わたしは青い鳥。幸福の青い鳥。私の羽根を手にしたものには、幸福が訪れると言われている。
自由に飛び回ってたまに空から幸福を降らせるのがわたしの役目。
けれども、今、わたしは籠の中にいた。3ヶ月前にとある貴族に捕らえられたのだ。
彼は、どうしても幸福が欲しいのだと言う。
『もっと財があったなら』『もっと健康な身体だったなら』『もっと人から好かれることができたなら』……。
彼の幸福を求める心は尽きることがないようだった。
願いの度に、わたしは羽根を毟られた。彼は、わたしの羽根を手にした直後は確かに幸福だったようだけれど、羽根はすぐに、黒く変色したり、燃えて灰になったり、塵のように消えてしまったりして、彼の幸福はどれも長くは続かなかった。一度幸福になった反動で、より不幸になってさえいた。それでも彼は、求めることをやめなかった。
羽根は、残り数本しか残っていない。わたしの翼は、羽根を毟られすぎて見るも無残な有り様になっていた。もう飛ぶこともできないだろう。そもそも、わたしは籠の中に閉じ込められ続けていたから、翼が大丈夫でも飛ぶ力が残っていたかはわからないけれど。
また彼が幸福を求めてやってきた。
「おお、幸福の青い鳥よ。私にまた幸せをおくれ」
彼が籠に手を入れ、わたしの羽根をまた毟ろうとする。今度はどんな幸福を願ってここに来たのだろう。
彼が指をわたしの羽根にかけたその時。
「ううっ」
彼が呻いてその場に倒れた。籠は彼の身体とともに下へ落ちて壊れ、わたしは床に投げ出された。ひらりと羽根が1枚、舞い落ちる。
彼は片腕で胸を抑え、もう片腕はわたしの羽根に手を伸ばしていた。そうしてしばらくもがき苦しんだ後、静かになった。
わたしは怖くなって、精一杯声を張り上げて助けを求めた。幸い彼は今日に限って、出入り口の扉を閉め切っていない。誰かに届く可能性がある。わたしは信じて叫び続けた。
「こんなところで鳥の声……?」
しばらくして、足音とともに人の声が聞こえてきた。わたしは鳴く声を強めた。
「やっぱりこっちの方から聞こえる!」
バタバタと足音が近づいてきて、扉からヒョコリと少年が顔を覗かせた。頭には三角巾、両手にはバケツと雑巾を持っている。下働きの子どもだろうか。
「わわ、だ、旦那さま!?大丈夫ですか!?旦那さま!?」
少年は倒れた彼に気づいて、何度か呼びかけたが、返事はない。
「お、お医者さまを呼ばなきゃ……!」
彼は慌てて部屋を出ていった。
わたしは鳴き疲れて、その場で意識を手放した。
次に目覚めたとき、わたしは段ボールの中のフワフワのタオルの上に寝かされていた。小さく鳴くと、あの少年が上から顔を覗かせた。
「よかった、きみも目が覚めたんだね」
少年が微笑む。
「きみのおかげで、旦那さまはギリギリ助かって、今は街の大きな病院に入院してるんだ。でも、いろいろ記憶が朧気みたいで、なんであそこにきみと居たのか、覚えていないようだったよ」
わたしは彼が助かったこと、彼がわたしを忘れていること、そのどちらにも安堵した。
「きみも、今はボロボロだけど、ちゃんと治療すれば羽根も元通りになるし、訓練すればまた飛べるようになるって獣医さんが言ってたよ。よかったね!」
わたしが喜びを込めて一声鳴くと、少年はさらに続けた。
「きみの羽根、とってもきれいだね。ぼく、この色すごく好きだな。きみの翼が全部治ったら、そのときは1枚だけもらっていいかい?お気に入りの帽子に飾りたいんだ」
少年は屈託のない笑みで、わずかに残っているわたしの羽根を褒めた。少年からは何の下心も感じない。本心から、わたしの羽根を綺麗だと褒めてくれたのだ。
わたしはそれが嬉しくて、肯定の意味を込めて、元気に一声鳴いてみせた。
「ありがとう」と少年はまた嬉しそうに笑った。
私の会社の近くの小さな丘には、ススキが群生している。
夜、残業を終え、窓の外を見ると、その丘が見えた。
月は丸く明るく、丘を照らしている。月の光に照らされて風に揺れるススキは、夜の海のさざ波のようだった。
私は何となく目が離せなくて、しばらくそれを見ていた。
疲れた心が優しく風に撫でられるような錯覚があった。
