誰よりも、ずっと
何かを極めるのは、実に難しい。
研究者はその最たるものではなかろうか。
人間関係では、夫婦もこの類いだと思う。
友人やビジネス関係とは違って、ケースによっては直ちに切ることはできない婚姻関係。
誰かひとりと添い遂げようとする人々を、心から尊敬するばかりである。
これからも、ずっと
学ぶことが好きだ。
知らないことを知ると、先ほどまでの自分とは違う自分になっている気がする。
と言うほど、すごいことを考えているわけではない。
ただひたすらに、楽しい!に尽きる。
阿呆である。
いつかは「大人」にならなければ、とは思うが、如何せん「子ども」のままなのだ。
これからも、ずっと「子ども」でありたい。
そう願うのは、我儘なのだろう。
自覚はしているので、石を投げないで欲しい。
沈む夕日
コレをみると、夜がくる。
夜行性の生物にとっては、嬉しいものである。
人間も然りである。
人間は昼行性ではあるが、光を自由に操る術を手に入れた。
おかげで、ある者は夜の街に繰り出し、ある者は睡眠を貪り、各々が自由を謳歌する。
夜は昼以上に、人間が生き生きとする時間ではなかろうか。
君の目を見つめると
君の目を見つめると、君の心がわかると良い。
しかし、実際見えるのは私の言葉ばかりである。
私は君を傷つけていないだろうか、甚だ心配になる。
一方で、見えなくて安心している私もいる。
君の気持ちがわからないからこそ、
君のことをずっと大切にできるのだろう。
でもね、君の目は口ほどに物を言うよね、愛しの黒柴さん。
オイシイ匂いがする?
だってケーキがあるからね。
でもあげない、君には甘すぎるから。
星空の下で
空の星の光は、何年も前の恒星の輝きだという。
私にとっては「いま」見えている・届いているものであるにも関わらず、星にとっては既に「過去」のことなのだと思うと少し不思議である。
そこで、はたと考えたことがある。
同じことが、人間同士のコミュニケーションにも当てはまるのではなかろうか。
ネットやデバイスが発達し、情報を手にしやすくなり、私たちは、相手方が自分と同じ量の情報を、同じタイミングで得ていることを求めがちになった。
しかし、私にとっての「いま」は、相手にとっても「いま」なのだろうか。
遠くて近い
近くて遠い
人間同士の方が、むしろ奇々怪界だと思う。