たそがれ
たそがれどき
彼の者は誰か、と尋ねるほどに暗くなりつつある
あの仄暗さは、人を不安にさせる、と思う
足元が見えない、自分という存在がぐらつく感覚
こうなると、かえって自分の中の思いは、ちっぽけなものだと思えてくる
たとえ、此処で溶けても、誰も気にしない
そう思えると、ふっと軽くなる
それを人は「たそがれる」と言うのかもしれない
如何せん厨二病ちっくな表現だが、息抜きとしては有効ではなかろうか。
雨に佇む
ふとした瞬間に、何も感じなくなることがある。
力がストンと抜けた、あの感じである。
クラゲのように、ふわふわと意識が幽体離脱して、空を揺蕩う。
こんな時には、雨の中、ただ佇む。
雨の音、服に染み込む雨、濡れていく髪。
ここに自分が「ある」のだと、感じるようになる。
雨もなかなか悪くない、と思う次第である。
家に帰ったら、お風呂に入ろう。
鳥のように
安直かもしれないが、飛べたら良い。
遠くまで自分で行けることが、何よりも魅力的である。
電車も車もいらない。
昨今、利用駅の履歴まで確認が可能なほど便利な社会において、身ひとつで飛んでいける。
それが、堪らなく羨ましいのである。
自転車に乗って
自転車は、近頃、もっぱら交通手段のひとつである。
しかし、ペダルをこぐと、どこか冒険にでも出かけるワクワク感に駆られる。
たどり着くのは、決まって幼稚園か東屋である。
少々憂鬱であれば幼稚園、ワクワクが勝れば東屋である。
これまでの人生で最も自転車に乗っていたのは、幼少期。
自転車に乗ると、少々タイムスリップが出来る。
なんとも幸せな乗り物である。
優越感、劣等感
生きる上で何かとついて回るのが、他者からの評価である。
私は、これを気にする人間である。
大いに気にする。
残念である。
さらには評価されることが、避けられない場面も大いにある。
面倒である。
そうなれば、他者と自分の比較を頻繁に行ってしまう。
私の強みはココだ。
ふふん、優越感。
私の弱みはココだ。
トホホ…、劣等感。
しかし、この心の動きは、あってもいいと思う。
井の中の蛙、とはよく言うが、偶にはふふんと満足気にしたって、バチは当たるまい。
人間だもの。ふふん。
劣等感は放置すると良くない。
けど、改善点を見つけた、というところで手を打って欲しい。
どうか、私に、改善まで求めないで頂きたい。
そちらは、どうかロボット宛に。
評価を気にする、心のお手入れをしているのだと思う。
表裏一体。
複雑な人間ごころの、面白いところではなかろうか。
ふふん。