昨夜、
久しぶりにヘンテコな夢を見た。
わたしは、
友達と歩道の右側を歩いている。
友達は、わたしの左側に居る。
友達なのに、知らない人。
トモダチは、わたしに、
「こっちへ行くから」と手を振った。
こっちとは、
横断歩道の向こう側。
さびしい……、
そんな胸騒ぎがして、
一緒に行こうかと迷ったけど、
トモダチが何か言った。
だけど、思い出せない。
結局、
トモダチと別れて、
わたしは真っ直ぐ先の横断歩道を渡らなければならなくなった。
真っ直ぐ行って、
朝、駅に置きっぱなしにした自転車を、それを手にしなければならない。
昼の間の、太陽の当たるぼんやりとした道を、真っ直ぐ歩いて行くと、
いつの間にか開けた。そこは白いドーム。
真ん中にパン屋さんがあった。
仲良さげな知らないおじさんが二人。
「ここのパンはね、美味しいんだよ」って、教えてくれた。
パンはどれも美味しそうで、
店中ぐるりと、上の棚にもきちんとパンが並べられていた。わたしはイチゴのクリームサンドを探してた。
お昼に食べようと思って。
『イチゴのクリームサンドが食べたい… 』
カゴに盛られたパンを見て回っていると、
思ったとおりのイチゴのクリームサンドが見つかった。
それは、クリームたっぷりでイチゴも大きくもってりとしていた。これだ…と、思って手に取りお金を払うと、スタンプカードをもらった。
スタンプカードのスタンプは水色の矢印、最初の1つ目だった。他のマスはまだ空欄。有効期限が書いてあった。
『ためられるかな』と、
不安に思った。
2025/01/20
明日に向かって歩く、でも…、
…
思い出せる夢は、
いつも自分の輪郭を少し不確かにしてしまう…
♪ゆーりかごのうーたをー
かなりあがー
うーたうよー♪
♪ねーんねこー
ねんねこー
ねーんねこよー…
息子が、はじめて、
自分の意思を持って
言葉を発した日。
…
公園へ行こうと、ママチャリの前に息子を乗せ走っていると、
2歳になるかならないかぐらいだったと思う。
空を指差して、空気の音みたいな感じで、
「ひ、ひ、ひ、ひ、こ、う、き、」
最初分からなかった。
「そうだねぇ、ひこうきだねぇ」
と、言うとニッコリした。
伝えたい…分かり合いたい…
息子は、人として、そういう意思を持った。
わたしは、
決して良い母親ではなかった。
もし、息子から、
生まれてきたくなかった…と、言われたら、心臓を握られ身を引き千切られる…
ただひたすら地に頭を擦りつけ、
許してもらえるかわからないけど、
謝り続ける…しかない………
ゆりかごの唄は、
息子をトントンしながら、
よく歌った。
今でも口ずさむと、
6畳2間のアパートの、
夕焼けを思い出す。
僅かに見えた富士山のシルエットも。
単線が走る、送電線も。
子守唄は、
母としての自分のために歌う…
そういうものだと思う。
息子は、
やっと授かった我が子。
息子が車の免許を取って、
わたしを助手席に乗せてくれた日。
「かぁちゃんの自転車に乗せてもらってたのになぁー」
と、ずいぶんと生意気な事を言っていた。
♪ゆーりかごのうーたを、…
2025/01/19
ただひとりの君へ、
とと様も、
ただひとりの君です……悪態吐いてていいから…ほんとにちんだりなんかしないで………
わたしの、とと様………
東に居る頃は、
パートを2つ掛け持ちしてた。
花のボランティアで扱う花も、
訪問する時の交通費も自腹だったから。
あと、短期のアルバイトもしたり、とか。
身体を動かしたり、働くのも好きだったから、何の苦痛もなかったな…
有志で出し合ったお金で花を買って、ブーケやアレンジメントを作って、友達や近所、学校などに配ったりしてた。
それを6年間続けた。
途中、辛くなってやめたくなったのは、
理由は、なんだったけかな…人間関係だったと思う。
忘れた。
〇〇長(教団で立場のある人)に、「やめたいのですが…」と言ったら、
「工夫が足りないんじゃないの? 飽きたんでしょ」と言われて、
「じゃ…どうしたらいいですか…」って、聞いたら、
「そんなんだからだめなんだ、『どうしたらいいですか』ではなくて、『どうさせていただいたらいいでしょうか』、、でしょ?…貴女は言霊がよくないっ」って、叱責。
あのあと、どうしたっけかな。
〇〇長は大ッキライになったけど、
活動は続けた。元来、負けず嫌いだから、いつか、あの〇〇長をぶっとばしてやろうと思ってた。
あの、〇〇長、
定年を前にして、とある理由で、
無職になるらしいとか…聞いた。
『どうさせていただいたらいいでしょうか…』って、今更、
神様に聞いてるのかな。
2025/01/18
手のひらの宇宙、
わたしの手は、
晩飯作って掃除して洗濯して、抱きしめたり握り締めたり、触ったり、耕したり摘んだり手当てしたり、物を造ったり壊したり組み立てたり表現したり…
じゃぁ…手のない人には宇宙はないの?
