ポチポチとスマホの画面をタップする。数秒毎に切り替わる画面、LINE見て、インスタ見て、TikTok見て、YouTubeでショート見てどれも別に見なくていいけど止められない。
ずっと前から身体は眠気を訴えていて、頭痛もいし、目も乾燥してる。
でも、なぜだか頭だけが冴えていてこうして布団の中で4時間以上も無為な時間を過ごしてる。
あーあ。こんなことならスマホの電源落としてでも早く寝ればよかったのに。空はうっすら白み始めている。
今から無理やり寝てもきっと朝いつもの時間に起きれやしない。
そう思った頃に急に眠気が襲ってくる。人間の身体はたいがい都合が悪く出来てるものだ。
窓の外は静かで、暗い。
遠くから新聞配達のバイクの音が聞こえてくる。
後悔の夜明け前。
お題:夜明け前
鳥だ。鳥が空に浮かんでいる。
こう言うと普通のことと思われるかもしれないが、浮かんでいるのは普通の鳥ではない。
ガラス製の鳥だった。
鳩くらいの大きさで、白い羽根に翼のところだけ黒い羽根が混じっている。
そいつは嘴を私に向けて、羽ばたきもせず、まるで水に浮かんでいるような体勢で、無表情に空に浮かんでいた。
なんだコイツは。そして、なぜ。
周囲にはそれなりの人通りがあるにも関わらず誰も鳥の方を見ていない。
私にしか見えていないのか、あるいは見えていても誰も気に留めないのか。
木曜日の午後七時三十分、残業を切り上げ会社を出てきたところだが、あまりの仕事の辛さにとうとう私の頭がいかれてしまったのだろうか。
私が歩くと鳥も後をついて来る。なんだか、居心地が悪い。
少し、早足になる。それでも鳥はついて来る。
私が途中コンビニに入ると鳥もそのままコンビニへ、晩ごはんを選ぶ間もじっと私の後ろに浮かんでいた。
電車に乗ってもそれは同じで私が車内で揺られる間、鳥も一緒に空中で揺られている。
電車を降りて路地を歩いて、そしてとうとう私の部屋の前だ。
扉の前まで来て私は部屋に入るのを躊躇った。
この鳥はおそらく私の部屋にも入ってくるだろう。
さすがにそれは嫌だと思った。鳥を睨みつけ素早く扉を開け、また素早く締める。
扉の外に鳥は残された、はずだった。
そんな気はしていたがとりは鳥は室内に入り込み、私のうしろ頭を見つめていた。
怖い。
一瞬だけ、喉を思い切り締め上げられたような気になる。あるいは心臓が止まりそうな、とでも表現すべきか。
だけどその恐怖はすぐに薄まって、代りに「分かり切ってた事だろう何を今更」という諦観が心を占める。
はあ、と息を吐いてコンビニの袋から生姜焼き弁当を取り出す。レンジに突っ込んでつまみを回す。その間に着替えて化粧を落とす。
スマホを眺めながら生姜焼き弁当を食べて流しで濯いで、それからシャワーを浴びる。
やっぱり後ろには鳥が嘴を向けてこちらを見ていたが、こうして諦めてしまえばさほど気にはならなかった。
******
ガシャン。
ある日突然、ガラスの割れるような音がした。
通勤途中の道端で何の脈絡もなく、その音は響いた。
振り返ると、いつからか当たり前に私の後ろに浮かんでいたガラスの鳥が地面に落ち、粉々に砕け散っていた。
こいつが割れたのか。でも、なぜ。
何も分からないままに現れ、私に気まずさと恐怖と、それから諦めを植え付けた鳥は、何もわからないまま勝手に割れて粉々になってしまった。
「これって、割れるんだ……。」
なんだか可笑しくなって、その場でクスクスと笑い出してしまう。
ずっと喉につっかえていたいたものがとれたような、晴れやかな気持ちだった。
「割れるか。そりゃあ、割れるよね。ガラスだもん」
粉々になった鳥をおいて、私はまた歩き出す。もう鳥は付いてこない。これから仕事だというのに足取りは軽かった。
駅までの道すがら、何人もの呆然と地面を見つめる人や私と同じように何やら機嫌の良さそうな人とすれ違う。
そうか、みんなあの鳥が後ろにいたのか。
