頭上から声が聞こえてきた。
見上げると、どこかの高校のベランダで少年たちが言い合いをしている。
「もう諦めろよ」
「諦めるもんかっ!俺の悲願なのに!」
「お前の思いは分かるけど、高嶺の花だよ」
「高嶺の花でもいい!」
2階のベランダと地上とで喚きあうように言い合う少年たちは、何か小さなものを持っていた。
「十年以上も夢見てたんだぞ!叶えてみせる!」
「でもこんなの、到底叶いっこないだろ!」
「諦めなければ、夢は叶う!」
どこぞのヒーローのような発言をした少年は地上にいる少年に告げると、持っている小さなものを構えた。
(なんだ、あれ?)
希望に満ちた2階の少年が持っているものが気になり目を凝らすと、それは小さなプラスチックケースだった。
「行くぞー!」
「おー」
2階の少年の掛け声とともに、地上の少年が構える。
「うぉりゃー!」
「べっ。ちょっと、口狙うなよ!」
「狙ってねーよ!ってか、口開けんな!」
何かを落としたらしく、地上の少年が悲鳴を上げる。
(なんだ……?)
少年たちは互いに文句を言いながらも、再度プラスチックケースを構えた。
「もっかい行くぞー!」
「おー!」
ぽた、ぽた、と2階の少年の手から水滴が零れ落ちていく。何度か繰り返されるそれに、ようやく小さなプラスチックケースの中身が分かった。
(目薬……?)
2階の少年は、地上の少年に向かって目薬を放っていたのだ。
「だー!やっぱ入んねーって!届かねーよ!」
「届くよ!諦めんなよ!」
「首上げっぱなしの俺の身にもなれよ!」
「代わってやりてーけど、俺の夢はこっちなんだよ!もうすぐ予鈴鳴るぞ!」
「マジかよ、早く!」
休み時間の終わりが迫ってきているのだろうか、少年たちは焦って互いに口調が荒くなっていく。
「受け止めてくれよ!頼むからさぁ!」
「こっちだってさっさと受け止めてーわ!土台ムリなんだよ、2階から目薬なんてさぁ!」
地上の少年の言葉に、彼らの謎の行動にようやく合点がいった。
(あぁ、『2階から目薬』)
彼らは――2階にいる少年は、ことわざを体現したかったのだ。
地上の少年はそれに付き合わされているといったところだろう。
「あー、入んねー!」
「もっと狙いつけろよ!」
「めちゃくちゃ狙ってるよ!あー、もう半分なくなった!」
「もう⁉お前どんだけヘタクソなんだよ!野球部のエースだろ!」
「目薬にエース関係あるかよ!」
2階の少年が喚いた時、チャイムが鳴った。
「あぁっ!」
「もう戻るぞ!」
「昼休みも付き合え!」
「マジかよ!」
とうとう彼らの悲願が達することはなかったが、何かいいものを見た気がした。
(でも、『高嶺の花』は違うと思う)
/6/18『届かないのに』
『――そうして、僕は暗い闇の中に意識を手放した』
画面が暗くなり、ENDの文字が浮かび上がる。
「っあー! またバッドエンドだよ! もう3回目! どの選択肢間違えたんだ⁉」
頭を抱えてワタルが喚いていた。
彼は趣味のビジュアルノベルゲームをしていたのだが、現在、数あるマルチエンディングの中のバッドエンドにしかたどり着けていないのだ。
「何選べばいいんだよー、マカロンちゃんよー。選択肢は合ってるはずなんだけどなー。あと何が足りないんだ?」
ゲーム内での少女のあだなを呼び、決定ボタンで次の画面へ進む。
すると画面の暗転後に、見覚えのない画面とメッセージウインドウが出てきた。
『「箱の中の私」が解除されました。』
「ん? なんだこれ?」
解除、の文字に何かを思いつつ、ワタルは幾週目かの『つづきから』を選んで、最初の選択肢からゲームを再開した。
「お? おぉ?」
