星になる

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9/14/2025, 1:38:10 PM

となりをみると、弟の、少し濡れたズボンがあって、もうすこし見上げると、弟が傘の柄を握っているのが見える。

さらにめをあげると、パツパツ雨が傘をうつ音と、白い街灯の光が、おっこちてくる雨のシルエットと、弟のシルエットを淡く浮かび上がらせている。

よくみると、弟はこっちを見てた。

フシギそうに見てる、弟とバッチシめが合って、
なんでか、おれの口角がぐっと上がってくのを感じる。
また、気持ち悪いって言われる前に、めをもういちど、自分のみのたけにあうとこまで戻した。

雨に濡れた夜道が、街灯のしゃぼん玉みたいなあかりにメラメラ光って、街灯のならぶ反対側には、住宅街が並んでいる。
窓と、玄関、別の家の、窓と玄関にも、せいぞろいで明かりがともってて、窓に伝う結露までは見えなくても、幸せそうな家庭はのぞけた。

「兄ちゃん……ヒトの家をジロジロみるのはよしなよ、なんかわるいヤツみたいだぞ!」

雨の音にはぜんぜん負けない、弟の声はいつでも朗らかだ!
だが、おれは悪者扱いされてるらしい。

「ワルモノが割るものさがしってか……!?」
「わるモノじゃなくて、ボクが言いたかったのはドロボウ!こうすればおまえのサムイギャグは無効だ!まったくもう!」

傘をグラグラゆらしながら、アニメっぽく、しぐさでイライラを伝えてくる。

「ざんねんだったな、ものさがしってとこでもかかってるぜ」

あんま深く考えずに言ったが、弟は意外にも一拍、めをまるくして、そのまんま黙って、前をむいて、腕をくんで、考え込んだ。
おれは、あんま深く考えずに言ったもんだから、考え込んでる弟がおもしろくて、また口角があがった。

「……もうッ!!」

叫んだと思ったら、おれの頭に冷たいモノがどさどさきて「えっ」上をみあげるが、そこに弟の顔も傘も見当たらず、先をみたら、次の次の街灯の下に、走る弟の後ろ姿がみえた。

「ジョーダンキツイぜ……」

おれのパーカーはあっというまにびしょぬれで、三段階くらい暗い色におちてる。
カゼひくまえに、弟の傘にありつくべく追いかけた。

珍しく、きょうは雨だってことで、スニーカーを履いてきたが、それが悪手だった。慣れてないからかバカみたいに走りにくい。
おまけに、背中にはぐちょぬれのフードがきもちわるくのしかかる……

「あ〜、うえ〜」

それでもなんとか、コンクリートの上をおれの影がカタツムリみたいにすべってく。
街灯の中にとびこんで、まだ走って、おれのうしろにまわった影が、おれへおいついて、おいぬく。

走るのがヘタだからか、どうしてもおれの上体は地面の方にかたむいて、前をむくにはわざわざ頭をおこさなきゃならない。
労力つかって、前むくと、弟があとふたつ街灯こしたとこに立って、おれを見てるのがわかった、すると、視界がニュっとのびて……そうのびた。
街灯のあかりが急に尾をひいて、住宅街がとつぜんおれの視界から消えてなくなって、つぎには立派な痛みが額と鼻と、とにかく顔面を襲った。
ガチョッて、ヒドイ音が鳴った気がする。

ずっころんだ。もう一生、スニーカーなんて履かない。

ずるずる重い服をひきずって、荒れて荒れて荒れまくった息と、うるさい雨の音のなかでとりあえずなんとか、起き上がって鼻を触って折れてないか確かめた。

マジで、おれがワルフザケすることはあっても、兄弟がこんなことするのはめずらしい。

くるしい息のなかで、おれはそれだけ考えるのがやっと。

痛みがマシになってきた頃、コンクリートに手をついて、ヒザにも力をいれて、たちあがろうとする。が、運動不足がたたって、コンクリートを四つん這いになって見つめたまま、立ち上がれない……

