とげねこ

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1/17/2024, 12:00:52 PM

「う、美しい」
「げぇ」
そうのたまう男に対して、心底嫌そうな顔で、ヒスイは呻いた。
余程のことがない限り、動揺をしないヒスイにしては珍しい反応だ。
…余程のことだったのだろう。
ヒスイのその表情が見えないのか、顔を真っ赤にしたその男は、緩くうねった肩口まである白髪を除けば、腰にひと振りの刀、小袖に袴、上に羽織と、アキラが想像する剣士を現実にしたらこんな感じ、という風体をしていた。
「そ、そ、それがし、七天抜刀斎と申す!」
「「…七転八倒斎?」」
アキラとヒスイの声が重なったのはしかたのないことだろう。
そのオウム返しを、二人が名前の由来に興味があると勘違いしたのか、七天は語り出した。
「それがし未熟者ゆえ、いまは本名を隠し修行に身を置いておりますが、将来はこの七つの天(そら)に名を轟かせる剣士になりたいと、そういう願いを込めて名乗っております」
「はあ」
心に響いていない雰囲気を感じ、若干落ち込む七天。
「と、ともかく、貴女に一目惚れ致しました!それがしと夫婦になっていただきたく、」
「いいよ。」
ヒスイはにんまり笑いながら、即答した。
「まずは、文通など…え、本当に良いのですか?」
あまりにもあっさり了承され、一瞬気の抜けた声を出すが、直ぐにやった!と、飛びあがって喜びを顕にした。頂点で大の字に身体を広げる、まさにその瞬間、彼は喜びの体現者と言って過言ではなかった。
-待て待て、いま、あいつとんでもなく飛ばなかったか?
アキラは、少なく見積もって七天の身丈をゆうに超えた跳躍を見て、見間違えすら疑った。
「ただし、あんたが私に勝ったらね。あんたが負けたら…その七転八倒って名前変えてよ。私の感覚に合わないからさ」
「承知した…何に勝てばよろしいか?」
「もともと私たちをここから追い出そうとしてたんじゃないの?」拳を七天に向けて握りしめる「勝負は勝負よ。わかるでしょ?なんでもありの喧嘩よ」
「ちょ、ちょっと待った!」
アキラはたまらず会話に割って入り、ぐいとヒスイの頭を腕で抱え込んだ。
「痛いよ!何すんのさ」
「いいのか?あいつ只の阿呆じゃなくて、たぶんかなり強い阿呆だぞ?」
七天に聞かれないよう、小声で話す。
「お兄ちゃんだって私が負けるとは思ってないでしょ?」
「それはまあ、そうだけども」
「話しぶりから悪いやつじゃなさそうだし、何よりよく見ると…」
「見ると?」
「顔が良い」
「顔が良い」そうか。確かに?
「だから、勝っても負けても悪くないかなって」
そんな脱線にも近いやり取りを繰り広げていると、静かに待っていた七天から声がかけられた。
「そろそろよろしいか?」
さきほどと打って変わり、落ち着いた、しかし良く通る声音だ。
「わが麗しの君。ご尊名をいただきたい」
「ヒスイ」
「ヒスイ殿か」噛み締めるように「名前まで美しい。兄君も是非お伺いしたい」
「アキラだ」
「アキラ殿。ありがとう。それがし、勝負となれば、容赦は致しません」
すっと、かなり低めに重心を落とし、左手で鯉口をきり、右手は柔らかく柄を握る。脱力しつつも、垂れた髪の間から覗く切れ長の眼は、ヒスイから視線を切らさず隙がない。
「いざ」
素人でもわかる。居合術、しかもかなりの使い手だ。
アキラが止める間もなく、ヒスイは開いた身体を七天に対し半身に構えて迎える。
。こうなると、戦いにおいてほぼ無力なアキラは、ヒスイが負けないよう祈るしか無かった。