会社を出て歩きながら、月とススキって秋っぽい組み合わせだな、と考えて、今日が中秋の名月の日だと思い出した。昨夜から今朝にかけて、その話題を何度も目にしたのに、すっかり忘れていた。どうりで月が丸くて明るいわけだよ、と独り納得する。
毎日仕事に追われて、そんなニュースも頭の隅に追いやって……。余裕のない日々を送っていたことを実感した。
今日はお団子を買って帰ろう。
そう決めて、私はコンビニへ歩いた。
「やっぱ私、君のそういうとこ好きだなー!」
そう言って屈託なく笑った君の笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
君は多分、『友人として好き』とか『人間的に好き』とかそういう意味で言ったんだと思う。それはわかってる。ただ、君にそれ以上の『好き』を抱いている僕が、その笑顔に僕と同種の『好き』を期待してしまうことは、もうどうしようもないことなのだ。
あの笑顔が、僕だけのものになったらいいのになあ。
自分勝手な願いを抱いて、僕はベッドの中で目を閉じた。
まぶたの裏には、君の笑顔が浮かんでいた。
7月の天気雨の日、傘を持っていたにも関わらず、ささずに雨に濡れて帰った。
家に帰って、鞄も髪も制服も全部濡らした私を見て、母は目を見開いた。
「あんた、折りたたみ傘持ってなかったの?」
梅雨も終わりが近づいたとは言え、まだ急に雨が降ることもあるからと、私が折りたたみ傘を携帯するようにしているのを、母は知っている。当然の疑問だった。
「持ってたよ。でも、天気雨、綺麗だったから。濡れて帰りたくなって」
「あんたねえ、そんな意味のないことして。風邪引いたらどうするの」
私のセリフに、母は呆れ顔だ。
「とりあえず体拭いて、玄関上がって、さっさとお風呂入っちゃいなさい」
母は、タオルを差し出しながら、私を風呂場へ追い立てようとしてくる。
確かに傘もささずに雨の中駆け出したのは、傍から見たら意味がないことだったかもしれない。
でも、キラキラの天気雨の中を走るのは、最高に気持ち良かったのだ。結果的に、私にとっては意味があることになったのだと思う。
客観的に見たら意味がなくても、主観的に見たら意味がある。
もしかして、世の中に真に意味がないことなんて存在しないんじゃなかろうか。
そんなふうに哲学っぽく考えながら、私は、母からタオルを受け取って、身体に付いた雫を拭い、風呂場へと向かった。
あなたとわたしが初めて会ったとき、あなたは10歳、わたしは生後数ヶ月だった。好奇心たっぷりにソワソワと、小さなわたしから目が離せない様子で、あなたはわたしを見ていた。
あなたがわたしを『ムギ』と呼んだ。それがわたしの名前になった。
あなたと毎日行く散歩が、わたしはとにかく楽しみだった。同じ道だけど毎日少しずつ変わっていく景色の中を、あなたと並んで歩くのが大好きだった。1秒でも長く一緒に散歩していたくて、わたしはよくあなたを困らせた。
あなたとわたしは、おうちで一緒にうたた寝したこともあった。わたしのフワフワの毛が、あなたにはすごく心地良いみたいで、すりすりと頬ずりしてくるのが、擽ったくて心地良かった。
あなたとわたしは、公園で一緒に駆け回ったこともあった。あなたが投げたボールを、わたしが取って帰ると、あなたはたくさん撫でて褒めてくれたね。わたしを撫でるあなたの笑顔がキラキラしてて、わたしはそれがとっても嬉しかった。
15歳の頃、あなたは悩んで、よく泣いていたね。わたしはただ寄り添うことしかできなかったけど、それはあなたの力になったかな。なっていたらいいな。
あなたとわたしが出会ってもう13年が経った。あなたは大人になって、わたしはおばあちゃんになった。もうあの頃のように長く散歩したり駆け回ったりすることはできないけれど、あなたは変わらず愛情を注いでくれる。大好きなあなた。あとどれくらい一緒にいられるだろう。
わたしがいなくなっても、あなたの人生はきっと長く続いていく。泣いちゃう日もあるかもしれないけど、どうか笑顔の日がたくさんありますように。
「ムギ、ただいま」
わたしのいる部屋の扉を開けて、あなたが声をかけてくれる。わたしは顔を上げて、声の方を見た。あなたは、優しい笑顔でわたしを見ていた。