ぬれた靴、かろうじて上部はぬれていない靴がおれのめにはいってきたかと思うと、雨のうるさい音がマシになって、頭をうちつけて、靴下に水をためてくることもなくなった。

「……ドッキリだ!」

顔をあげると、どうしようもなく面白い、といいたげな赤い顔がみえた。
肩もぷるぷる震えている。

「ドッキリだから、謝んないぞ!」

おれの走って転んだ姿がよほど面白かったのか、めったにみない笑い顔を拝めた。
弟が手をさしだしてくれたから、おれはそれをつかんで、どうにか起き上がって……
弟の足にてのひらをぶつけ、自分もろとも弟をずっころばせる。

「うわっ!?」
「……ドッキリだ」

傘がちかくに転がって、ふたりでずぶぬれになりながらコンクリートにころがった。

弟は、プッと顔を赤くして、ぷるっぷる震えて、やがて爆発したみたいに笑いだす。
おれもそれにつられて、ふたりでお互いをゆらしながらめちゃくちゃに笑った。

「へへ、へへへ!おこるかと、おもったぜ……!」
「は、ハハ、ハハ……!おこってるよ……」

街灯と街灯の間だから、ちょっと暗いが、弟はぜんぜん幸せそうに笑ってる。
おれもたいがいだろう。

傘がなくなった空の上から、雨がもちろんふってきていて、雲の合間合間から、黄色い月がのぞいてて、だのに、雨はおれたちをうちつけて、おれはふう、とため息をついて、弟の腹からどけて、立ち上がる。
すると、弟も、まだ半笑いだが、傘をひろって立ち上がって、ふたりぐしょぬれだから、傘いらないよな、なんて思った。
弟もそう思ったのか、傘をたたんで、手に持つ。

「……ほんとに怒ってるからね!きょうのお風呂掃除は兄ちゃんの担当だッ!」
「おっけー」

びしょぬれの弟にむかって軽くいうと、弟はなにか思い出したらしく、急に焦ったみたいにしだして、フシギだな。雨に散々ぬれてるくせに、汗と雨はみわけがつく。

「やっぱオレさまがやるッ!
……兄ちゃんに任せたら、風呂に苔がはえる!」
「なんだ?いいのか?ラッキーだな」

おおかた、おれが風呂掃除をサボったのに気づかず、ヌメヌメの浴槽につかったときのことでも、おもいだしたんだろう。

もういっかい空を見上げたら、月はもう雲に隠れてなかったが、街灯の白いあかりのおかげで、キラキラうかぶ雨粒が、まあなんか、星みたいだったし、雨の日の夜空も、いいな、なんて思う。

「なあ兄ちゃん!」

みあげると、弟がニコニコ笑ってこっちをみてる。

「こんど、星みれるといいね!」

おれの手をつかみながら言って、つかんだと思ったら、それをブンブンふりだした。
やっぱり怒ってなんかいないだろうな。むしろたのしそうだし。

「きょうだって、月ならみえるよ」

ガグガグ、ゆらされるまんまに体もゆらしながら、言ったら、弟はそこで立ち止まって、大きく見上げる。
おれがつついて……いつのまにか、月のほうを指さすと、弟はすなおに見上げて感嘆した。

「なんか、いつもより綺麗だねっ!」
「だな。卵みたいだ」
「あしたもみられるといいねえ!」

弟は、なにか、胸のわくわくがおさまらなくなったのか、雨のなか、ぐるぐる走り出して、おれはゆっくり歩いて、追うことにする。
カゼひくっていったけど、たぶん大丈夫だな。こういうとき自分の体を自慢したくなる。

おれは、雲にかくれそうな月をひとめみあげて、ちょっと笑った。

ほら、おれの弟がいってるんだから、あしたもときどきは顔みせてくれよ。

2024 12/21

9/7/2025, 2:46:55 PM

空が暗いので警戒していたが、いざ降り出してみると僕は何もできなかった。
できたことと言えば、口を緩ませ、ふにゃふにゃの声で「あ〜……」とうなる。たったそれだけ。ただのへんなやつだ。

