七夕。
星に願いを、2人に祈りを。天の川のあの話を、どれだけの人が知っているのだろうか。いつから、語られているのか。
僕は信じていた。自分は、自分の思う凄い人と、なんの遜色も無く、いつか必ず輝くのだと。盲信し、懇願し、努力した。
私の希望はただ一つで、それは健康に死ぬこと。病気もせず、怪我もなく、レールの上を散歩する様な人生を望んでいた。その為に、運動をし、野菜も食べ、しっかり眠った。
信じた未来なんて、神様の小指に引っかかった小枝みたいに、容易く振り払われるものだと知らなかった。
あの、七夕の日に使った一生のお願いは、なんの効果も持たなかった。
全て、救うのは人で、落ちるのも人で、自分だった。
僕は、目を背け、ただ自分を諦めた。私は、1人の医者に助けられ、今生きている。この差異。
星に願いを。人に運命を。己に信条を。
ただそれだけを、渇望する。
この道の先に。
何かがある。この狭い路地を抜ければ、這い出れさえすれば、きっと何かが。
毎日が行き止まりみたいな日々だった。ただ、そのままに、流されることすらなく、漂えずいる自分が惨めで、不幸で、可哀想で、ムカついた。
この荷を運んで、目的地に着けば、お金が貰える。そんな分かりきった報酬にすら感謝と敬意と謙遜を交えて、頭を下げる。ありがとうございます。と、何度言えば許されるのか。
貧困でもなく、寝るところもあり、食事に、学びまである。何一つ不自由なく感じる世界線も、十二分にある事は知っている。でも、それすらもどうでもいいくらい、私は疲れているのだ。
この道の先に、なんて、希望のある様な、ほのめかす様な、そんな淡い言葉遊びに涙を流すくらい、僕は疲れている。
今日はもう休もう。生きていて良かったと、いつか実感できる日まで安らかに眠ろう。
そんな自分に、満足はしたくない。
赤い糸。
赤く光る様に輝く糸か、深淵よりも赤く禍々しさを運ぶ様な糸か。運命には変わりないその糸を、どれだけ愛おしく思えるのだろうか。
僕はいつも寒い。季節も、気温も、環境も、体調も関係なく、いつも冷ややかな目線に晒されている訳でもない。ただ、ただただ寒く凍えている。こんな考えと感情を覚えたのは、いつだったか。
私は常に気を散らしてしまう性分だった。それは好奇心とも言えるが、落ち着きもなく目に付いた新しく突飛なモノに惹かれ、極めては去る性格。その自分勝手は許されるはずもなく、最期は一人で終わる。
考え、性格、本性、思い、経験とただ羅列すればするほど答えのない自分の状態。具現化するほどに滑稽な形になるこの感情は、時として自分に牙を剥く。でも、それが僕で、それだから私なのだと気づけば、意外と呆気ない。
赤い糸という名の血管で繋がれたこの身体に、生を受けたこの運命に、感謝を述べよう。
囚われていたいと思う、人生だった。
1年後。
1年後は分からないと、よく言う。でも、1年後を理解している自分が、一番強いってのも良く分かっている。
私は年の始まりという日に、毎回と目標を立てる。その一年後に達成することを願うだけ願い、珍しくも神社に行き、おみくじなんかを買う。開けた蓋の、あの空っぽな音を聴くことが習慣になるくらいには、繰り返す行事だ。
僕はあなたと、笑っている。合言葉を投げると、きっと花束のように包まれて返ってくると、そんな妄想を現実に起こすくらいには、幸せな日々だ。だから、1年後のこの時分に、過去の己を嘲笑い、見下すのが一番の快楽というのは、とても不思議だった。
みんな、腹には重りを抱えて、必死に撫でたり、慰めたり、投げてみたりしている。そんな事を繰り返したところで、1年という時間が浪費された事実は変わりようがないことにも、気づかない。
1年後の日、立てた誓いやら、決意やら、目標やら、言霊やらが、一つでも形を成しているのなら、それは私の負けと言えよう。
それならもう、勝つしかないだろう。
子供の頃は。
自分は周りより優れてると思っていた。周りより周りが見えてるし、誰より自分を分かってると思っていた。
僕はこの身体に産まれて、この人格に生まれて、あの両親に育てられて、恵まれてるって信じていた。きっとそれは正しいし、間違いでは無い。けれど、その事で苦悩することはとても多い。
私は今の時代に育ち、他よりちょっと聞き分けが良く、世情にも興味を持ち、笑顔で笑える良い人間だと思っていた。そのことに疑問を持つのはまだ先だと、勘違いしていた。
子供の頃は楽しかったと思うことは多い。逆に、あの頃の後悔は一生忘れることが出来ないのだと思う。
あの頃は良かったと思うその日に、また立ち会うことが無いように。今はまだ、まだ子供だ。