手の動かない人は、何も創造できないの?
つくるのは、手じゃない、
目を閉じたら開く魔法の目。
今日は、
同僚から、
「今日はさー、阪神・淡路大震災の日だよね…」って、話しかけられた。
その話しをしたのは、そのひと、一人きりだった。
その人は、仕事がいつも遅くてみんなからいつもいつも呆れられている…そういう人。
その同僚は、ほんとにいつも仕事が遅くて、あーもぉ〜って、わたしもいつもいつもイラッとしてしまう。
だけど…、
今日の阪神・淡路大震災の日っていう話題を、わたしは誰かとしようとは思ってなかった…。
その同僚とひとしきり、30年前の話しをした。わたしは、当時電報センターに務めていて、被災した方の家族や友達、親戚や知人の方の、生の声を聞いて仕事をしていた。あの日は、壮絶だった。忘れてはならないのに、忘れようとしている。
…
帰ってからその話しを夫とした。
「いつもバカにされているような人こそ、
大切な事を投げかけてくれる、大事な人だよね」
そういう話しになった。
2025/01/17
今日は反省と祈りの日。
以前、特別支援学校へ、遠足ボランティアに行った時、(今は特別支援学校という呼び方はしないようです)
わたしは、A子さんの車椅子を押す担当になった。遠足はバスで15分くらいの広い公園。地域のボランティアさんや、小学校のPTAボランティアさんも居た。
みなさん手際よく慣れていらして、わたしは車椅子の扱い方や、生徒さんへの話しかけ方などを教えていただいた。
いざ、公園へ到着して、車椅子を押す前に、A子さんにもう一度挨拶しようと思い、前に出て屈んで手を取ろうとすると、サッと手を払われてイヤイヤをする素振り。
嫌われてしまったかな…
と、思ってしまうと、
楽しい遠足が、気に入らない人に車椅子を押してもらうハメになってしまったA子さんに、申し訳ない気持ちになった。
A子さんは、小学4年生で、
わたしの息子は、当時中学生だった。
車椅子を押しながら、花が綺麗ねとか、気持ちがいいねとか、とにかくひとりごとのように、話しかけるでもなく声を出し続けた。黙っているよりいいと思って。
公園の芝生広場まで来ると、
ブルーシートが広げられ、生徒さんたちを車椅子から下ろし、好きな場所に好きなように休ませてあげる時間になった。
わたしもA子さんを抱っこして車椅子から下ろしてあげた。
軽い!!
女の子って、こんなに軽いんだ…
と、思った。
寝っ転がる?
と聞くと、イヤイヤしたので、
じゃぁ、
って、
わたしがリクライニングの座椅子みたいになって、そのままA子さんを休ませてあげることにした。
身体に力が入ってるな…と、感じたので、
「よっかかっていいよ」と言うと、
フッと力を抜いてくれた。
髪の毛からシャンプーのいい匂いがして、ご両親に大切にされてるんだな…と思った。
かわいい…
ツルツルでサラサラの髪の毛、
そっと抱きしめてあげると、
わたしも身体の力が抜けて行くのを感じた。
あんなに手足が細くて、
壊れ物みたいな儚いカラダを
抱きとめた事がなくて…
わたしは、
世の中を知らないょな…って、
A子さんの髪に頬を着けた。
つむじが、温かくて。
今年、
A子さんは22歳くらいだと思う。
わたしのことなど、
もー忘れちゃったかもな…
2025/01/16
昭和のアイドルは、
黒い涙を流してました!!