雨を吸い込み、みるみる色を落ち込ませていく道を見る。僕の足はそれを踏んだ。
拍子に、靴の先から水滴がピッ。飛び出した。

歩く。ピッ。飛び出す。
また歩く。ピッ。やはり飛び出す。

僕はなんとなく“こんなだから人間の友人がいないのだ”と悟った。

それでも結局、僕は自分の足元を見つめたまま自宅まで来てしまった。
顔を上げ、屋根まで見上げ、ドアに顔を戻す。僕はふーっと息を吐いた。

よし。
ぐっと踏み込んだ直後、僕はその場から弾き飛んだ。
玄関口の短い階段を駆け上り、靴音をよく鳴らす。
ドアの目前に近づくと、手のひらを取っ手に縋り付かせた。勢いよくそれを引く。

「母さん!すごい雨に降られた!」

母はすぐ、そこの台所の壁のところからひょこっと顔を出した。
そして、ずぶ濡れの僕に目を丸くする。
それから、少し楽しげに、爛々と目を輝かせた。

「あらまあ、ほんとに酷いありさまね。
そこで待ってて、タオルを持ってきますから」

振り向きざま、チラリと見えた母の尻尾は、興奮した振り子のように揺れている。
僕の心から、どこからともなく得体の知れない温もりが入り込んできた。

辺りを見回す。髪の先からポタポタ水滴が落ちた。
その他には、金色に輝く優しい我が家が見える。
テレビを囲む、使い古された一人がけのソファとブロック型のソファ。
その下にはオレンジ色のシンプルなラグ。
大好きだ。すうーっと息を吸い込むと、シナモンの甘い香りが胸を満たす。
今、僕の心に居座る温もりの正体は“懐かしさ”に違いない。それでもまだ得体が知れなかったが、なんだか僕はスッキリとした。

そのとき、母がパタパタ小走りで現れる。
料理の途中だったのか、エプロンを揺らしていた。その手には真白くフワフワなタオルが掛かっている。
僕は、母からタオルを受け取ると、すぐにそこへ顔を埋めた。すうーっとまた息を吸い込むと、りんごの香りが優しくくゆる。

僕は顔を上げ、そのりんごタオルを使って髪やら肩やらをポンポン拭いた。
母もタオルの端々を掴み、拭くのを手伝ってくれる。

「……何歳になっても、世話が焼ける子ね」

そういう母は、どことなく嬉しそうだ。
僕は聞こえていないフリをした。

それから、びしょ濡れの服から解放され、シャワーを浴びる事になる。
母の手際のおかげで、張り付いていた衣服はもの凄い勢いで脱ぎ捨てられていき、気がついた頃にはもう僕は湯船にいた。

一体どれくらい浸かっていたのかよく覚えていないが、身体中がほかほかに暑く、手はりんごのように赤かったので僕は立ち上がった。
すると、リビングの方から誰かの声が聞こえてくる。

「おーいトリエル!雨宿りさせてくれ!」

野太い女性の声がワンワン響きわたった。
誰が家に上がったのか、僕はもう一瞬で考えつく。
僕はすぐに風呂場から上がり、体を手早く拭いて、リビングに向かった。

「アンダイン」
「ん?あ、よおフリスク!外は凄い雨だな!」

彼女はニカッと笑う。ふと、僕は彼女が影に隠しているもうひとりに気がついた。
覗き込むようにして上体を伸ばせば、その影はビクリと動き出す。

「……アルフィー」
「っあ、ふ、フリスク、こんばんわ。
わ、私もついでに雨宿りし、したくて……」
「そうなんだ!というか、それが本題だ!
私たちふたりで歩いているところに、こんな雨が降ってきてな。私はともかく、アルフィーはたまったものじゃない!」

アンダインの黒いタンクトップは、これでもかという程水を吸っているし、髪だって毛先の全てが肌にべったり貼り付いている。
対照的にアルフィーはそこまで濡れていない。
眼鏡に水滴がポツポツ滴り、肌が濡れててらりと光っているくらいだ。
アンダインが庇ってきたのだろう。

事情を聞いてちょうど、母がパタパタやって来た。
またりんごタオルを手に掛けて。


それから、ふたりは別々にシャワーにいって、別々にあがってきた。
服は母のものを着たようだが、ふたりとも物の見事にサイズオーバーである。
あがるや否や、ふたりとも窓の方をチラリと見る。
まだザアザア降りなのを確認すると、申し訳なさそうに僕と母を見た。
母は迷いなく「ここにいていいわ、その代わりふたりとも、夕飯を一緒に食べましょうよ」と言う。
アンダインとアルフィーは顔を見合わせて、目をパチクリ瞬かせる。
そしてもう一度母を見ると、ふたり同時に強く頷いた。

