大事にしたい。
本当に 大切にしたいとか、必ず 護りたいとか、とても 想っているとか。そういう枕詞の本心を大事にしたいと思っていた。
僕の心の奥は腐っているなんて、厨二病みたいに豊かな想像力をフルに回して妄想している。勉強も運動も嫌いで、趣味は引きこもり。親との会話が鬱陶しくもムズ痒い、今この時。
私の手が荒れていく様は、痛くて辛い。炊事に掃除に仕事に、水場の事はさも当然かのように割り振られる。子供は許せる。大人は許せない。
日々、重ねて掬って捏ねて耕して丸めて、形のあるものとして見出している。これがいつか大切な思い出になると、信じて止めないピュアな君が、一番の宝物にみえる。
この日々、毎日を大事に大事にした。
壊さないように、無くさないように、手から離れないように、見失わないように、踏みつけないように、凍えないように、する。
そんな自分も、大事にしていいだろうか。
悪いのだろうか。
心の灯火。
提灯を持って、ただその火が消えない様に、ケタケタと下駄を鳴らして歩く。そんな風に生きてみたかった。
生き方ってのはそれぞれだ。僕は毎日同じものを食べ、飲み、感じ、見て、笑い、眠る。喜怒哀楽は平常で、突飛な事はご法度。それが幸せだ。
眠る時にふと天を仰ぐ。今日も、昨日も明日も少しも変わらぬ私の天井。天変地異でも世界戦争でも、親の離婚でも変わらない、この天井。
何か大切なものが無くなるのは、本当に一瞬で、一生で、人生の後悔なんてものはこの瞬間に支配されてしまう。
心に秘めた思いとか、10年越しの言葉とか、はじめの第一歩だとか、記念すべき出来事は幾らでも作り出せるのに、一度壊れた思い出のギターはもう戻らない。
心に灯火を宿し、滑稽なまでに一点で、精を出し、心根を健やかに保ったとしても、結末は唐突で無配慮だ。
だからかな。その灯火の株を移し変え、油を足し、窓を閉め、世話のかぎりを尽くしてやる。
まだ、消えないように。まだ終わらない様に。
開けないLINE。
ただ気が向かないだけかもしれない。でも、それも、未読の理由の一つになり得るのだ。
私はまだ信じていた。君が、私の期待通りで、意思に反さず、忠実で誠実であると。この手元にある機械なんかで、現実をすり替えられる事は無いと。
僕はいつも恋をしていた。見目に惚れ、口調に惚れ、思考に惚れ、その言葉に心を打たれた。それがただの鞭でも、布団に包んだ鉛でも、ドブに埋まってしまった宝石のように感じた。
多分きっと、只々単純で、無垢で潔白で、愚かだったのだと思う。自分の中にあるモノ以上を疑わず、無いものとして目を閉じた。
誰の警告も聴こえず、季節の音すらも忘れた自分に、残るものがあるのかも、考えられなかった。
一度開くと既読の付くLINE。いくら長押ししても目に映ってしまったモノに変わりは無い。
向き合おう。と、簡単に言う。
でも、だって、どうしても、それはむりだ。
ならば捨ててしまえば良い。そんな機会は。
澄んだ瞳。
子供は時に、澄んだ目を向け、腹の中で悪鬼を飼う。淀んだ目をした大人でも、一本の矢を必死に抱え守っている事もある。
私には、譲っても譲っても譲っても、いくら譲っても譲れないモノがある。それは生活の上でどれほど効率を下げようが、離職ようが、死ぬしかなかろうが落とせない質なのだ。世界に一矢報いる様に、恨み言でも吐きながら、血反吐を飲んで食い下がる。
僕には避けても倒れても壊れても、逃げられない時がある。それはきっと、自分の下した選択以外では耐えられ無いような道だ。歩み寄ることを学び、差し出すことを許諾し、跪くことを選んでも構わない。最後にこの手にその矢があるのなら、どうとでもなれば良い。
ただ、人様には迷惑を掛けない。
大人であるという利点は、この執念、ただ一点に他ならない。
その背中に、頼れなくなったのはいつからだろう。いつ、手を広げ、身体を預け、上を見上げて甘えることを忘れたのか。
怖い。こわい。恐い。
この瞳はまだ、晴れているのか。
七夕。
星に願いを、2人に祈りを。天の川のあの話を、どれだけの人が知っているのだろうか。いつから、語られているのか。
僕は信じていた。自分は、自分の思う凄い人と、なんの遜色も無く、いつか必ず輝くのだと。盲信し、懇願し、努力した。
私の希望はただ一つで、それは健康に死ぬこと。病気もせず、怪我もなく、レールの上を散歩する様な人生を望んでいた。その為に、運動をし、野菜も食べ、しっかり眠った。
信じた未来なんて、神様の小指に引っかかった小枝みたいに、容易く振り払われるものだと知らなかった。
あの、七夕の日に使った一生のお願いは、なんの効果も持たなかった。
全て、救うのは人で、落ちるのも人で、自分だった。
僕は、目を背け、ただ自分を諦めた。私は、1人の医者に助けられ、今生きている。この差異。
星に願いを。人に運命を。己に信条を。
ただそれだけを、渇望する。