お題:空を見上げて心に浮かんだこと
ポコン
小気味のいい音を立てて「太宰治」からLINEが入った。
もちろん、かの文豪・太宰治ではない。太宰治は75年前に入水自殺(自殺ではないという説もあるけど、まあいいでしょう)をしているし、私は先日、桜桃忌だからとさくらんぼをしこたま食べたところだ。
この「太宰治」というのは、私の大学時代の友人で、文芸サークルに所属していたから洒落でLINE上の名前を変えてあるのだ。以前は「芥川龍之介」や「武者小路実篤」もいたが、私が不精なばかりに今や連絡を取るのはこの「太宰治」だけになってしまった。よく、既読無視してしまう私にも懲りずに連絡をくれる良い奴だった。「太宰治」とも月に一度か二度、数往復のやり取りがあるだけ、それも、私が返信しないから途中で会話が途切れてしまうのだが、それでもまた連絡をくれる。少々相手の厚意に甘えすぎているとは思うが、私の数少ない友人だった。
内容はごくありふれたもので、この前見た映画が面白かっただとか、職場の隣の席の人が風邪を引いているだとかそういうものだ。
なぜこんなにも普通の、そして割合良い人間を「太宰治」にしたのだったか。
まあいい、今回はちゃんと返信しようとスマホを手に取る。
『川に行こう』
脈絡のない誘いだった。
いや、脈絡はあったかもしれない。以前「近くに景勝地として有名な川があるのに行ったことがない、夏になれば川辺はきっと涼しいだろう」そういう話をした。その話の続きだろう。
そうして「太宰治」という名前にした理由も思い出した。たしかあの頃、頻繁に川に行こうと誘われたのだ。特に深い意味はないだろうが、それを聞いた誰かが「入水自殺でもするのか」と、冗談を言った。それで、その場にいた数名で「太宰治」やら「芥川龍之介」やらにLINE上の名前を変えた。今となっては何がそんなに面白かったのかさっぱりだが、その時は皆面白いと思っていたのだ。
『行かない。まだ寒そうだし』
結局あの時川には行かなかったな、と思い出しながら私はあの頃と同じ返事をした。
そういえば、私は「坂口安吾」になっているのだったか。
お題:「1件のLINE」
窓際で観葉植物を育てている。熊童子という種類の多肉植物で、去年の春先にホームセンターで買ってきて以来の同居人だ。隣のアパートのおかげで丁度良く日中も日陰になる窓際で、熊童子はじわじわと背を伸ばしている。
この多肉植物というのは、いかにも水分を溜め込んだ丸いフォルムと瑞々しい緑色をしている割に水をあまり必要としないらしく、水をかけたのはこの一年と二か月ほどの間に四度しかない。それもコップ一杯分を根元にかけるだけだ。それ以外に手をかけたことはなく随分と燃費のいい育てやすい植物だと思っていた。
ところが、この熊童子がなんだか最近萎れてきているような気がする。水が足りないのか日当たりか、それとも肥料をあげたほうがいいのだろうか?
買った店で聞いてみようか。幸い、明日は日曜日だった。
「蒸れてるのかもしれませんね。最近雨が多くて蒸し暑いですから」
店員は熊童子の状態を伝えるとそう言って水はけの良い土を勧めてくれた。ついでに今のものより少しだけ大きな鉢を買い帰路についた。
本来植え替えるには少し遅い時期らしいが、このまま根腐れをおこすよりは良いだろう。植え替えた時に葉についた土を払い落す。少しだけ達成感があった。
それからは相変わらず窓際に置いたまま、たまに様子を見て、そしてごくごくたまに水をやっている。特に不満はないらしく順調に新しい葉が出てきていた。
一人満足して眺めているともう一つ熊童子に視線が注がれていることに気が付いた。
隣のアパートの向かい合った窓に猫がいる。鼻のところに黒いぶち模様のある猫だった。私とは目を合わせることなく、どうもこの鉢の熊童子を見ているらしい。
お前にも分かるかい。
などと、私は猫相手に得意げになった。