知覚した。
眼前の衝撃に脳が強いられた。
焼きつくような感覚が全身にわたる。
今すぐ逃げろという信号が本能となって己を急かしている。
だが動けない。
指先一つも動かせない。
額に突きつけられた冷たい鉄の凶器に、理性が凍っている。
——なぜなんだ。
嘘と言い聞かせるには無理があった。
これから親友に殺されるとは、彼が想像できなかったのだから。
【どうして】
若さと老いを区切る一つの線。
緩やかに始まり、静かに衰えてゆくもの。
一つの生として死に辿り着くまでの長旅。
我々は摂理のなかにいる。
それは神意がそう定めたと、至極確かとはいえない。
確実なのは、誰しもが必ず節目を迎えることである。
どれだけ心が幼かろうが、躯は厭でも育っていく。
誰かが作った通行儀礼で、そういうものだと強調する齢を、多くの人間が経験するのだ。
【20歳】
群青に浮かぶ遠い灯。
人智が触れた白い星。
暗い彼方から覗く顔。
夢路へと導く淡い時。
【三日月】
ごまかすのは得意だ。
どんな時だって、ギリギリだろうがポーカーフェイスにすぐなれる。
嘘偽り上等さ。死ぬまで貫けられる。
今日だって友達とカフェでこんな話をしたんだ。人間は嘘をつく時に、顔のどこかを無意識に動かしてしまう、って。
目は口ほどに物を言うとは聞く。顔のパーツに関してなら、目元や鼻をひくつかせたり、じっと見つめるなどがある。
素直な奴は笑いを堪えきれない。嘘へのちょっとした罪悪感や、好奇心から来たりするし。
そうして俺がいろんな発想を言葉で並べてると、友達は突然こう言い出したんだ。
「幽霊はどうなんだろう、あいつら感情あるのかな」
微かに間をおいて、どうだろうな、と返した。
霊的には、持っている念の色次第で感情が異なると耳にしたことがある。特に赤色は攻撃的な意志を表すのだそうだ。だから絶対に離れろ、と言われてる。
過去にちょろっと読んだ本の内容を脳裏に浮かべつつ、
「幽霊が嘘をついてくるなんて話は聞いたことがない」
と、前例なしを挙げて現実ワードで返した。
「ははっ、そうだよね。僕らは見えないから証明しようがないもん。でもあったら面白いと思うんだよな」
「まあな」
少し楽しげな彼に短く相槌を打った。
まあ、俺もそういうのに偏見はないし乗れるから別にいいけど。そう言われると、見てみたさはちょっとだけある。
関心がうつった俺は冷めないうちにと、机に置かれたコーヒーカップを手にとり、縁に唇をつけた。
ふと友達を見る。
友達はプレートの上にあるチョコレートケーキをフォークで食べている。昔っから甘党だ。そういうのにはすぐ夢中になる。
そして何となく、後方に視線を移した。
テーブル席で一人の男が背筋を伸ばして座っている。
黒い背広姿だ。リーマンだろう。仕事の合間の一休みといったところか。
だけどブリーフケースが見当たらない。手ぶらでこのカフェに来たのかよ。真面目なのか自由なのか分からない人だ。
そう思っていたら、男がゆっくりと俺に振り向いた。
血色のない肌だった。
両目が真っ黒に染まっている。
大口を開けて笑顔を見せてきた。
「......確かに思うわ」
俺は平然と言葉を付け足して、コーヒーを啜った。
【何でもないフリ】
素直になれない事はある。
そしてどれだけ悔いても、言えなかった頃には戻れない。
言葉を交わす傍らに、脳裏に散らつく言葉が浮かんでも口にする事を憚った。
感情は霧に包まれ、次第に濃くなり、そして伝えずじまいで留まった。
頬を濡らしても時は戻らない。
冷え切った肌に触れても、振り向かれる事もない。
黄斑した身体に心は乱れ、慟哭した。
寝顔は安らかだった。苦しみから解かれただった。
だけど淵の底へと沈みゆく心には、あまりに強すぎた。
だからこそだ。
届かなくてもいい。返ってこなくてもいい。
二度も繰り返して悔いるなら、今この場で伝えよう。
一生触れられなくなる前に、震えた声で耳元で告げた。
【ありがとう、ごめんね】