主役じゃなかった私を
お姫さまにしてくれてありがとう。
またね。また明日。
また、会いたかったよ。
苦しみを、また別の苦しみで紛らわすような毎日に
幸せはあるの?
おいていかないでよ。
先に行かないでよ。
私だけが馬鹿な足踏み。
根性なしな自分が情けなくなる。
また、会えるよね。
私のアイデンティティ。
私が私たる所以。
私を構築するそれらを、私は、誇りに思っている。
私は、私のことが、好きなのだ。
しかし、他人と共存するとき
周りに受け入れてもらえる、という自信は無い。
自己評価と他者評価、社会を生きるうえでは、どちらも必要なんだ。
自身を誇り、自分が自分であることに、価値を感じることで満たされる部分もあり、
併せて、他人に必要とされ、評価をされることで、自身の価値を認識できる分野もある。
自己評価を優位にし、自身を正しさの基準と思い込み、協調性を失ってはいけない。一方で、
他者評価を優位にし、他者都合で簡単にゆらぎやすいものを頼るのはあまりに脆く危険である。
社会生活における自分が、上手くいかないとき、課題と向き合うとき、
それぞれのバランスがひどく偏っていないか、その都度省みるしか方法はないのかもしれない。
本当は、幸せな物語だけ見ていたい。
私はそういう奴なんだ。
かっこ悪くてずるくて情けない。
どんなに綺麗な言葉を考えても、どんなに端的な文章にまとめようとしても、
枠線からはみ出してしまう恥ずかしい人間なんだ。
普通になりたかった。
求められた当たり前を上手くやりたかった。
上手くやれているはずだった。
ちゃんと、普通の中に、馴染めていたはずなんだ。
何が駄目だった?
やっぱり私は偽物だったの?
葛藤して苦しんで泣いたって、逃げられない。
かっこ悪くても、ずるくても情けなくても、
恥ずかしくても、駄目でも偽物でも、最後まで続けなくちゃいけない。
私は時々、生きることがどうしようもなく怖くなる。
何度も、消して上書きして、やり直す物語。
本当は、幸せな物語だけ見ていたい。
笑顔の私を覚えていてほしい。
もう私には、上手く思い出せないから。
みんなと過ごした思い出の中に生きる私。
私が好きだった私。
今の私を、私は、受け入れたけど。
みんなは知らなくていいこと。
もし知ったら、きっと、上書きされちゃうから。
明るかった私を、よく笑っていた私を、どうか消さないで。