好きな本。
世界を彩るのは、多彩な人と物とその他だ。狂おしいほど自分本位な人生が、一番読み応えのある日記となる。
私は日々の隙間で本を読む。ミステリーでもファンタジーでも、恋愛でもホラーでも。面白そうだと感じたものに手を伸ばし、味見し、飲み込む。
僕は限られた祝日を使って本を書く。社会問題でも、人間の性でも、動物モノでも、何か伝えたい理由を持って文字におこす。
結局、何を好きになって、好まない事を隠すのかは、その時と自分による。全ての人が嫌いでも、自分だけが愛せるなら、それは名作で愚作だ。
こんな短い文章さえ、受ける感覚も違うし、感じ取る内容も違う。その隙間を魅せるように、文を綴るのが好きなのも、私ということだ。
好きな本を探そう。
もしくは、好きな本で進もう。
ルール。
問答無用なんて言葉がある。そこに適用されて、優先されるべきはルールだから。だから、みんな守ってるって、狡猾な理由付けにはピッタリだ。
私はルールに忠実に生きてきた。ただ、それは決して、完璧に遵守した訳でも、君の手にガイドを載せ、引っ張った訳でもない。ルールの適用される時間に、波風を立てず、心と身体を繋いだ関節を、外していただけ。
生活の一部に文句を付けたって、僕の代わり映えのしないこの1時間が、突然、七色を持った孔雀みたいに輝く訳では無い。動画を見ていれば勝手に過ぎ去る1秒、10秒、1分。特段、守るべきテーマや、ルールや、マナーなんて無い。
こんなもんだって理解してしまえば、窮屈に感じていたルールもただの形式にしか見えなくなる。その内、手の届きそうな痒みや、痛み、軋みを感じ、変革するあなたが現れる。
ただ、待っているだけで良い。からかいも接待も必要ない。
その時にまた、適応すれば安全だから。
なぁ、隷従はラクか?
今日の心模様。
この世で模様と数えられるのは、どのくらい完成したものなのだろう。飛び抜けて綺麗ではないが、特徴的で美しい。残酷的な程、魅力的な物。
僕の思いの中には、いつも一つ変わらずに居るモノがある。それは、空虚だったり、空っぽだったり、閑古鳥だったり。ある様でない様な感情。
君にはいつも明るさを感じる。その雰囲気と話し方、聴き方に、頷く仕草。周りに集まる僕たちが、どこか羽虫の様に集りたくなる蜜を撒く。
でもそんな、こんな、あんな人間でも、くるくる目まぐるしく、髪を引き急き立てられる様な、うごめき立つ心を持っている。不思議な感情。変わり行き、過ぎ去り、押し寄せては、畳み込む。
ひとつ一つ、半目ずつでも、型取られたその感情が、一筆書きの様な模様となる。
今日紡ぐのはどんなカタチなんだろうか。模様に足る傑作なのだろうか。
言葉ほどの規則性で、請い、並ぶことの出来ないこの感情を、どうか許してやって欲しい。
たとえ間違いだったとしても。
間違いだと、初めに気づいた瞬間、初めて間違いになる。それからが過ちなんだと思う。
人間、鈍感だったり、無頓着だったり、案外なんにも見えていないモノだから、途中で気づく事って意外と多い。だけど、その、やっと気がついた瞬間から取る行動が、その人の人間的な根幹なんだと思う。
僕はいつも一歩遅い。あっ、と気がついた時にはその顔が歪んで、悶えて、怒って、そして無になる。君は優しいから。そんな僕に何も言わない。けど、その瞬間に僕の過ちがまた増える。
私は空を向く度に涙が滲む。あぁ、今日も一日が過ぎてしまった。何も成さず、何も学ばず、何も進まなかった事へ打ちひしがれる。自分とあなたの大きさを比べては狼狽し、またひとつ虚勢と嘘が背に増える。
いつかは必ず気づいてしまう。それは自分が聡いからでも、醜いからでもなく、道徳心とやらに溢れている訳でもない。
自分の中の楽園の、谷の奥に住む己が、気が付いているから。たとえば、間違いだったとしたら、と。問う度に増える過ちに、どう向き合えば良いんだ。
雫。
零れて、落ちて、滴った。その雫が綺麗だった。
よく、辛い日の事を、雨の日も雪の日もって表す。雨の日も、雪の日も、挫けず前を向いて進んだ。そんな風に表現し、例えて、称える。
私は辛い時涙を流す。苦しくて、辛くて、上手くいかないけど、言葉には出来なくて、したくなくて、吐き出す為に涙に置き換える。それは弱いからじゃなくて、強いから。何かを傷つける選択より、自分を傷つける手段を取るから。大粒の雫が目から溢れて、音にもならない嗚咽を、ただ一人の時に吐き出す。
僕は辛い時、とにかく動く。頭を空っぽにして、忘れたくて、筋肉をしならせては鍛えて、汗が尽きるまで続ける。もう無理だと悲鳴をあげているのは、心ではなく身体だと錯覚させる。口から出せない言葉を、飲み込むために、ただ執拗に続ける。
逆境を乗り越えるなんて、大層な言葉では表せきれない。なんとか耐えて、構えて、避けて、背けて、やっとの事で歩いている。
その芯から漏れ出る雫を、とても美しいと誇ろう。