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11/21/2024, 11:37:25 AM

どうすればいいの?

自分は物語の主人公になりたい。
なんて事を幼い頃から思っていたボクは、ずっと昔から今でも自分自身の頭の中は妄想と空想の物語の主人公だった。

頭の中のボクは勇敢で明るくて自分で考えて決断して、物事をはっきり言える、怖いもの知らずの、誰から見てもカッコイイ、素直なボクだった。

本当は臆病で自分の気持ちを上手く素直に言えなくて、優柔不断で妄想癖と空想癖がある、とにかくなんでも好奇心旺盛に思いつき、幼い頃から育てた想像力で沢山物事を考える変人だった。

別にそれが悪い事だと思ってないけど、
理想の自分というのはやっぱり、誰よりもカッコよくてデカくて素敵だなぁ、と感じる。
そう感じた上でボク自身を見ると、つい唸りながら首を傾げてしまう。

けど、周りからは想像力が凄いボクはよく褒められた。
それがなんだが、嫌な気持ちにならず、普通に嬉しかった。
けど、ボクからしたらこの想像力は当たり前だから、息を吸って吐くのと同じぐらい普通の感覚だったから、不思議な気分にもなった事が多い。

そんなボクは、想像力があるからこそ、妄想癖も空想癖もあるからこそ、更に言えば臆病だからこそ、いつも思うのはこの一言。

「どうすればいいの?」

これがボクにとって、いつも、毎回、毎秒、どんな時も考えて悩む種だった。この種が芽を出し、花を咲かす時、ボクは感情を爆発してしまう。

普段は考えてばっかだから、無表情でボーッとしてて、
周りからは怒ってる?不機嫌?体調悪い?なんて言われることもあったけど、全くそんな事はなく、ただ体は無になって、心は想像の色で沢山塗られて描かれてカラフルになってるだけ。

だから、ボクはいろんな事を考えて、

「これはどうすればいいんだろう?」
「これはどうすればこうなるんだろう?」
「これはどうすればこんな事になるんだろう?」

なんて、考えてるから気づけば一日があっという間に終わってるから、きっと、ボクの頭の中や心の声を覗いたり聞いたら、その人はあまりの情報過多で頭が混乱して、具合悪くなって、気絶するだろうなぁって思う。
と、言う事を想像するのも楽しくてやめられないのも、現実だ。

ボクにとって、この悩みは普通に楽しいし、やめられない。
中毒ってよりも、当たり前で普通のこと。

もし、この想像力がボクの人生の全ての研究結果になるなら、
神様はきっと凄く驚くし、あまりにもビックリして天界から地上に落ちて、その頃には地球では神様が地球に落ちてきた!って言って、ニュースになって、全世界から取材を取り上げられて、気づけば地球の大人気スターになってて、神様は天界に戻りづらくなるんだろうなぁ。

それこそ、神様は「どうすればいいの?」って思うかもしれない。
面白い、面白すぎる。
こんなに最高な展開、天界なだけに面白い。
いや、今のダジャレは面白くないな、本当に。

なんて考えながら、またボクは一人で想像していた。

11/20/2024, 1:44:11 PM

宝物

この世界で一番輝いて見えるものはなんだろう?
思い付くのはきっと人によって全く違うだろう。
家族?ペット?友達?恋人?推し?恋?才能?自分?
食べ物?ぬいぐるみ?仕事?思い出?睡眠?趣味?

これ以外にもきっと無限にある宝物。
人は沢山の宝物と共に日々を過ごすのだろう。
その宝物はいったい、その人にとって、どんな影響があるのか?

それが良い事も悪い事もあるだろうし、
そもそも良い事も悪い事もないだろう。

人にとって、宝物には無限の意味や理由、輝きが存在する。
それがあるから幸せで、あるいは不幸で、あるいはそれが人生だと思っている。

宝物というのは、人の心を左右するものだと感じる。

海賊が宝物を奪ったり探したり喜んだりするのと、
お金持ちが宝物を持ってお金を得たり保管したり飾ったりする。
あるいは家宝として代々引き継がれてきた大切な物でもあり、
オタクが推しを宝物として一生拝み続け推し続けるように、
人の心を左右するものでもあるように感じた。

そういえば、ボクにとって宝物はなんなんだろう?
と、言われればボクは「人生」と答えるだろう。

理由は正直な話、一つに選べないのが本音なんだ。
本当にボクは優柔不断だな、と思う。
ボクにとって、選択をするのは宇宙の数と同じだと思っていて、宇宙にある星の数ほど、ボクの頭の中にある選択肢は星と同じ数だった。

