冬になったら
ボクの町は雪が降らない。
それは幼い頃から今になるまで、雪が降っているのを目の前で見たことは指で数える程度だ。
雪を見ると、人は冬が来た。と思う所もあるだろう。
ボクは雪見だいふくが売られると冬が来たな、と思う人であった。
小さい頃に親が雪が降る所で育ったから、一度、冬の間にその場所へ里帰りしたことがある。
その時に見た雪は凄く綺麗で、美しくてキラキラしてたのを覚えている。ボクは雪を見ては憧れてた雪合戦を兄弟とやった。
目の前でそれを見て微笑む親戚の顔を覚えている。
ボクにとって、雪は特別なものだったし、何より、本当に綺麗だった。
雪が降る所に住む人は雪なんてたまったもんじゃないだろうし、最悪だなぁ、と思う人も居そうだな、と思う。
気持ちはわかる、あれを小さい頃から見てるのはいいけど、通れなくなった道の後処理は自分達だ。そりゃ疲れるし大変だなぁ、と感じる。
それでも、ボクは雪が好きだし、雪が降る場所に来ると毎回気分が上がる。あんなに綺麗なものを冬になったら見れるのは正直羨ましいし、その分大変さを知りたくなる。
けど、何故ボクは雪が好きなのか?と疑問に思った時、ふと思ったのは、雪はボクみたいだな、と思ったからだ。
「え、自分のこと綺麗だと思ってるの?」って言われるかもしれないけど、それもあるがそうじゃないんだ。
どちらかと言えば、雪は色に染まりやすい、泥にも染まる、沢山積もれば足場は無くなるし、手に取れば寒くてかじかんでしまう、けど、それが綺麗だな、と感じるから、ボクだな。と思う。
ボクはいろんな事に興味を示すし、それがいろんな色みたいで楽しいから染まりやすいし、泥っていうのは、周りから見たら汚いものだけど、中身は自然いっぱいの長く生きた証の生命の色だし、沢山積もるのは自分がやりたいことをいっぱい抱えすぎてるせいで動けなくなるし、手に取れば寒く感じるのは、自分の無感情な性格が体温がないと思っているからである、からこそ雪ってボクだな、と思う。何より、雪の白色や透明な色が臆病で無色透明なボクだな、と一番思う。
物事は表面と裏面で違う意味があるから、ボクはそれぞれの意味を考えて楽しんでいる。
冬になったらボクは雪を思い出すし、見る度に気分が上がる。
その逆の人だっているし、同じような人もいる。
考え方は人それぞれだし、それが面白い。
また雪見に行きたい、と思う季節になりそうだなぁ。
はなればなれ
離れる、という言葉を見るとボクは桜を思い出す。
でも同時に出会い、という言葉も桜を思い出す。
桜は人を離れさせ、出会わせる。
ボクは春になると桜が咲くことが楽しみだった。
桜を見ると、始まりと終わりを感じる。
出会いもあれば別れもある。
離れることもあれば合うこともある。
成長する人もあれば止まる人もいる。
桜はすぐに散ってしまうけど、満開になると人は笑顔になる。
散る瞬間だって、人は「綺麗だね」と言って、その下で花見をする。桜は何らかしら、人を動かす何かになっているのを感じていた。
ボクは桜見ると、一年の終わりを感じる。
けど、その反対で一年の始まりも感じる。
桜を見るとホッと暖かくなる。
けど、悲しい気持ちにもなる。
ボクは桜が咲く季節で人とはなればなれになった事がある。
その人は夢の中で沢山の桜に包まれながら笑顔で手を振って、桜と共に散りながら、こう言ってた。
「バイバイ」
その言葉と笑顔が忘れられず、桜を見る度に思い出して泣いてしまう。見たその日も、起きたら沢山泣いてて、初めて夢を見て泣いたっけな。
桜は喜怒哀楽関係なく、人の感情を動かす。
それが一年に一回あると思えば、大変なことだけど楽しいことにも感じる。
ボクはまた、桜を見る度に夢を思い出すんだろう。
あの人は優しくて、凄く強引で、博識で面白くて、人を動かすムードメーカーで、まるで桜みたいな人だった。
桜みたいに、綺麗に散ってた人だった。
最後まで綺麗な人だったなぁ。
なんて思いながら、ボクはボーッと外を眺める。
また、桜が咲く季節が来る。
まだ秋の冷たい風を感じながら、空を見上げて歩く。
冬すらまだ来てないのに、春のことを考えるなんて気が短い人だな、ボクは。
次は、どんな綺麗な桜なんだろう?
