届かぬ想い
人間には言葉がある。
それにも関わらず、届かぬ想いは多い。
届かぬ想いは、一体どこへいくのだろうか。
消えることは恐らくない。
いっそ届かなくて良かった想いもあるだろう。
それでも、想い出に揺蕩い続け、過去の「届かぬ想い」達は誰かに伝わろうと、ちょっかいをかけてくる。
存外、届かぬ想い達は自分のそばにいるのかもしれない。
これからもそばにいて、言葉の力を貸して欲しいものである。
神様へ
神様に聞いてみたいことがある。
神様は、皆に頼られることが辛くなることないですか?
何かを超越した存在だから神様なのかもしれない、と考えれば、上記質問は愚問である。
しかし、人間である私にとって、頼られる事実は誇らしいが、時として圧でもある。
最近は数年ぶりに後輩ができた。
なおのこと、様々感じるのである。
自意識過剰という声があろう。
助け合いが大切との指摘もあろう。
もっともである。
それも承知の上で、やはり聞いてみたい。
神様、辛くないですか?
快晴
雲ひとつない空
快晴である。
しかし、雲ひとつない空は少々味気なく、寂寥感がある。
燦々と太陽が輝いていると、焼け死にそうだとも思う。
学問上では、少し雲があっても「快晴」になるらしい。
何もない、ただそれだけ。というのも良いが、少しの遊び心も欲しいものである。
さて、今日の雲は何が見えるだろう。
言葉にできない
言葉にできないことは、意外にでもなく、多い。
と思う。
後ろめたいから、という理由もあるだろう。
非常に共感する理由である。反省。
しかし存外、恥ずかしいから・真面目ゆえ等、一般に見て可愛らしい理由が多いのではなかろうか。
人は自分の中に「おもい」をためて、醸成して生きている。
言葉にできないことも、いずれ「私」を形づくる何かになるのだろう。
言葉にできなかったことは、これから言葉にしていけば良い。
できないままでも、それが「私」なのだと感じる、今日この頃である。
春爛漫
麗らかな陽ざし
そよ風
桜
手のひらにやってきた薄紅の花びら、小さな春。
理由もなく、良いことがあるのではなかろうかと、心踊らされる。
春爛漫、様々である。