だから、全部が大切だし、全部がキラキラして見える。
全部が素敵だし、全部が楽しいし、面白い。
何より、その中で生きている人生が一番宝物だと思えた。

美味しい食べ物を食べてる時も、
大切な人と一緒にいる時も、
推しを応援してる時も、
絵を描いて自分の想像を限りないように描く時も、
勉強をして様々な学びを得ている時も、
仕事をして自分自身の社会経験を積んでいる時も、
息を吸って吐いて、周りの景色を見ている時も、
無限大な想像、または妄想をしている時も、
無限大な色を見ている時も、
この書いている文章も、
全部、全部、全部ボクにとって大切な宝物だ。

そして何より、その人生を生きる自分自身も宝物だと感じる。
ボクをこの地球に産んだのは親だけど、
自分から息を吸って、考えて、日々、地球で生きているのはボク自身だ。

正直、親よりも自分自身が大切に感じる。

だから、ボクはこれからも自分自身の考えを語りたい。
こんな変で妄想癖がある普通じゃない、
自分を人間かどうかも分かってない、
普通に生きれない臆病なボクを、
これからも懲りなく書いていたい。

ボクにとって、人生は大変だし疲れるし辛い時もあるけど、それが楽しく感じる。何があるか分からない恐怖、感情、不安、楽しさが、人生の最大のサプライズになる。
それが楽しくて、全てがキラキラして見える。
その輝いている美しさはボクにとって、
どんな見た目でも味でも匂いでも、美味しく感じる、最高のご馳走だ。

ボクは、また息を吸って、吐いて、地球の上に立って生きている。

11/19/2024, 11:27:52 AM

キャンドル

ゆらゆら揺れて静かで優しい灯火。
一つ小さな火は、一つ小さな命を感じる。
まるで生きてるかのように動き、燃え続ける。

小さい火なのに暖かく感じて、優しい気持ちになる。
ボクはキャンドルを見るのが好きで、まるで小さな生物と同居してる気分になった。

じわじわ溶けていく姿は心の中にある乾燥を潤す感覚になる。
そうすると、いつの間にか時間は過ぎて、気づけばキャンドルは溶けている。

その溶けたキャンドルも綺麗で、最初は生命が宿り、最後はその生命の終わりを感じる、数時間しか生きれない姿はボクの中では小さな神秘と大きな美しさを感じた。

ボクは昔から夢だったのが、沢山のキャンドルを部屋に置いて、部屋の明かりをキャンドルの火だけにすることだった。
あの小さな火を部屋いっぱいにするのは、きっととんでもない数だろうなのだろうけど、ボクはそれが憧れでしょうがない。

キャンドルは見てるだけで癒されるし、
アロマを入れたら匂いがして心地よい。

何より、あの火が綺麗だし、あの灯火が部屋いっぱいになれば、まるで別の世界に来たような美しさになるだろう。

でも、やらないのは火事が怖いからである。
火事になるかならないか、という話が出てくるのはボクの部屋はそんなに綺麗じゃない。でもそんなに物もない。
変な話、普通に何か物に燃え移ったらどうしよう、と臆病なボクは思ってしまうから出来ないが、夢としていつも想像している。

夢は燃え移らないし、火事にならない。
何より、一つでも十分綺麗だし美しい。

でも、それ以上にキャンドルという生命を一度に沢山も燃え尽くすのは、正直気になるし、それが凄く綺麗だろうな、と思ってしまうが、それは本能がそう言っているのであり、理性は止めてくれる。

それでも、キャンドルは美しく感じる。
ボクは生きてる間で何個のキャンドルに火を灯すのだろうか?
ボクは生きてる間に何個のキャンドルの生命を燃やすのだろうか?
ボクは生きてる間に何個のキャンドルと共に過ごせるだろうか?

と、変なことを考えながら火を見る。

やっぱり、キャンドルは美しい。
やっぱり、やっぱり、沢山燃やしたい。
沢山燃やして、キャンドルの最後を見届けたい。
キャンドルの気持ちになって、燃え尽きる姿を見て感じたい。
キャンドルはいったい、どんな気持ちで火を灯し、息をして、溶けていくんだろう?
それを大きな生物に見られるのは、どんな気持ちなんだろう?
嫌なのかな?苦しいのかな?楽しいのかな?嬉しいのかな?辛いのかな?幸せなのかな?

なんならキャンドルに生まれてみたい、そして燃やされてみたい。
キャンドルの美しくて小さな生命を宿ってみたい。
そして、大きな生物に見られながら燃え尽きたい。
そうしたら、気持ちが分かるのかな?
キャンドルはどんな気持ちでボクのことを考えてたか、理解できるのかな?