一度読んだテキストはスキップが出来るため、先程エンディングを迎える直前くらいまでのシーンにすぐに辿り着いた。そこで、既に読んだと思っていたテキストのスキップがピタッと止まる。
『「……あなた、私の何を知っているの?」真紀子がこちらを睨むように見て言う。』
「おぉ! マカロンちゃん! 知らないとこだ!」
知らないテキストと音声にテンションの上がったワタルは、初めて通過するルートに歓喜の声を上げた。
「これ、今どこなんだろ? 分岐したのか?」
オプションボタンを押して、『分岐図』を開く。このゲームには、自分がどのルートを通ってきたかがわかるように大雑把なシナリオのマップがある。
それを見ると、今まで直線だったものが家系図のようにひょっこりと新しい線が増えていた。
「おぉー! 新しいルート発見!」
ワタルは嬉々として続きをプレイした。
数日後にワタルが共有のネット友達に聞いたところによると、マカロンのルートはいくつかあるバッドエンドを回収してからでないと、グッドエンドのルートが開かないのだそうだ。
何度もマカロンとのエンディングを重ねて、ようやくあの分岐図が更新されると聞いた時、正直面倒だとワタルは思った。
しかし、
「メンヘラのマカロンちゃんだからこそのルートっぽいよなぁ」
しみじみと彼女のことを思い、グッドエンドを噛みしめるワタルだった。
/6/16『記憶の地図』
黄色と青のマグカップ。
彼と揃いで買った安物だけど、私はとても気に入っていた。
食事の時、一休みする時、喧嘩したあとの話し合いの時。
幾度も私達のそばにいて、見守ってきてくれた。
でもそれも今日で終わり。
青いマグカップは捨てていいと言われた。私と同じように。
私と黄色いマグカップだけが、この部屋に残ることになった。
もう揃いのマグカップにコーヒーを入れることはない。
出ていった彼の青いマグカップには、白い底に黒い円がひとつ、まるで外していった婚約指輪のように残っていた。
黄色いマグカップの底には、溶け残った砂糖がひとさじ、茶色い砂塵となって隅に寄っていた。
/6/15『マグカップ』
もしも君が 僕のことを好きだと言ったなら
僕は君を閉じ込めてしまうだろう
大きな鳥籠の中に ベッドとサイドテーブルを置いて
鳥籠にはレースのカーテンを引こう
僕は時折カーテンの中を覗いて君に言うんだ
「大好きだよ」って
僕の「好き」は こんな好きなのだけれど
君はそれでも 僕を「好き」だと言ってくれる?
/6/14『もしも君が』
「お魚がー、釣れましたー」
「なにそれ」
妻がキッチンで魚を捌きながら歌い出した。
「三枚にー下ろしましたー」
「うん、そうだね」
僕は隣でサラダ用のレタスをちぎりながら様子を見ている。
「みっつはそれぞれに膨らまないからー、元の形になりませんー」
「なにそれ。なんでそんなに音詰めるんだい」
「出来るのはー、アージフーライ♪」
楽しそうに歌う妻は、下ろし終えた魚をバットに移し、フライの準備を始めた。
僕は調子が合っているのか外れているのか分からないその歌を、どこかで聞いた覚えがあった。
「それなんだっけ? どこかで聞いたな。それにしても外し過ぎじゃない?」
火にかけた油が適温になるのを待っている彼女に、何度目かのツッコミで耐えきれずに指摘すると、彼女は音がするほど勢いよくこちらを振り向き、
「ちがうよ! リスペクトよ! 音に遊ぶと書いて音遊よ!」
一息に言った。
(あぁ、思い出した。リスペクトね。音遊ね。言ってたものね)
リスペクトを含んだ音遊は、彼女だけのメロディを作り出す。
そして「人は〜」と、魚を油に入れながら次の歌を歌い出した。やっぱり音遊で。
/6/13『君だけのメロディ』
オマージュ元分かった人はおともだち。