大丈夫。大丈夫だから。あの人は。きっと、きっと。あしたこそは…!
白い面に囲まれた無機質な部屋。ツーツーと規則出しい音だけが響く。無表情のはずなのに何処か無邪気に見えてしまう。…こっちの気も知らないで。どれだけ、心配してると思ってるの?どれだけ、貴方の為に時間を割いたと思っているの?ねぇ、なんとか言ってよ。今すぐ起きて、私の目を見て。
「…ばか」
「…起きてよ、起きてよ。私に微笑みかけてよ。ねえってば。ねぇ…ねぇったらぁ……!」
言葉が続かない。上手く言葉が出てこない。頭の中がぐしゃぐしゃだ。それでも話そうと試みるから、しょっぱくて悲しい味がする。
「………お願い。今日、今日…起きてくれないと…。」
「……もう、ここに居られないんだから…起きてよ…明日はもう無いの。早く…早く………。」
「……お姉ちゃん……。」
落ち着く。…ここは何処だろう?白い。明るい。嫌…暗いのか?情報が何も無い。入ってこない。音も無い。匂いも。まるで五感が全て麻痺したのかのような、そんな感覚。
壁は?無い。ならば、野外?でもこんな場所は日本、嫌世界には無い。無いはずだ。
まず、歩いてみる。何かが見えてくるかもしれない。誰かが居るかもしれない。歩く。歩く。歩く。アルク、アルク…。歩いているのか?進んでいるのか?どうして、こうなったのだろう?物好きの大金持ちにでも攫われたのか?それともここは、死の世界?昨日は、何事もなく寝たはず。では孤独死か。自分らしいさ。これも又、運命…。
くだらないことを考える。考えていないと落ち着かない。少しでも情報が欲しいのだ。情報を求む。
「誰かー、いませんかぁー?」
「だーれーかー。」
「…………阿呆らしい。」
何も無い。只酸素を吸って二酸化炭素を出しているだけ。只、生きているだけ。存在しているだけなのだ。
「死んだのか?一番現実的なのは…俺は死んだんだろ?天国行きなら天使でも来いよ。来ないんなら地獄か?なら悪魔でも来いよ。閻魔でも舌取りに来いや。」
れーっと舌をさらけ出し、ついに倒れ込んで大きな独り言を漏らす。
「風変わりのニンゲンモニタリングかよ。カメラもっとこっち寄れよ。見れえねえだろ?見えてねぇだろ。」
「……………誰か〜……。チッ…。」
「ああああああああぁああああああああぁ」
ふらふら立ち上がって脱力した腕を宙に投げ出す。
「た!ひゃ!は!や!ろ!な!みぃーやっはっはぁー!」
叫ぶ。叫ぶ。音を出せ。とにかく大きな音を。もっと。もっと…!もっと!!
しろーい。まっしろぉーい。ひろ〜いせかいに。えーえんにぃ?グッドバイ!
正午。風が嫌なぐらいに心地良い。暖かくって意識が曖昧だ。
「…ね。……でさ。……で………」
「うん。」
君の声が僕の鼓膜を震えさせる。
「……それでさ、一緒にいく?どうする?」
「……うん。」
拒否する理由は無い。それに、きっと了承したほうが楽だから。僕の返事を聞いて目を細める君。困っている様にも見えるし、嬉しそうにも見える。感情が色になって柔らかいグラデーションを作るみたいに。
「そっか。」
「うん…。」
言いたい言葉はたくさんある。でも喉まで来ては詰まって何も出てこない。あり過ぎるんだ、君に伝えたいことが。
君はどうして僕を選んでくれたの?不幸になるなんてことは分かっていたはずなのに。君はどう感じたの?人から視線を、言葉を。そして、今は何を思っているの?分かっているようで分からない。透明なベールで巻かれた君の心と顔。
君は俯いたまま何も言わない。見ていられなくなった僕はふと、時計に目をやる。…二時。時の流れは早いものだ。こうして僕らが悩んでいる間も待ってくれやしない。チッチッ、時計が時を刻む。
「何で…駄目だったんだりうね。可笑しいよね。…ね?」
顔をくしゃりと歪める君。苦しそうで…それで……。
僕は今、どんな顔をしているのだりう。きっと酷い顔だ。そうだ、この部屋には鏡が無い。僕はどんな顔貌をしていたのだろう。
急に自分と言う存在が不安定になってくる。目の前にいる君を見る、が、顔が、顔が…嫌、体も?君が濃霧に呑まれてく。見えない。君が、僕が、前が。頭がくらくらしてきた。一度目を瞑る。
自分の顔など今となってはどうでも良いではないか。
君のことだって、君を顔で体で好きになったのでない。君の人格そのものに惚れたのだ。
身体なんて、ただの皮でしか無いだろう?
精神の器だ。ただの。だからどうでも良い。どうでも。
…目を開ける。自分に何が見えているのか、はたまた見えていないのか?それすらもハッキリとしない。どうでも良い。どうでも良いのだ。
窓を探す。君の声が背中からする。窓を勢い良く開ける。風が部屋に入り込んだ気がした。そして、僕の背中を押す。
「さあ、いこう!彼処なら僕らも祝福されるだろ?ほら早く、ハヤク、ハヤク。急げないのか?歩けよ!」
「分かってるから。歩いているし。そんなに焦らないでも止める人は居ないでしょう?何処にも。嫌、何処に居るかもね。」
「どうでも良い。ほら、行くよ。」
「うん。バイバイ。」
「バイバイ?何でさ、場所を移動するだけじゃないか?何で?永遠の別れじゃないんだから。」
「…そう…。…ロマンチストなのね。」
「違うさ。どうしたんだい?可笑しいよ。先に行ってるからね。」
「…はい。行きましょう。」
星だ。星だけが見える。闇に呑まれて何も見えない。
でも、もうそんなことはどうでも良い。新しい、素晴らしい場所へ行けるのだから!
下には一人の男の死体が残された。奇妙にも女物の服を着て、長髪の鬘を被っていた。