うん、この気持ち悪い性格、
キャンドルのロウと一緒に溶けてくれたらいいのに。

なんて思いながら、ボーッとキャンドルを見ていたボクだった。

11/17/2024, 11:00:03 AM

冬になったら

ボクの町は雪が降らない。
それは幼い頃から今になるまで、雪が降っているのを目の前で見たことは指で数える程度だ。
雪を見ると、人は冬が来た。と思う所もあるだろう。
ボクは雪見だいふくが売られると冬が来たな、と思う人であった。

小さい頃に親が雪が降る所で育ったから、一度、冬の間にその場所へ里帰りしたことがある。
その時に見た雪は凄く綺麗で、美しくてキラキラしてたのを覚えている。ボクは雪を見ては憧れてた雪合戦を兄弟とやった。
目の前でそれを見て微笑む親戚の顔を覚えている。

ボクにとって、雪は特別なものだったし、何より、本当に綺麗だった。

雪が降る所に住む人は雪なんてたまったもんじゃないだろうし、最悪だなぁ、と思う人も居そうだな、と思う。
気持ちはわかる、あれを小さい頃から見てるのはいいけど、通れなくなった道の後処理は自分達だ。そりゃ疲れるし大変だなぁ、と感じる。

それでも、ボクは雪が好きだし、雪が降る場所に来ると毎回気分が上がる。あんなに綺麗なものを冬になったら見れるのは正直羨ましいし、その分大変さを知りたくなる。

けど、何故ボクは雪が好きなのか?と疑問に思った時、ふと思ったのは、雪はボクみたいだな、と思ったからだ。

「え、自分のこと綺麗だと思ってるの?」って言われるかもしれないけど、それもあるがそうじゃないんだ。
どちらかと言えば、雪は色に染まりやすい、泥にも染まる、沢山積もれば足場は無くなるし、手に取れば寒くてかじかんでしまう、けど、それが綺麗だな、と感じるから、ボクだな。と思う。

ボクはいろんな事に興味を示すし、それがいろんな色みたいで楽しいから染まりやすいし、泥っていうのは、周りから見たら汚いものだけど、中身は自然いっぱいの長く生きた証の生命の色だし、沢山積もるのは自分がやりたいことをいっぱい抱えすぎてるせいで動けなくなるし、手に取れば寒く感じるのは、自分の無感情な性格が体温がないと思っているからである、からこそ雪ってボクだな、と思う。何より、雪の白色や透明な色が臆病で無色透明なボクだな、と一番思う。

物事は表面と裏面で違う意味があるから、ボクはそれぞれの意味を考えて楽しんでいる。

冬になったらボクは雪を思い出すし、見る度に気分が上がる。
その逆の人だっているし、同じような人もいる。
考え方は人それぞれだし、それが面白い。

また雪見に行きたい、と思う季節になりそうだなぁ。

11/16/2024, 11:24:51 AM

はなればなれ

離れる、という言葉を見るとボクは桜を思い出す。
でも同時に出会い、という言葉も桜を思い出す。

桜は人を離れさせ、出会わせる。
ボクは春になると桜が咲くことが楽しみだった。

桜を見ると、始まりと終わりを感じる。
出会いもあれば別れもある。
離れることもあれば合うこともある。
成長する人もあれば止まる人もいる。

桜はすぐに散ってしまうけど、満開になると人は笑顔になる。
散る瞬間だって、人は「綺麗だね」と言って、その下で花見をする。桜は何らかしら、人を動かす何かになっているのを感じていた。

ボクは桜見ると、一年の終わりを感じる。
けど、その反対で一年の始まりも感じる。

桜を見るとホッと暖かくなる。
けど、悲しい気持ちにもなる。

ボクは桜が咲く季節で人とはなればなれになった事がある。
その人は夢の中で沢山の桜に包まれながら笑顔で手を振って、桜と共に散りながら、こう言ってた。

「バイバイ」

その言葉と笑顔が忘れられず、桜を見る度に思い出して泣いてしまう。見たその日も、起きたら沢山泣いてて、初めて夢を見て泣いたっけな。

桜は喜怒哀楽関係なく、人の感情を動かす。
それが一年に一回あると思えば、大変なことだけど楽しいことにも感じる。

ボクはまた、桜を見る度に夢を思い出すんだろう。
あの人は優しくて、凄く強引で、博識で面白くて、人を動かすムードメーカーで、まるで桜みたいな人だった。

桜みたいに、綺麗に散ってた人だった。

最後まで綺麗な人だったなぁ。
なんて思いながら、ボクはボーッと外を眺める。
また、桜が咲く季節が来る。

まだ秋の冷たい風を感じながら、空を見上げて歩く。
冬すらまだ来てないのに、春のことを考えるなんて気が短い人だな、ボクは。

次は、どんな綺麗な桜なんだろう?

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