子猫
生まれ変わったら何になりたい?
と、いうのは誰もが考えることだろう。
ボクも幼い頃から現在まで沢山考えた。
また人になって恋するのもいいな、
犬になって広い場所を沢山走りたいな、
クラゲになってぷかぷか浮きたいな、
金魚になってお祭りの時に売られて掬われたいな、
機械になっていろんなものを生産してみたいな、とか。
って、人からよくわかんないって言われるようなことも考えてた。
それが楽しくて、つまらない時間を過ごす時はそんなことばかり考えて、空を眺めながら、ボーッと時間を潰してた。
何かを考える時間が好きなボクは、ふと思ったことがある。
生まれ変わったら、子猫になるのはどうなんだろう?
子猫になったらまず、ボクは何処にいるんだろう?
誰かの家で産まれて、のんびりゴロゴロしてるのかな?
それか捨てられて、ダンボールの上で寂しく震えてるのかな?
あるいはガラス越しに沢山の人に見られて、売られてるのかな?
または野良猫として野生で生きていくのかな?
という所からの想像から始まるんだけど、今回は誰かのお家で産まれたらにしよう。
産まれたらまずは母のミルクを飲んでるのかな?その前に人間が哺乳瓶で飲ませたりもしそうだし、歯が生えたら固形物のご飯も食べさせてくれそうだな、だなんて思ってるけど、味の想像はあんまり出来ないな。美味しいのか?不味いのか?こんなことを考え始めてたらキリがないからやめとこう。
その後に、沢山ご飯を食べたら何匹かの兄弟と遊んだり、走り回ったり、登ったり、一緒に寝たりするんだろうな。
家の隙間はきっと、知らないところを冒険みたいな感覚だから潜ったり入ったり遊んだり、隙間に入りすぎて埃まみれになっても楽しそうだなって思える。
それを親猫に怒られても楽しそうだし、自分の好奇心旺盛が部屋の中を冒険として楽しめたら、それはきっと楽しいだろうし、満足したらそこで寝たらいいし、お腹が空いたら親や人間の元へ走って、ご飯を強請ればいいし、何より、移動するのが面倒だったら親に咥えてもらいながら移動すればいい。
人間はきっと、可愛いものが好きだから子猫のボクに甘々だし、沢山愛でてくれそう。
何より、冒険として暴れてても、
「もう、しょうがないなぁ。」
って言ってくれそう、なんて現世で人にほとんど甘えないボクが言う。これは、子猫だから甘えれるんだよ、なんて思ってみる。
話は戻るが、やっぱり子猫はなってみると楽しそうだな、と感じる。人や親に沢山甘えれる子猫はきっと傍から見ても可愛いし、何より相手も自分も幸せだなぁ。
そういう人生を歩んでみたかった、なんて思ったりもする。
きっと、こういう妄想は毎回生まれ変わっても、つまらないと思った日には毎回考えてしまうんだろう。
可愛い子猫になったら、次はイケメンなライオンになりたい!なんて思う日も来るかもしれない。
さて、次はどんな生まれ変わった時の人生を考えてみようかな。
秋風
秋は風が寒く、陽は暖かい。
この季節が来ると、じんわり感じるものがある。
涼しそうな緑が多かった木や草は暖かい黄色になる。
人々も涼し気な服から暖かい服になる。
爽やかで青かった空は美味しそうなオレンジ色になるし、
深海のような紺色の影はカラスみたいな真っ暗な影になる。
地球は四季によって姿を変えて、人々を楽しませる。
冷たい食べ物は温かい食べ物になる。
日焼け対策の上着は寒さ対策の上着になる。
オシャレで履いてたミニスカートも、秋になれば寒そうに見えてしまう。
そんなボクは秋は好きだ。
秋は何かを思い出し、忘れていく季節に感じる。
冷たい秋風を感じると、寂しい気持ちになる。
けど、暖かい日向を感じると、寂しい心が満ちていく。
秋になると、いろんな物が目に映る。
それがなんだか懐かしく感じることがある。
でも、それはどの季節もそうであって、春でも夏でも冬でも感じることはある。しかし、その思い出を思い返す時間は一瞬で、これがふと思い出し、何十年も前のことを最近のことのように思い出す時がある。それが、秋だと感じる。
ボクの中で、春夏冬は忙しく感じる。
