今はもう遠い夕暮れ。
午後5時を伝える鐘の音が鳴り響くと、僕たちはそれぞれの帰途に着く。
途中まで帰り道が一緒。
ただそれだけのことが嬉しくて。
記憶の中の夕暮れはいつも秋。
金木犀の香りと鮮やかな夕焼け。
いつものやり取り「また明日」
その狭い世界が永遠に続くと信じて疑わなかったあの頃。
そんな昔日を懐かしみ、ふと思う。
「また明日」が「また明日」にならなくなったのはいつからか。
つい……そんなことを考えて、少し寂しい気持ちになる。
- また明日 -
子どもの頃思い描いていた大人の自分。
果たして私はなれているのだろうか。
細かいところに不満はあるが、概ね思い描いていた大人になれていると思う。
あなたはどう?
上手く行ってる?
あんまりかな?
あの頃の私にとって、あなたは目標だった。
ずっと同じ時間を過ごして、そこから道が分かれ、会えば楽しいけれど、お互い忙しくて中々遊んだりも出来なくなった。
大人になるってそういうことなのかな?
正直分からない。
けど、私にとって大切なものは増えた。
あなたとベクトルは違うけど、自分なりの宝物を見つけることができた。
あなたはどう?
あなたなりの宝物を見つけたのかしら。
人の人生に同じものは無いのだから、色々な形の宝物があるよね。
今度会ったら、たくさん話して、見せて、聞かせて。
私も話す。
あの頃の理想だったあなたの今。
それを知るのはきっと楽しい。
- 理想のあなた -
生きているか、死んでいるか、それが問題だ。
- 突然の別れ -
真夜中、人は大抵一人だ。
昼間の出来事を思い返す思考の時間。
真夜中は誰に邪魔されることもない。
好きな事を楽しむ嗜好の時間。
真夜中はすることも決まっていない。
何度でも時間を好きに使う試行の時間。
真夜中を自分の思い通りにーー。
思考、
嗜好、
試行、
至高の時間。
- 真夜中 -
人が悩み、苦しむのが好きだ。
そこにヒントを与えることで、何かの答えに辿り着く手助けができる。
人生相談の回答者なんてそんな人々の集まりであろう。
福祉や精神科の相談業務も似たようなものだ。
迷える子羊を導く神も同じようなものだ。
自分の人生と何の接点のない人々の悩みを聞き、解決するだなんて、普通は出来ない。
ほとんどの人はどうでもいいと思っているだろう。
ならばそれは誰よりも優しく、深い愛情があるからできるのか?
いやそんなわけない。
そんなものとは関係なく、自分の存在意義を証明したい、誰かに必要とされたいという欲求が強いだけだ。
動機付けがその一点に集中するから続けていられる。
どこをどう取り繕ったところで詰まるところは自分のためにすぎない。
だから、高尚な世迷いごとや説教を騙る連中は嫌いだ。
どうにも信用できない。
しかし、愛という感情は確かに存在している。
さて。
では愛があると何ができるのだろうか?
小賢しく行動理由を語ってしまったお陰で、これがまたさっぱり分からない。
どちらにせよ、はっきりしていることがある。
素直じゃないのだ。
私は。
- 愛があれば何でもできる? -