通っているスイミングで月に一度ある記録測定の日。200m個人メドレー。自己ベストは更新できても、あいつには勝てない。
ここ最近、ずっとそう。昔はあたしが一番だったのに、高学年に上がったあたりからあいつの方が速くなって、勝てなくなっちゃった。
あいつが男であたしが女だから?昔と違って丸みを帯びてきたあたしの身体。それに比べてあいつは角ばってて、筋肉質に見える。その違いが、速さに関係しているの?自分ではどうしようもないそんな違いが記録に関係してるとしたら、何だかとってもやるせない。男女の差なんてつまらないものがあたしとあいつの差を決めるなんて、あたしは嫌だ。
だから、あたしは努力して、あいつを超える。あたしが一番に返り咲いて、男女の差なんて鼻で笑ってやる。そんな思いで、必死に努力してる。
男女差だ、しょうがないって諦めちゃうのは絶対なし。だってそんなの、楽しくないじゃん!
小さい頃は、何でもかんでも冒険だった。いつもの帰り道だって、何かしら新しい発見があって、いつも違う景色みたいに見えていたような気がする。新しいことをするときは、いつもワクワクしてた。
大人になって、見慣れたものばかりの日々になって、周囲はありふれた景色になった。新しいことをするときは、心配ばかり先に立って、ワクワクなんて感じてない。あの頃の冒険心はどこへ行ったのか。
今、私は岐路に立たされていて、新しいことを選び取らなきゃいけないところにいる。やっぱり不安は大きい。でも、あの頃みたいに「さぁ冒険だ!」って一歩踏み出してみたら、ちょっとワクワクできそうな気がする。自分の内側の不安にばかり目を向けないで、周囲の景色を楽しんで、ちょっと冒険、してみようかな。
庭の雑草を抜いていたら、玄関までの通り道に一輪、花が咲いていた。薄桃色の花弁の可憐な花だった。何の花だかはわからないけど、すごく可愛い。抜いちゃうのはもったいない。でも、思いっきり通り道に咲いてる。ここで抜かなくてもいつか蹴って折れて枯れてしまうかも。うーん、どうしよう。
しばらく考えて、うちにはこのくらいの花が生けられる一輪挿しがあったことを思い出した。亡くなった母がよくそのへんの綺麗な花や花屋さんで買ってきた鮮やかな花なんかを生けていた記憶がある。
私は一旦家の中に入り、食器棚の奥の奥を探った。その一輪挿しはすぐに見つかった。特に装飾もない地味な一輪挿しだ。
私はもう一度庭に戻って、例の花を思いきって手折った。それを、家の中で一輪挿しに生ける。サイズはピッタリ。リビングのテーブルの上に置けば、花の薄桃色に、部屋の雰囲気が少し柔らかくなったような気がする。特別大きな花でもないし、派手な花でもないのに、花には部屋の雰囲気を変える力があるらしい。
母が花を飾る気持ち、昔はあんまりわかってなかった。どうせなら花束を飾ればいいのにって思ってた。あの頃の私は、一輪の花の持つ力に気づけていなかったのね。
一輪挿しに、花。あの頃より少し、母の気持ちがわかる気がした。
私は小さい頃、魔法使いになりたかった。某魔法学校から入学許可証が届くのを、長い間待っていた。
でも、自分は全然魔法っぽいことはできないままで、入学許可証は一向に届かず、ある日急に『ああ、私って魔法使いじゃないんだなあ』って腑に落ちた。
それからは普通の人間として生きてきたつもりだけど、気づいたらいつの間にか普通のレールから外れてたり、変わったルートに入ってたり。魔法使いどころか、普通の人間になるのもかなり難しかった。
そんな人生の中で、落ち込んでいるとき、誰かの言葉で急に心が軽くなったり、楽しいときに、声を掛け合ったらより楽しくなったりすることに気づいた。魔法じゃないけど、魔法みたいだ。私の周りには、魔法使いみたいな人達がたくさんいて、私はそれに救われてる。
私も誰かにとっての魔法使いみたいな人になりたい。昔憧れた魔法とはだいぶ違うけれど、この魔法ならきっと、私にも使える気がするの。
雨上がり、元気にしっぽを振って見上げてくる君のリクエストにお応えして、一緒に散歩に出かけた。
雨上がりは、いつもの散歩コースでも、雨粒で濡れた木々や草花が陽射しにキラキラと輝いて、いつもより明るい気持ちにさせてくれた。
隣を歩く君も心なしかいつもよりウキウキしているような感じがして可愛い。
散歩コースの途中、広い河川敷におりた。君はいつもここで駆け回るのが大好きなのだ。
今日も草に付いた雨粒が毛を濡らすことなど全く意に介した様子なく、元気にくるくる駆け回っている。
君を穏やかな気持ちで見守っていたら、急に君が立ち止まって、空を見上げて「ワン!」と吠えた。そして、私のところへ駆け寄ってきて、また空を見上げて「ワン!」。しっぽをブンブン振って、私の顔と空を交互に見ている。
空に何かあるんだろうか。そう思って何となく顔を上げた私は、そこにあった景色に息を飲んだ。
まだ少し雲を残す青空に、虹が浮かんでいた。それも2本。なんだか奇跡を見たような気になって、私は興奮した。
「え、すごい!虹!しかも2本!これを私に教えてくれてたの?すごいよ!ありがとう!」
私は興奮して隣の君をぐるぐると撫で回した。君はどこか得意気な顔で撫でられている。
私は君を撫でながらまた虹を見て、その美しさに浸る。
君と見た虹は、奇跡的に綺麗で、特別な景色だった。