開けないLINE。
ただ気が向かないだけかもしれない。でも、それも、未読の理由の一つになり得るのだ。
私はまだ信じていた。君が、私の期待通りで、意思に反さず、忠実で誠実であると。この手元にある機械なんかで、現実をすり替えられる事は無いと。
僕はいつも恋をしていた。見目に惚れ、口調に惚れ、思考に惚れ、その言葉に心を打たれた。それがただの鞭でも、布団に包んだ鉛でも、ドブに埋まってしまった宝石のように感じた。
多分きっと、只々単純で、無垢で潔白で、愚かだったのだと思う。自分の中にあるモノ以上を疑わず、無いものとして目を閉じた。
誰の警告も聴こえず、季節の音すらも忘れた自分に、残るものがあるのかも、考えられなかった。
一度開くと既読の付くLINE。いくら長押ししても目に映ってしまったモノに変わりは無い。
向き合おう。と、簡単に言う。
でも、だって、どうしても、それはむりだ。
ならば捨ててしまえば良い。そんな機会は。
澄んだ瞳。
子供は時に、澄んだ目を向け、腹の中で悪鬼を飼う。淀んだ目をした大人でも、一本の矢を必死に抱え守っている事もある。
私には、譲っても譲っても譲っても、いくら譲っても譲れないモノがある。それは生活の上でどれほど効率を下げようが、離職ようが、死ぬしかなかろうが落とせない質なのだ。世界に一矢報いる様に、恨み言でも吐きながら、血反吐を飲んで食い下がる。
僕には避けても倒れても壊れても、逃げられない時がある。それはきっと、自分の下した選択以外では耐えられ無いような道だ。歩み寄ることを学び、差し出すことを許諾し、跪くことを選んでも構わない。最後にこの手にその矢があるのなら、どうとでもなれば良い。
ただ、人様には迷惑を掛けない。
大人であるという利点は、この執念、ただ一点に他ならない。
その背中に、頼れなくなったのはいつからだろう。いつ、手を広げ、身体を預け、上を見上げて甘えることを忘れたのか。
怖い。こわい。恐い。
この瞳はまだ、晴れているのか。
七夕。
星に願いを、2人に祈りを。天の川のあの話を、どれだけの人が知っているのだろうか。いつから、語られているのか。
僕は信じていた。自分は、自分の思う凄い人と、なんの遜色も無く、いつか必ず輝くのだと。盲信し、懇願し、努力した。
私の希望はただ一つで、それは健康に死ぬこと。病気もせず、怪我もなく、レールの上を散歩する様な人生を望んでいた。その為に、運動をし、野菜も食べ、しっかり眠った。
信じた未来なんて、神様の小指に引っかかった小枝みたいに、容易く振り払われるものだと知らなかった。
あの、七夕の日に使った一生のお願いは、なんの効果も持たなかった。
全て、救うのは人で、落ちるのも人で、自分だった。
僕は、目を背け、ただ自分を諦めた。私は、1人の医者に助けられ、今生きている。この差異。
星に願いを。人に運命を。己に信条を。
ただそれだけを、渇望する。
この道の先に。
何かがある。この狭い路地を抜ければ、這い出れさえすれば、きっと何かが。
毎日が行き止まりみたいな日々だった。ただ、そのままに、流されることすらなく、漂えずいる自分が惨めで、不幸で、可哀想で、ムカついた。
この荷を運んで、目的地に着けば、お金が貰える。そんな分かりきった報酬にすら感謝と敬意と謙遜を交えて、頭を下げる。ありがとうございます。と、何度言えば許されるのか。
貧困でもなく、寝るところもあり、食事に、学びまである。何一つ不自由なく感じる世界線も、十二分にある事は知っている。でも、それすらもどうでもいいくらい、私は疲れているのだ。
この道の先に、なんて、希望のある様な、ほのめかす様な、そんな淡い言葉遊びに涙を流すくらい、僕は疲れている。
今日はもう休もう。生きていて良かったと、いつか実感できる日まで安らかに眠ろう。
そんな自分に、満足はしたくない。
赤い糸。
赤く光る様に輝く糸か、深淵よりも赤く禍々しさを運ぶ様な糸か。運命には変わりないその糸を、どれだけ愛おしく思えるのだろうか。
僕はいつも寒い。季節も、気温も、環境も、体調も関係なく、いつも冷ややかな目線に晒されている訳でもない。ただ、ただただ寒く凍えている。こんな考えと感情を覚えたのは、いつだったか。
私は常に気を散らしてしまう性分だった。それは好奇心とも言えるが、落ち着きもなく目に付いた新しく突飛なモノに惹かれ、極めては去る性格。その自分勝手は許されるはずもなく、最期は一人で終わる。
考え、性格、本性、思い、経験とただ羅列すればするほど答えのない自分の状態。具現化するほどに滑稽な形になるこの感情は、時として自分に牙を剥く。でも、それが僕で、それだから私なのだと気づけば、意外と呆気ない。
赤い糸という名の血管で繋がれたこの身体に、生を受けたこの運命に、感謝を述べよう。
囚われていたいと思う、人生だった。