人が悩み、苦しむのが好きだ。
そこにヒントを与えることで、何かの答えに辿り着く手助けができる。
人生相談の回答者なんてそんな人々の集まりであろう。
福祉や精神科の相談業務も似たようなものだ。
迷える子羊を導く神も同じようなものだ。
自分の人生と何の接点のない人々の悩みを聞き、解決するだなんて、普通は出来ない。
ほとんどの人はどうでもいいと思っているだろう。
ならばそれは誰よりも優しく、深い愛情があるからできるのか?
いやそんなわけない。
そんなものとは関係なく、自分の存在意義を証明したい、誰かに必要とされたいという欲求が強いだけだ。
動機付けがその一点に集中するから続けていられる。
どこをどう取り繕ったところで詰まるところは自分のためにすぎない。
だから、高尚な世迷いごとや説教を騙る連中は嫌いだ。
どうにも信用できない。
しかし、愛という感情は確かに存在している。
さて。
では愛があると何ができるのだろうか?
小賢しく行動理由を語ってしまったお陰で、これがまたさっぱり分からない。
どちらにせよ、はっきりしていることがある。
素直じゃないのだ。
私は。
- 愛があれば何でもできる? -
5/16/2024, 4:59:12 PM