休みの日によく行くカフェに、老若男女問わずいろんな人から声を掛けられている常連さん(女性)が居て、わたしも話してみたいと思いつつ、なかなか声を掛けられずにいた。
やっと、去年の秋に挨拶するきっかけがあって、話しかけてみたら、にこっ。
芸術関係の仕事や大学の教授、外国を旅するとか、経験が豊富で、ギャラリーもあると知った。今度訪ねてみたい、話しももっと聴いてみたい。友達になれるかなぁ。
行きたい方向、読みたい本、学びたい事、やってみたいが、高まってきたので、投稿トメます。
ちと、書くこと(投稿)が、窮屈になって来ました。
それでは__🌱__。
今朝は御神前の花を下げて、下げた花を小さく切り揃え、洗面所と玄関に飾った。
花は、空間の悪い気を吸って、空間を浄化してくれているんだとか。。空気清浄機よりも優秀だ。なんだか、お水の中に悪い気が溶け出している気がして、わたしは毎日水を取り換える。
本来、野に咲いて野に散るはずの花を、部屋に取り込むのだから無理がある。他者をお迎えするっていう気持ちで無理なく生けられたらいいな。でも、…
お花を習っている時に、小さい花を不要だと思って、捨てようとしたら先生に叱られた。
「生きているのよ!、こういう小さい花も生かしてあげるのよ!」
みんなの前で大きな声で叱られて、恥ずかしかった。叱られた事もそうだけど、夢中になって、大きくて綺麗なところだけしか見えなくて満足して、切り捨てた小さい花を平気で捨てようとした。
わたしには、お花を生かすセンスがないんだと思う。そういうのは、いくらテクニックを覚えてもどうにもならないから。
だから、カタチだけでも先生に教えていただいた事を思い出しながら生けている。無駄にしない、それだけじゃなくて、生かす。
今の会社にも不定期でお花の先生がいらしてて、生け込みをしてくださる。なんとなく、お花の先生は苦手。叱られそう。
今日は、おじいちゃんとおばぁちゃんをよく見かける日だった。眼科では、おじいちゃんの付き添いでおばぁちゃんが、おじいちゃんの手を引いて座らせたり、名前を呼ばれれば立たせたり、と、サポートしていたのが印象的だった。
交差点では、信号待ちの時に、おじいちゃんの腕に掴まりながら歩くおばぁちゃんに目が止まった。
おじいちゃんとおばぁちゃんの間にあるものは、慈愛………かな。
若いカップルのように、微笑み合う訳でもなく、お互いを庇い合いながら寄り添うって、そうなるまではどんな事が積み重なったんだろうか、と思った。
春恋?、ふわふわしてる時期があってもいいんじゃないですか。ただ、身体の関係が無くなってからが、ホントの2人。若ければ、喧嘩しても有耶無耶に終わらせて抱き合ってしまえば仲直りできるけど、話し合う事をしないで、そういう仲直りの仕方ばかりに頼っていると、、
歳を重ねてから辛くなるから。
身体の感覚に惑わされないように。
きちんと相手の目を見て話す。
そうか、と、分かるようになるまで話す。
目が見えなくなって、相手の目を見ることが出来なくなっても、たぶん相手の顔を見ようとする。必死に見ようとする。
もし、顔を背けるようになったら、終わりだと思う。
夫が、再放送の『パリピ孔明』を録画していて、今日は休みだったので、3話全部観た。なんだいっ!孔明がパリピ設定など、許せん!三国志は中学生の頃に読んだし、NHKでの人形劇も観てた。
だけど…、『パリピ孔明』、不覚にも笑ってしまった。2話での孔明が壁に挟まっていて、帽子が転がり出た所で。あとは、3話でのコインランドリーで、服をドラムから出す所で。
そもそも、観てみようと思ったのは、森山未來が出てたから。尖った顔…すきだから。冨永愛も大好きな顔。性格とかは知らん。
妄想…>>>>>尖った顔の人が電車に乗って、吊革にダルんと手を掛けてて、その切れ長の目で見下されたい。
26の時に付き合っていた20の彼氏が尖った顔だった。ピシッとはしてない人だった、ダルんとしてて、いつも遠くの遠くを見ていた人だった。
あぁ、、もぅいいお父ちゃんになってるんだろうな。ちゃんと家族を見ているのかな。
家族以外で、余命2ヶ月足らず、という人の話しを伺ったことがあるだろうか…
25年前、息子が1歳になる前にY先生から、
「息子さんを連れて、〇〇さんが入院している病院へ訪問へ行ってください」と、言われた。
わたしはすぐには『はい』とは言えなかった。院内感染の危険もあったし、何よりも訪問などしたことがなかったので、怖かった。〇〇さんは、女性で、余命数カ月で、甲状腺のガンで末期。子供が4人居て、下のお子さんが幼稚園の年長さんだった。
結局悩んで息子は連れて行かなかった。
〇〇さんは、目がキラキラとしていてわたしの事を歓迎してくれた。話すと言っても、息が切れてしまって言葉も力なく、「話しを聴かせて…」と、逆にお願いされた。入信して半年経った頃の事で、何を話していいのやら分からなかったけど、なぜ入信したのか、という事を話した。
途中、「苦しい…」と、言ってナースコールを押して、結局看護士さんから「帰ってください」と、言われて帰ってきた。
何も出来なかったし、何も聴けなかった。
Y先生に報告して、1ヶ月も経ってなかったと思う、〇〇さんは亡くなった。一番下のお子さんの事を心配されていて、ベテランのお世話人さんが、「『心配すること、それは、執着だから…』と言う話しをしたんだ」と、後から聞いた。それはY先生から、「その話しを最後に伝えなさい」と、言われた、と。
とても辛かったと言ってた。
『死にたい死にたい』と言う人は、『生きていたい…』と、心底願う人に何を伝える事ができるんだろう、少なくとも、実際に家族以外の人の今際の際に一度、寄り添ってみたらいいと思う。
『それでも、』と、言うなら、それなら勝手にすればいいと思う。
〇〇さんが亡くなって、それほど時が経ってなかったと思う、ある朝、明け方に布団の中でぼんやり目が覚めて、
『ア、リ、ガ、ト、』と、声が聞こえた。夫も息子も眠っている時間。
わたしはその時、『あっ、〇〇さんだ…』と、思った。感謝されるような事は、なにもしてない。だけど、〇〇さんに、あの日の最後に『祈る』って、言うことを懸命にお伝えした。それは、Y先生にこれだけは、貴女から伝えなさいと言われたから、だ。
後にY先生から、「この出来事を、忘れないように」と、一言だけ言われた。
わたしが一歩踏み出した日の出来事。