涙の理由。
涙って、なんだかズルいよね。心の中のモヤモヤしたモノも、苦しいモノも、怒りも、呆れ惚けた感情も、感動も、全部一緒に流してしまう。
僕がいくら歯を食いしばって、顔をしかめて、マスクで隠して、鼻水垂らして我慢しても、どうしても主張してくるイヤなヤツ。ホントは、そんな姿を誰かに見せるなんて嫌なのに。嫌いなのに。
あなたが、優しい目でみつめて、哀れんでくれるのがとてつもなくムズ痒いのに、心の奥底に眠っていた亡者が、暴れ出て来ようとするから。だから、つい、許してしまう。
あぁ、私、まだ、感情が残ってたんだな。
正常な人間で、まだ、過ごせるんだな。
君と同じモノとして、存在できているんだな。
日々の忙しさと孤独で、一つ一つ手から溢れ出て行ってしまう尊き何かを、まだ自分は持ち合わせているんだと。そう、確認する為に涙は落ちる。
はぁ、良かった。まだ、涙は出る。
過ぎた日を思う。
すぎた日は帰ってこない。当たり前のことに、涙が溢れてきたら、もう限界なんだと思う。
私は、後悔をしている。あの時、あんな風に声に出すんじゃなかった。あの時、一歩踏み出して見るんじゃなかった。あの時、思い切った決心なんてするんじゃ無かった。
でも、その時、後悔する未来が見えないくらい真っ直ぐに思った事を行動に移せた自分も、もう取り戻せない日々だから。その事にすら、後悔を始める。僕なんてもう、死んだようなものだ。君なんてもう、存在していないようなものだ。
ため息と共に溢れてくる思考を止めたいのに、一度始まると底を知らない子供の様に突き進んでしまう。
でも、過ぎた日の思い出が後悔ばかりなんて、そんなに苦しいことも無いと思う。
だから、あの時の後悔すら満足した日々だったと、力の入る掌を生かすのだと。また上を向いて、息を吸い、背筋を震わせながら決断する。
星空。
星空が綺麗だった。今思い返すと、懐かしいくらいには綺麗だったのだろう。
私は少し前に地元を離れここへ来た。ここは、完結に言うと都会であり、人や光や物があふれる場所だと思う。慣れない事もあったが、特段困らないし、便利で気ままなこの生活にも適応してきているつもりだった。
だから、驚きだったのだ。この星の見えない空をみて、自分の中の臓物だとか、神経だとか、脳ミソだとか、指先だとかが揺れてむず痒く、歯痒くなるこの現象を感じ、沈んだ気持ちになる事に。本当に僕は驚いたのだ。
星空をみたいだなんて、ここ何年も思ったことは無かった。お月様が満月みたいに光り輝く夜が、少し好きなくらいだったし、頓着ないものと思っていた。だから慄いたのだ。
あぁそうだ、久しぶりにプラネタリウムにでも、行ってみよう。美しい星空の観察の為にも。
あいまいな空。
絵に描いたような空じゃなくて、ただそこにある様な空が美しいと思う。そう言うと、少し誤解を生むかもしれない。
僕は不均等なものが好きだ。それが人工物でも、自然の産物でも、街並みでも、生き物でも、仕事でも、娯楽でも、なんでもいい。見ていて心が踊るような面白さと、スっと入り込んでくる風みたいで心地良さを感じる。だから、いくら上手な油絵も水彩画も写真も、あのあいまいな空をそのまま映し出すことは無いと思っている。それは、人の目を通してしまうから。そこに曖昧さは減ってしまう。
曇りの日も、晴れの日も、雨の日も、霧の日も、風の日も、雷の日も、それぞれ違う空をしている。角度も、背景も、明るさも、見る人も違うからこそ、それはあいまいなモノと言えるかもしれない。
あいまいで、流れ留まらない空を、私は愛したい。
あじさい。
私は食べるのが好きだ。風邪をひいた時も、怪我をした時も、1人の時も、2人の時も、休みの日も、仕事の日だって変わらず、好きなものを食べる。運のいい事に、好き嫌いも無く、料理も好きなので、苦もなく毎日を過ごせている。
でも、こんな僕でも、時々、気分が沈む時がある。それは、雨とか梅雨とかいう厄介な気候の時だ。何かと体が重いのは良いが、頭痛がする度に気分が悪くなる。だから、食欲なんてものも下がってしまう。これは私にとって不名誉この上ない日々だった。
だから、雨とか梅雨とかいう季節はあまり好きでは無い。唯一好きなのは、綺麗な藤や紫陽花かもと思う。
それでも、そうだとしても、やはり憂鬱なこの頃が好きにはなれないだろう。なあ、味のしないこの日々よ。色の薄いこの日々達よ。