「うわぁ、トリエルってホントにいい人だよ……!」
「この借りはいつか返さなきゃな!」
「そ、そうね、と、トリエル。機械のことでなにか困ったらいつでも言って!」

母は幸せそうに笑う。

「ふふ、借りだなんて。いいのよそんな。
でもそうね。困ったときは、必ずふたりに相談するわ」
「ああ!そうこなくっちゃな!」

会話はそれきりで終わった。
母はまたキッチンに戻って行った。
アンダインは夕飯の用意を手伝おうとしたが、アルフィーが全力で止めてくれた。
今は、ふたりそろって脱衣所にいる。僕が提案したのだ。
彼女たちは自分たちが使ったタオルと、濡れた衣服を洗っている。
アンダインが得意の力強さでギュウッと絞り、カラカラになったのをアルフィーが洗濯機に入れ、操作した。

僕は母のところへ向かい、もう少しで出来そうなのを確認する。食器棚から必要な食器を取り出して、人数分クロステーブルにコトコト置いていった。
そのとき、突然ドアが強くノックされる。
母と僕は顔を見合せ、言葉もなく僕が行くことになった。

ドアのカギを開けると、その瞬間取っ手が引かれて見慣れた顔がグイッと近づく。

「フリスクッ!突然ごめん、雨宿りさせて!」


パピルスのためにタオルを持ってこようと、脱衣所に再び赴いた。
洗濯機を魔女の大釜みたく操るアルフィーが顔を上げ「あ、どうしたの?フリスク」と問いかける。

僕はパピルスも来たことを伝えた。

「なに、パピルスも!?」

力の限りタオルを絞り込みながら、アンダインは叫ぶ。
最後のタオルみたいだった。

「ハハ!み、み〜んな集まっちゃいそうだね」
「ウーン。案外なくはないかもな!だってパピルスが来たってことは、どうせサンズも来るだろう!」
「ハハハ!い、言えてる!」


タオルを手渡すと、パピルスはぐしょぐしょの顔の中でさらに感動の涙を浮かべた。

「ありがとうフリスク!この恩は一生かけても必ず返すぞ!」

言うが早いか、僕にハグしようとしたが、ギリギリで思いとどまる。
腕を広げ、自分のびしょ濡れ具合をよーく確認した。

「……どのみち、今は返せそうにないみたいだけど!」

僕は、そのままそこに立って、パピルスの濡れた装いを次々腕に抱えていく。
手袋、上着、スカーフ。
彼は自分でテキパキ体を拭いていく。

やがて、家に上がっても大丈夫そうなくらいになると、僕はパピルスを脱衣所……つまりその先のバスルームに案内した。

「シャワーも貸してくれるなんて……やっぱりニンゲンの腹は太いよ!オレさまも見習わね、ば……!?」

脱衣所に屯しているアンダインとアルフィーに、パピルスは動きを止める。

絵に描いたような愕然。
アンダインが先に口を開いた。

「パピルス!久しぶりだな、元気だったか?いや、元気じゃないと許せない……ロイヤルガードの元隊員たるもの、いつでも元気いっぱいでなければ……!「お、押さないでアルフィー博士!コケる!コケる!」アルっち!まだ話のとチューだろ!?」

アルフィーはパピルスの背中を押して、バスルームに押し込む。
そして、バスルームのドアをピッタリ閉めた。

「……そ、そんなこと言ってる間に、パピルスの体が冷えちゃうよ」


パピルスは、風呂場でシャツやらズボンを絞ったらしい。
アルフィーとアンダインは既に乾いたそれをもらって、洗濯物に追加した。

それから僕は、パピルスを連れて食器出しや、母の料理を食器によそる手伝いをする。
コップにはお茶を注いだ。
底の深い皿から、シチューが湯気をたてている。
焼きたてのロールパンが更にポンと置かれて、スライスされたゆで卵ときゅうりでできたサラダもある。

