雨の香り、涙の跡――
人は幸せや悲しみを誰かと分かち合えるが、苦しみや切なさを誰かと共有するのは難しい。似たような言葉だが、深堀していけば味の違う意味が隠されている。
土砂降りの雨の中、私はひとり道路に棒立ちでいる。全身ずぶ濡れがなんだ、今の私は車に轢かれようが構わない。一緒に歩いたあの日から雨の日の独特の香りを好きになったが、今日をもって嫌いな香りになりそうだ。大粒の雨が私の頬を伝うが、この雨が私から流れ出す涙の跡なのかなんて分かりゃしない。私は泣いてなどいない……決してな。
糸――
緩く今にも解けそう、それはとても脆く儚く美しく。
纏めてしまえば毛玉になりそうな人脈も、切ってしまえば10cmにも及ばなそうな細々とした糸も、所詮私と私以外が関わっている証に過ぎない。
だが……実際の毛玉には無く、私達だから成り立つ事もある。それはふわふわした糸にも、まるで蜘蛛の巣の様に頑丈な糸にも変化する事が可能だという点。
一時の感情で脆くなったり頑丈になったり……やや面倒かもしれないが、見えない糸で繋がる人と人の線というものは私達人間の中では真かもしれない。
記憶の地図――
今の世の中スマートフォンやパソコンさえ持っていれば、GPS機能とエリアマップを閲覧する事など容易い。だが、結局のところ目的地が分からなければ意味が無いわけで、そこまでのルートが朧気ながらに記憶していたとしても曖昧な道標など掠れて読めもしない。
手っ取り早いのは……そう、あの場所までの微かな記憶の地図を頼りに風景と照らし合わせて歩いてみること。自分の記憶というものは皮肉な事にどんな些細な事も覚えている。一つの木、一軒の建物、正確でなくとも大まかに覚えているのだ。
あじさい――――
ザァザァと止めどなく降り続ける雨。
お天道様が一年の中で最も潤いを与えてくれる時期。
それが「梅雨」だ。
6月になり、毎年恒例の梅雨の時期がやってきた。外出のしにくさや、ジメジメとした湿気の多い時期でもある為、好ましくない天候だと感じている。
だが、自然界からすれば天からの恵みと言えよう。
この時期の見物と言えば紫陽花。
6月半ばが見頃とされる紫陽花、土の成分で葉の色が変わると聞いたことがある。アルカリ性だとピンクに、酸性だと青色になるとか。個人的には青色が好きなので、酸性の土で育った紫陽花がベスト。
そんな紫陽花だが、色によって花言葉が変化する。
青や青紫だと「辛抱強い愛情」「冷淡」「無常」
白だと「寛容」
ピンクだと「元気な女性」「強い愛情」
緑だと「ひたむきな愛」「辛抱強い愛情」
送る相手によって渡すべき色が異なるので、間違えない様にしたいですね。
桜散る――――
桜は八分目程度が見頃と言われるが、あくまでも一般論であり、それらが全て正しいとは限らない。
俺は完璧な満開を好んでいる。それはもう明日にでも散ってしまうのでは?と思われてもおかしくない程度に花が咲き誇っている状態が好ましいと感じる。
勿論スカスカな桜など俺は大嫌いだ。中身の詰まった密度の高い桜の木が大好きで堪らない。今にも儚く散ってしまいそうな花弁と、春の訪れを木々の命を懸けて、我々に知らせてくれる桜という存在。毎年樹木の命を削りながら、我々ニンゲンを感動させてくれる。
ひらりと桜散るその瞬間が、俺にとって忘れる事を許さない一つの大切な想い出であり、余計にこの時期が恋しくて恋しくて、実に堪らない。