだんと部屋の気温が下がっていくのが分かる。
毛玉を切らないと。
ハサミでチョキンチョキンと毛玉を取り除く。
あなたとの思い出も全部消えろと願いながら。

11/23/2024, 11:08:06 AM

恋に落ちてしまった。
まるで綿飴のようにしゅわりと広がる甘い感覚。

いつもの図書室。教室や校庭の喧騒から離れてホッとひと息をつく。面白そうな本を物色しながら歩いていると人にぶつかった。
「すみません…!」
ぶつかった拍子に柔軟剤の香りがして、少し背徳感を感じる。
「あ、ごめん」
クラスの人気者の男の子だった。授業中先生にタメ口をきく肝の座ったやつ。
そそくさとその場を離れようとすると、「ねえ、」と呼び止められた。
「明日のホームルーム、順番回って来たんだけど、この本面白い?」
私のクラスは国語教師が担任のためか、毎朝ホームルームで好きな本を発表する時間がある。読書の習慣がない人たちは大体漫画の紹介をして乗り切る。
この人もそうするのだと思ってたけど、、
「今から読むの?」
彼が手にしているのは分厚いハードカバー。普段本を読まない人が今から読んでも明日の朝には間に合わないだろう。
「無理かな?表紙が面白そうだったんだけど。本読まないから感覚分かんねえわ。」
そう言いながら渋々本を戻す。
少しお互いに無言になる。会話が終わったようだ。私はその場を離れようとした。
「あ、それ知ってる。」
急に彼は私の持っていた本を指差した。
「それもともと映画なんだよ。イマイチ人気出なかったんだけど脚本とか演出は凝ってて面白いって映画好きの中で人気のやつ。」
そうだったんだ。なんとなくタイトルが気になって手に取った本だった。恐る恐る提案してみる。
「これ発表したらいいんじゃないかな?元が映画なら内容も知ってるだろうし…」
「読んでないのに?」彼は笑った。笑われたのが恥ずかしいのか、クラスの真ん中にあった笑顔が自分に向けられてることがむず痒いのか、顔が熱い。
「でもありだな、そうするわ。ありがとう,」
私は本を彼に渡した。
「読みたかったんだろ?発表終わったら渡すわ。」
また2人で話せるのだろうか。またあの笑顔を独占できるのだろうか。
本能的に危険を感じて目を逸らす。だけど遅かった。浮遊感につつまれる。恋に落ちてしまった。

11/22/2024, 11:03:43 AM

別に今のままでいい。
子どもが欲しいわけではないし、いつもそばにいてくれるし。結婚したからといっていつもの生活に何か変化があるわけでもない。彼女への愛が変わるわけでもない。
夫婦なんて契約で繋がった男女関係にすぎない。むしろお互いの信頼と愛情でしか繋がっていない脆くて壊れそうな今の関係の方が尊く美しいのではないか。

休日の昼下がり、インスタで見つけたカフェに行きたいと言う彼女の提案で郊外にある和喫茶店にやって来た。穏やかな老夫婦が経営しているというお店はどこか懐かしく落ち着ける雰囲気に溢れていた。東京では珍しい雰囲気が若い女性の間で密かに人気らしい。
カウンターに通され抹茶ラテを注文した。時折言い合いをしながらも阿吽の呼吸で注文を捌く老夫婦を見つめて彼女がぽつりと言った。
「将来こんな風になりたいね」

正直僕も思っていた。老夫婦からは信頼と愛情だけではない、ガラスをふっとばすような嵐が来ても乗り越えてきた強さが感じられた。そして契約に縛られたからこその深い深い愛情が。
僕は思わず彼女の手を握った。

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