パピルスと僕は、自らの手で盛り付けられた料理たちにお腹を鳴らした。
母は「実はシチュー、作りすぎちゃったのよ。だからちょうど良かったわ」と、言った。

アンダインとアルフィーを呼んできて、僕たちみんなが食卓につく。
アンダイン、パピルスは手をパンッと合わせ、元気に「いただきまーす!」と叫んだ。
その瞬間、またドアがノックされる。
アルフィーはニヤニヤ笑って「ほら来たわ」と言った。
母もアルフィーを見つめてニコリと笑う。
僕を見やって「まあ、ただのノックノックジョークかもしれないわ」と呟いた。

9/4/2025, 2:32:18 PM

ウォーターフェルの天井からは、今日も小雨が落ちてくる。
無骨な岩肌が黒光りしては、洞窟に絶え間ない雨音を響かせるのだ。
なぜこんな雨が降り続けるのか、地上を見れないモンスターに知る術はない。
しかし、落水を究む事は、出来たのだ。

また一滴、また一滴と水は落ちる。
弾むように岩肌から離れて、ぱつんと弾け、また岩肌の地面に貯まる。
ポタリと落ち、ぱつんと弾け、ポタリと落ち、ぱつんと弾ける……
絶えない雨足を、赤い傘が弾いた。

色のあせた赤い傘の上、キラキラ星のように体を落とす雨粒たち。弾けて、分裂し、傘の傾斜をスーっと滑る。
やがて、赤い縁からまた、ポタポタ落っこちるのだ。

サンズは、傘の中からそれを見ている。
一切喋らず、瞬きもせず、ただじっと、水の流れを観察していた。
目に入ったのは、タコの先まで滑り降りた雨粒。
そいつは重力に従ってぷっくり下半身を膨れあげ、その自重に地へ落ちる。

サンズはそれを二、三分眺めたあと、ふと天井を見上げた。
赤い傘から覗かせた眼窩に、三滴の水がトトトッ、と落ちてくる。
水滴が頭蓋骨の裏を滑り、頚椎を流れて出ていくのを感じた。

……もし、サンズの頭蓋骨に頚椎を通すための穴がなければどうなっていただろう。
雨はこのまま三滴分、サンズの頭蓋骨に貯まったままなのだろうか?
この地にも同じことが言える。ここの小雨は降り止んだ試しがないのだ。
しかし、この地面にはなだらかな傾斜があって、道の両脇に水路が出来ている。
落ちてきた水たちはこの水路を通って、ウォーターフェルの川を満たす仕組みだ。

サンズはすっかりびしょ濡れになった顔を傘の中へ戻す。
傘の柄を肩に乗せ、取っ手を軽く握った。
サンズは一直線に落ちる水滴に遮られながらも、暗い道の先を見る。
そして、そこへ向かって一歩踏み出した。

サンズはゆっくり歩く。傘が雨を弾き、地面が雨を弾く音の中で。
カタツムリが岩肌をのろのろ登っている。
サンズはそれと同じくらいのスピードで、歩みを進めた。

もしこの光景をグリルビーズの常連が発見したら……
口を揃えてこう叫ぶに違いない。

「あのサンズが歩いてる!」

サンズは自他ともに認める怠け者で、歩くことすら滅多にないのだ。
もちろん、パピルスといっしょに歩くなら別である。だってパピルスは面白いヤツだ。
パピルスと歩くのなら、どんな場所であれ楽しく過ごせた。何歳になってもパピルスと遊ぶのが一番だと思う。

だから、パピルスといっしょに散歩をしているのと、たったひとりで散歩するのとは、宇宙船と宇宙飛行士くらいの違いがあった。

じゃあなぜ今、サンズはひとりなのだろうか?
ひとり、傘をさしてウォーターフェルの小雨を歩き進んでいるのだろうか。

それは、サンズがこの場所を好んでいるからだ。
この先の場所も。
小雨の中を、傘をさして歩くこと。暗闇の中でテラテラ輝く岩肌を見つめること。
暗闇から現れる針のような水滴を見つめること。

