優越感、劣等感
生きる上で何かとついて回るのが、他者からの評価である。
私は、これを気にする人間である。
大いに気にする。
残念である。
さらには評価されることが、避けられない場面も大いにある。
面倒である。
そうなれば、他者と自分の比較を頻繁に行ってしまう。
私の強みはココだ。
ふふん、優越感。
私の弱みはココだ。
トホホ…、劣等感。
しかし、この心の動きは、あってもいいと思う。
井の中の蛙、とはよく言うが、偶にはふふんと満足気にしたって、バチは当たるまい。
人間だもの。ふふん。
劣等感は放置すると良くない。
けど、改善点を見つけた、というところで手を打って欲しい。
どうか、私に、改善まで求めないで頂きたい。
そちらは、どうかロボット宛に。
評価を気にする、心のお手入れをしているのだと思う。
表裏一体。
複雑な人間ごころの、面白いところではなかろうか。
ふふん。
あじさい
ここのところ、暑すぎやしないだろうか。
あじさいのガクも、参っている。
シャキッと張っているはずが、寄せられたギャザーのようになっている。
まだ6月、夏にはゆっくり来て欲しいものである。
好き嫌い
この感想を持つということは、その対象に関心がある、ということだと思う。
それは、無関心よりもずっと良いことなのではないだろうか。
関心がなければ、対象に対する認識に変化はないからである。
ある意味、好き嫌いは紙一重なのではなかろうか。
ただ、全てのことに好き嫌いを持っていても疲れる。
ほどほどが、きっと良い。
そうすると、私が関心のなかったことに、好き嫌いを持っている人に出会うと、結構、わくわくするようになる。
なんだか、お得な気がするのである。
愛を叫ぶ
昨日の投稿を見て欲しい。
私なりに「愛」を叫んだばかりである。
愛よりは恋かもしれないが。
どんな時でも回りくどいのが、キズである。
皆、満身創痍になっても愛を叫ぶ。
私にそれができるだろうか。
臆病者の戯言である。
モンシロチョウ
20代になって、人生初の恋をした。
しかし、相手はどうやら引っ越すらしく、もうすぐ会えなくなる。
人の思いは複雑だと感じていたが、「好き」の感情がこんなにも大変なことは知らなかった。
たとえ美しく舞うことができなくとも、さなぎのまま朽ち果てようとも、しばらくは大切にしたいものである。
なんせ、私の中にこの気持ちが宿るまで、20年以上を要したのだ。
次が来るのは、何年後になるやらわからない。
精々、苦しむとしよう。
季節外れのモンシロチョウは、舞うことはできるだろうか。
乞うご期待である。