朝日が登るころ、女は海にいた。
家の前はすぐに砂浜になっており、小さないすとポットを持って、サンダルのままサクサクと波打ち際まで歩いていく。
まっさらな生まれたての砂浜に、女のつけた足あとだけが刻まれている。なにかの秘密の暗号みたいに。
鳥たちの鳴き声が、朝の張りつめた空気の中に響きわたり、そのはるか上をゆうゆうと鳶が旋回している。
女はいすを置いて座り、熱いコーヒーをポットからカップに注いだ。少し肌寒い朝で、手をカップで温めながら上がってくる湯気を吸い込みつつ、ゆっくりとコーヒーを飲んだ。
朝日が徐々に辺りを照らし始める。
光が波に反射して輝き、薄く漂う雲は赤や紫、黄金色に照らされていた。
女の顔も身体も、東雲の空の色に染まっていた。砂浜や小さな蟹や石も、その空間すべてが。
女の内には闇があった。
それは女から女へと代々受け継がれ続けられた闇であった。
人は皆闇から出でてくるものであるが、この世に落ちた瞬間、光を受けると闇も闇として存在しはじめ、それを恐れはじめる。
だが、女の内にはそうした闇が生き続けた。子宮という混沌を抱えて。
生命の循環は、太古の時代から「母―娘」のつながりによって保たれてきたのだ。
だが、女はその闇を忌々しく思っていた。
自分もあの男のように闇なぞ、自らとは関係がないような顔をして生きていたかった。心底、闇を憎悪してみたかった。
しかしその男もまた、女の内の闇にひかれてくるのだ。
炎に群がる哀れな蛾のように。
女は闇を内に隠し、平気な顔をして生きている。
そして男を受け入れ、やさしく暗闇で包みこんでやった。
太陽はますます強く辺りを照らし始め、女はますます美しく輝いていた。
「親友とは、もしあなたが今しがた殺人を犯してきたと告白した時、黙って話しを聞いてくれる人のことである」となにかの本で読んだことがある。
親友と呼べる人に出会えるのは奇跡的なことだろう。
殺人までいかないとしても、世間一般で許されないことを告白して、黙ってそれを聞いてくれる人がいるのは、ずいぶん恵まれているのではないかと思う。
永遠とは どこにあるのだろう
西の空の 黄昏の向こう側に
屍の目の 奥底の深淵に
見えないDNAの 螺旋の続きに
それはあるのか
死は生のすぐ隣に在り、永遠を形作る
生のみの永遠はありえない
すべての生の選択は正しく、滞りなく死に向かう
無もまた滞りなく、有へと向かう
それが分かっていても、どこまでも青い空が続いてほしいと、わたしは願う
それがただの エゴだとしても
なにをゴソゴソしているのかしら?押入れの奥になにかあるのかしらね。ネズミがいたりして…
あら、ネズミなんかいたりしたらアタクシたちが気づかないわけないでしょう?あれは「コロモガエ」っていって寒くなったり暑くなったりしたら毛皮をかえるための準備をしているのよ
まぁ、そうなの?ニンゲンって面倒くさいわねぇ。アタクシたちみたいに毛がふえたりへったりしないのね。
毛ごと毎日交換するなんてねぇ…サステナブルじゃないわよねぇ。
なに!?
サステナ…なに!?
サステナブルよぉ。アナタしらないの?ジゾクカノウなシャカイのことよぉ。
し、しってるわよ!そのくらいのことでマウントとってんじゃないわよ!
それでさぁ、うちの飼い主なんて、こないだドピンクのセーター引っ張りだしてきてたわよ。
あれ去年、まわりのニンゲンからは不評だったのに、本人、全然気づいてないのよ。
アタクシあれ見ると、目がチカチカして痛いのよ。
色々、イタイわね、それ…
あらやだっ!飼い主がちゅ~るの大袋抱えてかえってきたわ!おねだりしないと!