サンズはいつものスリッパを水浸しにしながらも、いつもよりご機嫌に道を歩いていた。

雨音だけが響き渡る洞窟。突然、誰かが水浸しの地面を蹴り上げ、走ってくる音が聞こえた。
サンズは赤い傘をグッと持ち上げ、目の前をハッキリ見てみる。
そこには、雨を避けようと顔を下げて走るモンスターのこどもがいた。
サンズにも見覚えのある、黄色い服を着た子だ。

その子は、サンズとぶつかる寸前でようやくサンズに気が付き、急ブレーキをかける。

「うわっ!とっ!とっ!」

目を皿のように丸くして、その子はどんどん後ろに傾いていく。突然止まったせいで、バランスを崩したのだろう。
サンズは手を伸ばし、後ろに傾くその子の襟を掴んだ。
その子には手がないので、しょうがない。

「とっ……!あ、ありがとう!」

子どもの足に、しっかり彼の体重が乗ったのを見届けた。サンズはその子の襟から手を離すと、いつもの笑顔を浮かべる。

「スノーフルに帰るのか?」

子どもは素直に頷いた。

「うん!えっと……サンズはウォーターフェルに行くのか?」

サンズが首を振るのを見て、子どもは不思議そうに顔を傾ける。

「フラフラしてただけだ。
そこまで送ってやろうか?……傘もないみたいだしな」
「いいの!?
じゃ、行こ!」

突然の静寂が雨間の細かい響きを深めた。
サンズは相変わらずのペースで歩いている。一方で子どもは、そのペースにウズウズし始めた。

「……」

その子は、サンズをチラリと見上げ、声を張り上げる。緊張しているようだ。

「なあ!……思ったんだけど……なんでココでフラフラしようと思ったの?
濡れるし、地面はグショグショなのにさ!」

サンズのスリッパに視線が注がれる……
サンズは、何気なく答えた。

「……雨ってしってるか?
ココみたいに、空から水がたくさん落ちてきて、地面だってぐちょぐちょになるんだ。
でも、そういうのがスキで、落ち着くヤツらもいるんだぜ。なんでだと思う?」

子どもは眉を寄せ合い、ウーンと大真面目に悩んでいる。
雨の音がその間を縫って、ふたりの間に居座った。

「……なぞなぞみたいだ……」

暗い先の道の奥から、傘立てが見えてくる。
この雨間の終わりも近いのだ。

その辺にたどり着いてようやく、子どもは叫ぶ。

「わかったっ!
地面が濡れたら走りにくくなって、走り込みの効果がもっと大きくなるからだ!
アンダインがゴミ捨て場を走るのは、そういう理由なのかも……!」

サンズはニヤニヤ笑って、返事をした。
子どもは雨間の終わりにたどり着くと、傘から走り出ていく。
それからすぐに振り向いて、サンズの答え合わせを心待ちにした。

「おもしろい答えだな。でも不正解。
正解は、雨がスキだと雨に“打たれる”事はないから!」

子どもは答えを聞いた途端、ゲッソリして肩をおとす。

「なーんだ、ダジャレ!?
そーいう事なら、オレも雨を好きになろうかな!オレ、傘持てないから!
じゃ、もう行くな、傘入れてくれてありがとう!」

子どもはスノーフルの方に走っていく。
相変わらず先は暗闇に包まれているが、それでも子どもの後ろ姿は輝かしい。
サンズは手を振った。

暗闇の中から、声が聞こえる……

「オレがウォーターフェルにいたってこと、父ちゃんと母ちゃんには言わないでくれよなーっ!……」

8/16/2025, 3:14:26 PM

「えっ」

えっ。
もう、それに尽きる。
それ以外言葉が出てこない。いや……出てこないというより、頭が動いてないんだな。

白い雪霧が覆い隠しているのは、赤いスカーフがフラフラ風に乗って、舞い上がっていく景色。
ドサッと音がした。何が落ちたのか。
弟の腰か、体か?腕か。それとも頭なのか。
悪い冗談だ。本当に悪い冗談だ。
弟の声はここからじゃ聞こえない。誰が弟をこんな目にあわせたのか、誰が弟の大切なスカーフをどこかへ飛ばしてしまったのかも、ここからじゃわからない。予想はできたが、まだ実際には見ていないから。

もしかしたら、相手はイヌかもしれない。
弟はよくイヌと戯れていた。まあ、そんな優雅なもんじゃないかもな。
戯れというより、ケンカと言った方がずっと的確かもしれない。
だから今だって、飛びかかってきたイヌをアイツは胸で受け止めて、尻もちついただけだろう。
でも、静かすぎるように思う。
もう誰かの、なにかの、うーん。とにかく、気配はどこにもない。

どうしてなんだろう?