1/15/2024, 3:19:12 PM

はるか地平の向こうで砂埃が上がっている。
右から左に一直線で、かなり早い。
あれは恐らく多足蟲だろう。緊張しながら目を細めながら視線を追わせる。
と、砂埃は小さくなり、やがて消えた。こちらとは逆の方角に向かったのだろうか。
ともかくこちらにくる様子はないことに金土(かなと)アキラは安堵した。
−特に蝗や蟻に系譜を持つ蟲は、視界にはいったら直ぐに逃げなさいませ。捕獲されたら、死ぬより辛いですから−
伊-ハ三六がかつてアキラに言った言葉だ。
一度だけハグれに小蜘に遭遇したことがあるが、あれは獣族や器械族(または妹のヒスイ)ならともかく、アキラのような生身の人間に太刀打ちできるものではない。
この世界の食物連鎖に最上位は、間違いなく奴ら蟲族と言える。
「あれは、百足、かな。こっち来なくて良かったねえ」
ヒスイが手のひらを額に当ててアキラと同じ方向を見ながら言った。
「遮るものがないとはいえ、相変わらず凄まじい視力だな」
半分呆れながら「たぶん4-5キロはあるぞ?」
「あたし、視力10.0だからね!」
ヒスイは笑いながらアキラを横目でみた。
「まあ、伊ハと離れてから、お前がいるのは心強いよ」
彼女の言葉は誇張ではなく、寧ろ謙遜しているくらいだろう。もっと詳細にみえているはずだ。
「そうでしょう、そうでしょうとも。」
もっと頼りなさいと胸を張るヒスイ。
「生意気な。必要な時だけ頼むよ。あの双子を見習って、一方に寄りかからないようにしたいもんだよ」
「…そうだね。今日こそ街につきたいな」
ヒスイはひとつ伸びをして、南を指差す。
「じゃあ気合い入れなきゃな」
「走る?」
無理無理と手をヒラヒラさせて、アキラは南へ歩き出した。

1/14/2024, 2:28:14 PM

ポポウの躯体の様子を診ていたチチュンの頭の上に疑問符が浮かぶ。
ポポウの膝関節球の摩耗率がここ数日で明らかに大きいのだが、理由がわからない。
あくまで自分との比較でしかないけども、とおもう。
同期しても普段通りに過ごしているし、踏破距離も大差ない、という情報しかなく、荒野を流離っている-砂塵が入りやすい-ということはチチュンも同じなので、ポポウの損耗の方が早いことは、今後の旅に対して憂慮かつ早急に解決すべき問題といえた。
考えたくはないが、何か隠していることがあるのではないか?と考えざるを得ない。
「ねえ?ポポウ」チチュンは目の前に腰掛けるチチュンに問いかける。
「僕に…」隠していることはない?という言葉を飲み込み、メモリからすぐに削除した。
「君がメモリを閉じてしまうと、わからないんだ」
当然だが返事はない。
ポポウの膝に視線を落とし、優しく撫でる。
「君のことだから、何か理由があるんだろうね」
チチュンは白んできた地平線を見遣る。
「ああ、もう夜明けだ。もう戻るよ。良ければ理由を思い浮かべて欲しい。おやすみ。また明日。愛してる」
言うや否や、チチュンは後ろに背負っていた金属製の直方体の筐に、カチャカチャいいながら納まった。

チチュンが、一つの筺になった直後、ポポウと呼ばれていた躯体の瞼がゆっくりと開き、奥に隠れていた深緑色の瞳が朝日を反射して煌いた。
「愛しいチチュン。君の声は聞こえていたけど…君の関節ままだともう歩けないんだ」
ポポウは哀しそうな声で、無表情に呟いた。
「ほんとは全て共有しなければいけない事は解ってる。でも、君はそれを認知出来ていないんだ」
「本当は放棄街や、器械族に会えると良いんだけど、そう上手くはいかないみたい」疲れた口調で「ともかく、行けるところまで行ってみよう」
ポポウは立ち上がって、チチュン筐に背を向ける。
そうしていつものように自分の背中の筺若干緩め、そのまましゃがんだ。膝がキシキシと音を立てる。
チチュン筐に自身の筐が覆い被さることを認識すると、背中の筐を締めて再び立ち上がった。
メモリを削除することも忘れない。
「さ、行こうか」

器械族の〝蟻塚〟に二人が拾われたのは、それから3回目のポポウの日だった。