春は新しい生活、夏は熱いのに沢山イベントがあって、冬は年の終りと始まり。
その中で、秋は唯一落ち着く季節だと思った。
春からやっていた沢山のやることも、やるべき事も一通り終えて、やっと落ち着けるな、と思えることがボクの中では必ず一年に一回はあった。
その日にたまたまやることを終えて、やっと落ち着いた日があって、その日にたまたま秋の冷たい風、オレンジ色の夕日にカラスのような真っ暗な影、その中で寒そうにして暖かい服を着ながら暖かい食べ物を食べてる人たち、暖かい姿になった植物たちが秋風に揺られながら、秋の虫たちも秋の音楽を奏でる。
それを聞きながら、風が寒い中で暖かい飲み物や食べ物を飲み食いしながら、普段は音楽を聴いているイヤホンを外して、普段は早く家に帰りたいと思っていた足をゆっくりゆっくり歩かせて、だんだん更に寒くなり、暗くなる外の街灯は人の暖かい明るい声が灯りとなり、ボクはその下を歩く黒猫の気分でだんだん歩くのを早くする。
気づけば家に着いて、家に帰って温かいお風呂と暖かい部屋、秋の美味しい食べ物を食べて、お腹いっぱいになって寝ると、心地よい眠りができる。
このような五感で秋を感じると、ボクは秋が来たな、って思う。
そして、冬が来ることも感じる。
そうすれば、秋はまた来年に感じる。
季節は、そうやってできている。
地球も、そうやってできている。
人も、そうやってできている。
ボクも、そういう生き方で楽しんでいる。
次は、どんな秋風を感じるかな?
また会いましょう
ボクは毎日見ていた、夜から朝になっていく時間を。
ボクは臆病だから前に進むのが怖くて、だから夜に寝るのも嫌いだった。
だから、ずっと夜は起きて、朝日が昇るのを窓から眺めてた。
何もしないで、ずっと、じっと、空を見て、不安な気持ちを忘れるように時間と共に明るくなる空を見て、自分はこの世界に居ないような気がした。
人と同じことが出来ない
人と同じ気持ちになれない
人と同じように笑えない
人と同じことが分からない
だから、親や大人、友人からはたくさんのボクの生きる道を決められてきた。ずっとずっと、言われたことをやり続けた。
そこに自分は居たかもしれない。
笑ったり、気持ちが分かったり、同じことが出来たり、してたかもしれない。けど、それは自分じゃない、って分かった。
これは決められた、誰かに作られた自分。
それが苦しいとか、辛いとか、楽しいとかも分からなくなってて、気づけば前に進むのが怖くなって、一人で空を眺めていたんだ。
この空の下で、人は生きている。
ボクも、同じ人なのかな?
ボクはそもそも、人なのかな?
もしかしたら、宇宙人かもしれないし、可愛い小動物かもしれないし、ロボットみたいな機械かもしれない。
ボクに命はあるのかな?
この命って、何のためにあるんだろう。
こういう話をすると、人はネガティブだと思い、心配してくる。
けど、違うよ。
これは、自分が自分だと考えれる、欲を満たせる妄想。
自分って何者か?自分は何のために生まれて、生きてるのか?
自分というのは一番不思議な生き物で、自分が自分のことを一番理解できないからこそ、その生きる時間が楽しいと思える。
だから、嫌なんだ。
ボクは前に進むために動けるはずなのに、臆病で、妄想癖がやめられないし、夜は寝ないで空しか眺めてないし、気づけばボクもそういう大人になっていく。
人は必ず、何者かになる。
夜は必ず朝が来る。
子供は必ず大人になる。
ボクは、一体どんな大人になるんだろう。
理想の大人なんて、ボクからしたら嫌なものしかないけど、けど。
「それでも、ボクはボクだ。」
臆病でも、妄想癖があっても、夜は寝れなくても、
ボクの世界でボクは存在する。
この世界にいなくても、ボクの世界には存在するんだ。
「今日は寝てみようかな。」
また明日の朝、ボクはまたボクに出会う。
夜から朝まで起きるボク、夜寝て朝に起きるボク。
どっちも同じものなのに、全く違うように感じる。
それでも臆病な自分なのは変わらないだろう。
「おやすみなさい」
また、明日。