もしかしたら、川に落ちてしまったのかもしれない。
そうだ、ここのすぐ傍らには流れの早い川がある。
だから、弟はイヌに胸を押されて、そのまんま川に落ちちゃったのかもな。
アイツは泳げないから、下流の方にどんどん流れてってるかもしれない。
そうきたら、助けなければ。

オレは、ようやく足を動かした。
でも、スリッパにボロボロついてる雪の塊が、ひとつひとつ鉄球のように重い。
早くしなければいけないのに。
早く弟を助けなければいけない。
……早く、弟が死ぬ前に。

白い雪霧の中で、オレはほんとうにのろまに進んでいる。
あー。こんなことなら、弟の言う通り運動しとけばよかったな。
そしたらこんな雪道なんか、すぐ駆け抜けて、弟の落ちてく手をとれたのに。絶対だ。アイツみたいに、頼り甲斐のあるヤツになれたのに。
オレにとってのアイツのように、アイツにもオレを想ってもらえたかもしれないのに。

オレはほんとうにだめだ。
この期に及んで後悔だ。なんてばかなんだろう?
考えろよ、考えろよ、もっと考えろよ、どうすれば早く進める?どうすればこの白くて濃くて自分の手も見えないような霧の中を、走れる?どうやったら弟のように、アイツのように……オレに追いつけないくらい速く走れる……?

オレは足を止めた。

諦めたわけじゃない。
ただ足に、なにかが縋り付いたから止まったのだ。
見下ろす。目立つ赤色がぼんやり見える。振りずさむ牡丹雪がジャマするが、オレにはちゃんとわかった。
アイツの、手に違いない。

「パピルス……、」

すぐそれを掴んだ。
風を掴んだだけだった。拳をつくっただけになる。
オレは意味もわからず、そのまんま手を上げた。
目の前に持ってきて、初めて、その手が掴んでるものの正体に気がつく。

赤いスカーフ。
パピルスのトレードマーク。ホントはただの赤いワンピースだった、でもその裾を切り取って、つくったスカーフ。
オレは認めなきゃならない。オレくらいは。
パピルスは死んだ。イヌじゃなく、ニンゲンに殺されたんだ。
赤いスカーフは舞い上がって、ここに落ちて、オレに縋ってきた。
オレが路頭に迷わないように?
ああ。ちょっと感情的すぎる気がする。でも止められなかった、どうすればいい?
オレはスカーフを目元に押し当て、その場に屈む。

助けられなかったし、最後の言葉も聞けなかったし、きっとパピルスは痛かった。
オレは、オレは吐きそうになる。どうすれば吐けるのかも知らないのに。

赤いスカーフに向かって首を折り込んで、膝を立てて体を小さく丸めてく。
泣いたりはしていない。泣けるわけがない。

空。空。アイツ車が欲しいって言っていた。
オレがアイツのパスタ食うのを見て、アイツはただ、シェフになれたと喜んでた。
地上で車を乗り回す夢を見る度に、オレへキラキラ話してきて、その地上の風景がどれだけ本物に似てるか聞いてきた。
ごみ捨て場に行って、悲惨な映画ディスクを探し当てたり、キラキラ光るカラフルなガラスの破片を集めたり、ゴミ水吸って真っ黒なぬいぐるみを綺麗にしようと奮闘したり。
アイツ、空に行けたのかな。あんなに厚い天井がオレたちの頭の上にある。でも、おまえは開放されたのかもしれない。

だったらいいかもしれない。でも、これも目を背けているだけなのかな。
オレはまだ、なんにもしたくなくて、パピルスの痛いくらい赤いスカーフに目を落としていた。

8/3/2025, 9:28:02 AM

後加筆
海にさらわれた手紙

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