「う、美しい」
「げぇ」
そうのたまう男に対して、心底嫌そうな顔で、ヒスイは呻いた。
余程のことがない限り、動揺をしないヒスイにしては珍しい反応だ。
…余程のことだったのだろう。
ヒスイのその表情が見えないのか、顔を真っ赤にしたその男は、緩くうねった肩口まである白髪を除けば、腰にひと振りの刀、小袖に袴、上に羽織と、アキラが想像する剣士を現実にしたらこんな感じ、という風体をしていた。
「そ、そ、それがし、七天抜刀斎と申す!」
「「…七転八倒斎?」」
アキラとヒスイの声が重なったのはしかたのないことだろう。
そのオウム返しを、二人が名前の由来に興味があると勘違いしたのか、七天は語り出した。
「それがし未熟者ゆえ、いまは本名を隠し修行に身を置いておりますが、将来はこの七つの天(そら)に名を轟かせる剣士になりたいと、そういう願いを込めて名乗っております」
「はあ」
心に響いていない雰囲気を感じ、若干落ち込む七天。
「と、ともかく、貴女に一目惚れ致しました!それがしと夫婦になっていただきたく、」
「いいよ。」
ヒスイはにんまり笑いながら、即答した。
「まずは、文通など…え、本当に良いのですか?」
あまりにもあっさり了承され、一瞬気の抜けた声を出すが、直ぐにやった!と、飛びあがって喜びを顕にした。頂点で大の字に身体を広げる、まさにその瞬間、彼は喜びの体現者と言って過言ではなかった。
-待て待て、いま、あいつとんでもなく飛ばなかったか?
アキラは、少なく見積もって七天の身丈をゆうに超えた跳躍を見て、見間違えすら疑った。
「ただし、あんたが私に勝ったらね。あんたが負けたら…その七転八倒って名前変えてよ。私の感覚に合わないからさ」
「承知した…何に勝てばよろしいか?」
「もともと私たちをここから追い出そうとしてたんじゃないの?」拳を七天に向けて握りしめる「勝負は勝負よ。わかるでしょ?なんでもありの喧嘩よ」
「ちょ、ちょっと待った!」
アキラはたまらず会話に割って入り、ぐいとヒスイの頭を腕で抱え込んだ。
「痛いよ!何すんのさ」
「いいのか?あいつ只の阿呆じゃなくて、たぶんかなり強い阿呆だぞ?」
七天に聞かれないよう、小声で話す。
「お兄ちゃんだって私が負けるとは思ってないでしょ?」
「それはまあ、そうだけども」
「話しぶりから悪いやつじゃなさそうだし、何よりよく見ると…」
「見ると?」
「顔が良い」
「顔が良い」そうか。確かに?
「だから、勝っても負けても悪くないかなって」
そんな脱線にも近いやり取りを繰り広げていると、静かに待っていた七天から声がかけられた。
「そろそろよろしいか?」
さきほどと打って変わり、落ち着いた、しかし良く通る声音だ。
「わが麗しの君。ご尊名をいただきたい」
「ヒスイ」
「ヒスイ殿か」噛み締めるように「名前まで美しい。兄君も是非お伺いしたい」
「アキラだ」
「アキラ殿。ありがとう。それがし、勝負となれば、容赦は致しません」
すっと、かなり低めに重心を落とし、左手で鯉口をきり、右手は柔らかく柄を握る。脱力しつつも、垂れた髪の間から覗く切れ長の眼は、ヒスイから視線を切らさず隙がない。
「いざ」
素人でもわかる。居合術、しかもかなりの使い手だ。
アキラが止める間もなく、ヒスイは開いた身体を七天に対し半身に構えて迎える。
。こうなると、戦いにおいてほぼ無力なアキラは、ヒスイが負けないよう祈るしか無かった。
1/17/2024, 12:00:52 PM