それじゃあね〜
出演:イエネコ、アメショのマヨネーズさん
ノラネコ、ハチワレのさなえさん
突然降ってきた雨を窓越しに見つめて、小さくため息をついた。このカフェからマンションまでは走っても10分はかかる。それにやっとのことで完成させたこの資料を濡らすわけにはいかない。
今日は朝から電車は遅れるし、気がついたらブラウスにケチャップは飛ばされているし、サトウさんには嫌味を言われるし…とにかくついてない。
履いていたヒールを右手に持って思い切りサトウさんの後頭部目がけて振り下ろすところを想像したのがいけなかったのか。
雨に罪なんてないの、ワルいのはいつもわたし。
ワルいついでにダイエットも中断することにして、チョコレートケーキとデカフェのアイスコーヒーを注文した。これってゼロカロリーコーラみたいじゃない?カラダにいいのか悪いのか分からないのよ、実際。
不毛な自問自答で暇を潰していると、店員さんがこちらへやって来た。
「申し訳ございません。チョコレートケーキなんですけど本日分が今しがた終ってしまいまして…」
(ほら来た!)私は心の中で叫んだ。
「他のケーキはご注文いただけますがいかが致しますか?」申し訳なさそうにしている店員さんににっこり笑って「他には何があるんですか?」と涼しい顔をして聞いた。
「ただいま秋のリンゴフェア中でございまして、発酵バターのアップルパイと焼きリンゴモンブラン、アップルシナモンシフォンケーキとなっております」。
(…私はりんごが嫌いなのよ!)心の声が顔に出そうになるのを必死におさえて「いや、やっぱり…結構です」とひらひらと手を振りながら言った。店員さんはきまりが悪そうに「かしこまりました。申し訳ございません」と言い、そそくさと退散した。
いいのよ、ここまでくるとむしろ気持ちがいいぐらいだわ。
窓の外はあいかわらず雨が降っているが、もうどうでもよい気分になってきた。必死でつくったプレゼンの資料もケチャップのついたブラウスもヒールで殴り損ねたサトウさんのことも。
しばらく窓の外を見ながらデカフェのアイスコーヒーをすすっていると「お待たせしました」と後ろのほうから声がした。
「コーヒーとチョコレートケーキでございます。ご注文の品は以上でよろしいでしょうか?」私は思わず後ろを振り向いて、最後の一つの私が食べるはずだったケーキを注文した客のほうを睨みつけた。
そこにはぽかんとした顔をしたサトウさんが座っていた。
「あ…ぃあぁお疲れさまです?びっくりしたな。カワイさんだったのか。どうしたんですか、そんなに怖い顔をして」
私はその場でどんな顔をしたらいいのか分からず、逃げ出したくなったが、そうするには遅すぎた。「サトウさん、チョコレートケーキ食べるんですね」私はテンパると本当のことしか言えなくなる。つまり、機転がきかない性格なのは自分でも分かっているのだけれど、どうしようもない。
「カワイさん、これ食べたいんですか?」
「私、りんごが苦手なんです。それしか食べられるケーキがないんですけど、それが最後の一つだったんです」そう言いながら、まるで子供だなと自分で思った。
「じゃあこれ、カワイさんにあげます。僕はりんご、好きだから」
断ろうと思ったが、サトウさんはさっさと店員さんを呼んでアップルパイを注文してしまった。
「すみません、なんか無理言ってしまいまして…」
「それは、あんな顔で睨まれたら…ねぇ」サトウさんは明らかに笑いをこらえている。
私は自分を呪いたくなったが、嫌味を言われた事を忘れたわけではない。
「昼間のアレ、ちょっと言いすぎました」。
サトウさんは窓の外を見ながらそう言った。窓に映った顔はいつになく真面目だった。
「いいですよ。チョコレートケーキもらったんで」。もちろんチョコレートケーキをもらったからではなく、サトウさんがちゃんと真面目な顔をしたからだった。
「雨、やみますかね」
「困りますね、やんでくれないと」
「そうですよね、私傘持ってきてないんですよ」
「僕、傘持ってるので一緒に行きますか?」
「…じゃあ、お願いします」。
始まりはいつも…