耳を澄ますと
耳を澄ますと、風の音がする
山から風が吹きおりる音、海から陸に駆け上る音。
鳥の声、人の気配、船の警笛、電車の発車音を織り交ぜながら。
それが、家でも学校でも聞こえてくる。
いつかは、聞こえなくなるのだろうか。
そう思うと寂しくなる。
同時に、存外この土地が気に入っているのだと感じて、少々恥ずかしく思うのである。
どうやら自分は故郷から離れがたい人間のようだ、と。
せめて、居残り続けて「澱んだ」人間にはなりたくないものである。
ルール
集団が争いなく過ごすために必要なものである。
しかしながら画一のものを定めるには、骨がおれる。
権力を生み出し、場合によっては不平等も発生する。
ルールさえあれば、と思うことも多々あるが、実際のところ、そんなに万能でもないモノのひとつだと感じる。
たとえ間違いだったとしても
恐ろしく守りに入るタイプの人間がいる。
私である。
世の中は、挑戦 チャレンジ 失敗を恐れない勇気 といった言葉が転がり、賞賛する声が多い。
結構なことである。
しかし、現状維持を笑う声もある。
自分の生活を、プライドを、心を、守ることは否を突きつけられることだろうか。
「守り」の先に発展がなく、たとえ間違いだったとしても、それは「攻め」と異なる形で、前に向かっていると思うのである。
挑戦 チャレンジ 失敗を恐れない勇気
繰り返すが、結構なことである。
しかし殊更に、「攻め」の姿勢を称賛する声には、疑義を申し立てたい「守り」の私である。
結局は、バランス が大切なのではなかろうか。
何もいらない
なんて日は来るのだろうか。
いや、恐らく来ない。
人間は欲の塊、とはよく言ったものである。
生きている間は、腹は減るし眠くもなる。
全ての欲が消えるのは、きっと死んだときだ。
桜散る
桜散る季節。
桜を横目に見ながら歩いていると、風が吹いた。
花吹雪に出会う。
すると、スマートフォンを持つ手に、花びらが一枚飛び込んできた。
何度見ても、桜が散りゆく様には淋しさを感じる。
しかし、今年ばかりは、違った。
なんとも現金な人間である。
貰った花びらは、押し花にしよう。